安らげる場所
レティシアの母がどうやって生計を立てていたのかは、分からない。
だから、娼館で働いていた可能性も、否定はできない。
父がそういう所に通っているのと、母がそういう所で働いているのと……どっちが上とか下とか決められるようなものではないが、どちらにせよ、もしそうだったら腹違いの姉妹としては、たいへん気まずい。
「私は……そういう所とも、付き合いがありますし。そこで働く者が、それぞれの事情を抱えていることも、分かっている……つもりですわ」
私は強者で、利用する側だ。
私が彼女達のことを本当に理解することはないだろう。
彼女達が、ヴァンデルヴァーツの当主の肩にかかる重みを、本当に理解することがないように。
でも、その境遇に何も思わないほど、割り切れない。
「だから……もし、あなたの母が、あなたが思うような職業に就いていたとして、それを恥じる必要はありません」
意地悪を、しようかと思った。
ただ、性根の腐っていそうな『悪役令嬢』とて、一線はわきまえている。
共に母を亡くし、父を亡くした同士だ。
私は母を愛していたし、きっとレティシアもそうだろう。
それを汚すような真似をしたら、私の罪は断頭台でさえ裁けないものになる。
「レティシア。あなたの母が何をしていたかは、分かりません。正直に言いましょう。我が家に迎え入れる際に、あなたのことも、あなたの母のことも調べた。でも、何も分からなかった。それが全てです」
何も、辿れなかった。
「そう、ですか。……何してたのかな、お母さん」
「……さあ。それはなんとも」
それはもう、確かめようもない。
妹の存在を知った時、私は改めて家に残された資料を漁った。
しかし、父はレティシアや彼女の母親について、記録を残していなかった。
時間の流れが、全てを過去のヴェールの向こうに覆い隠してしまった。
ただ、私はもう一つ仮説を立てていて。
……レティシアの母は、ヴァンデルヴァーツの"影"だったのではないか? と思っている。
目立たず、ひっそりと――"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"のために、"裏町"で潜んでいたのではないか、と。
父が、どこぞの娼館を利用した結果そこの娼婦と恋仲になったのと、自分の配下の"影"とねんごろになったのと、どちらの方がマシかは、やはり決められるようなものではない。
娘としては前者に物申したくて、当主としては後者に物申したい。
どちらにせよ、冷徹で、厳格で、威厳があって、恐れながら尊敬していた父にも、娘には言えぬ秘密の一つや二つはあったらしい。
レティシアが、口を開いた。
「もし……も」
けれど、そこで言葉を切る。
「……もしも?」
私は促した。
彼女は躊躇いながらも、じっと私を見つめた。
私と同じ青の瞳は、不安に揺れている。
「もしも、調査の結果が『出ていたら』。お姉様は……私を、ヴァンデルヴァーツの縁者として、お認めにならなかったでしょうか?」
私は、即答した。
「――いいえ」
「……お姉ちゃん」
「『お姉様』と呼びなさい」
このやりとりも、そろそろ様式美か。
「……私はあなたのことが気にくわないわ」
これは嘘――に見えて、少しだけ本当だ。
……その可愛さで運命の歯車を狂わせようとするの、やめてほしい。
それと、もうちょっと【公式シナリオ】通りにして。主人公でしょ。
レティシアがしゅんとするが、私はそれに気付かなかった振りをして続けた。
「お父様もいったい何をやっていらしたのか」
ため息をつくと、息が白く染まった。
記録が残っていないということは、娘の心証的には有罪だ。
……記録が残っていて、何か事情があってレティシアの母を抱いていても、それはそれでなんか腹が立つので、どうやっても、娘としては多分有罪だ。
レティシアが、私と同じ両親の子供だったなら。
姉妹として、幼い頃から同じ屋敷で育ち、可愛がることができたなら。
そうだったなら、どんなに幸せだったろう。
私も、もう少しまっすぐに育ったかもしれない。
そんな過去は、なかった。
私と妹の間に、そんな積み重ねは、許されなかった。
それでも。
「それでも、私達は血の繋がった姉妹よ」
「……お姉様」
「せいぜい、私の役に立ってちょうだいね」
なるべくいやみったらしく笑う。
バランスは、大事。
「はい。頑張ります」
父の罪も、お姉ちゃんとしてなら、許せる気がした。
こんなに可愛い妹を、この世に遺してくれたのだから。
母が父を許すかはともかくとして、レティシアのことは可愛がったのではないか。そんな気がする。
――そんな筋書きは、なかったけれど。
もう私達の両親は、三人とも、全ての秘密を抱えて逝ってしまった。
私もきっと、色んな秘密を抱えて逝くのだろう。
「私達は、変な姉妹ね」
運命が、私達を姉妹にした。
彼女は幸福を贈られて、私は断頭台に送られる。
それも悪くないと、思えるのは。
自分の死に、意味があるから。
「……そう、ですね」
レティシアが苦笑した。
そういう笑顔もまた違う可愛さがあって、とりあえず抱きしめたい。
「っ――くしゅん」
そこでレティシアがくしゃみをした。
くしゃみも可愛いが、促して屋敷へと入る。
「ほら、屋敷に戻りますわよ。その後、入浴なさい」
「はい、お姉様」
お互いに自分の首に巻いたマフラーをほどきながら、会話する。
私が意地悪を抑え気味というのは大きいが、なんだか普通の姉妹みたいだ。
次の、私が関わる【公式イベント】は、春になる。
まだ時間があるように思えて、イベントの密度からすれば、もう残り少ない。
これからの物語は、妹と【攻略対象】の間で紡がれていく。悪役令嬢はスパイス程度で、メインの恋愛模様にはお呼びでないのだ。
初日は斜め上の使い方をした『行動の自由』を生かして、王城にも顔を出しているようだし。
好感度が高そうだった王子や騎士団長はまだしも、見せ場を奪った医師長のことは気になっていたのだが、お礼を言う形で交流はしたようだし、その後も話をしたりしているらしい。
話題はさりげなく聞き出そうとしてみたが、教えてくれなかった。
レティシアいわく「いろいろです」だそうだ。
私としては、その『いろいろ』が知りたい。
それはともかく、きっと【個別イベント】を積み重ねている、のだろう。
しかし、今の段階では、特定の相手を狙っている様子はない。
恋愛模様は混戦模様……といった所か。
手袋を外すと、スコップを握りしめていたせいで少しこわばっていた手を軽く振ってほぐした。
レティシアも同じようにして……。
それから、私の手を取った。
ちょっと汗ばんだ肌と肌が触れあう。
「……レティシア。これは、なんの真似――」
「家に戻りましょう、アーデルハイドお姉様」
家。
……この屋敷は、妹の『家』になっただろうか。
母を亡くし、たった一人で、ガラス窓もない、雪が降ったら潰れそうな廃屋同然の古屋敷の一室で、貴族の令嬢ならば一生やらないだろうお仕事をして、たくましく生き延びてきた彼女が。
安らげるような場所に――なっただろうか?
ぐいぐいと自分を引っ張っていくレティシアの手を、私は振りほどかないことにした。
どうせ、未来は決まっている。
エンディングは、誰にも変えさせない。
私にさえ。
私の首がつながっているのも、後、一年を切った。
だから、春までは。
……こんな風に幕間を過ごしても、それは演者の裁量の範囲内ではなかろうか。
玄関の扉を開ける時に、レティシアが私を振り返る。
彼女は、柔らかい笑顔を浮かべていた。
その笑顔を見た時、これまでと、これからの全てが報われる気がした。
そのまま手を引かれ廊下を歩いていると、レティシアが何かを思いついたようで、立ち止まる。
振り返った顔に浮かべているのは、どことなく悪戯っぽい笑み。
「ところで、せっかくなので一緒にお風呂入りませんか?」
「一人で入りなさいな」
妙な誘惑してくるの、本当にやめてほしい。
妹はもう一度明るく笑って、私の手を引いた。
・あとがき
うちのお姉ちゃんがめんどくさい……! (挨拶)
こんにちは、水木あおいです。
作者の影を感じたくない人は、あとがきの文字で回れ右してくれたと信じています。
でも、「全ては私の緻密な計算によって書き上げられた物語……」(キリッ)みたいな、どこか偏見に満ちた理知的な作者像は、水木あおいという作者の実態からは、かなり遠い。
綺麗に組み上げられたプロットをなぞるようにして、最初に頭の中に思い描いた物語を書ける人も……いるのかもしれませんが。
私の場合、上位百合存在より下された電波を受信して、断片的なそれを現代の言葉に置き換えて、なるべく分かりやすいように綴るだけが精一杯のような、そんな気もしています。
古代ギリシャにいたデルフォイの巫女は、余人の立ち入れぬ神殿にてトランス状態になり、アポロンより託された言葉を断片的な預言として語り、それを他の神官が解釈して伝える……という流れで未来を予言したそうです。
私の場合、巫女と神官、一人二役感ありますね。
人手不足感もある。
なお、預言とは、火山ガスで朦朧とした状態で語る言葉だったのでは? という説もあります。
断片的で、妄言に近いところだけは似ている気もする。
まあそれはさておき、そんな風に物語を追っていると、「いい加減素直になればいいのに……!」と、主人公たるアーデルハイドに対して思うようになるのも当然ではないでしょうか。
タグ(キーワード)に[じれじれ・あまあま]が入っているとはいえ、めんどくさくて、もどかしくて仕方ない……。
しかし何を書くかは微妙に選べなくても、当たり前ですが、たくさんある候補から、どれを『次回作』に選ぶか、何を発表するかぐらいは選べるのです。
だから、なぜこんなめんどくさい子が主人公の物語を書いているのかと言えば……このお姉ちゃんが素直になるところを見たいと思ってしまったから、でしょうか……。
この、優秀だけどポンコツでめんどくさいアーデルハイドお姉ちゃんが、妹のレティシアの可愛さに屈してデレるところを見たくないですか?
私は見たいです。
なので、ヒーローショーで「みんなー! 応援して力を分けてー!」と言うおねえさんのようなポジションで、もうちょっと頑張りたい。
小説家というのは、舞台で輝くヒーローや魔法少女とは違うかもしれないけれど、まだ脳直結で妄想を共有できない以上、司会進行も大事な役目です。
ついでに会場設営とか役者の食べ物・飲み物の準備とか、そういうのやるスタッフ感もあります。
人手不足極まる。
2章もだいたい1章と同じように進んでいきます……が、長期に渡るじれじれ系の恋愛物が心に深刻な影響を及ぼすことは皆様ご存じだと思うので、2章では決着まで行く予定です。
私は甘酸っぱい恋愛も、勘違いしたり誤解したりすれちがったりするのさえ嫌いとは言いませんが、それよりも、ちゃんとくっついて幸せな二人が見たい。
それゆえの[ハッピーエンド]タグ。
それゆえの[百合]・[姉妹百合]・[ほのぼの]・[溺愛]です。
お姉ちゃんは引き続きめんどくさいけど、1章でもよく見ると最初よりガードが緩んでるような気がするので、2章でなんとかなる気がする。(憶測に次ぐ憶測)
……もうちょっとはっきり語れたら、と思うこともあるのですが、精密機械キャラが似合わないことは分かるので、とりあえず今の方針で行く予定です。
『遊び』がないと、かえって危ないですしね……。
まとまった量を書き上げてから投稿するスタイルのため、2章の投稿開始は未定です。
2章の開始前に1つ、製作記系番外編を予定しています。
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それでは、どうか引き続きうちの子達をよろしくお願いします。




