【新しい移動可能マップがアンロックされました。】
【新しい移動可能マップがアンロックされました。】
……という一言で、【月光のリーベリウム】では、主人公の行動範囲が広がる。
一通り、【攻略対象】を紹介するイベントが終わり、最低限の貴族教育も終わったことにされ、ここから本格的にゲームが始まる。
……はずなのだが、悪役令嬢的には、ここが、肩の荷が一つ降りる節目と言えなくもない。
ここから行動するのは、【主人公】なのだ。
【悪役令嬢】ではない。
私の登場イベントはまだまだ残っているが、特に重要な恋愛イベントは、私抜きで行われる。
私は、恋愛イベント的には、純粋にお邪魔虫なのだ。
悪役ポジションということもあるが、実の姉ポジションでも、恋愛イベントに縁はなさそうだ。
妹に行動の自由を与えるかどうかは……私の判断にかかっている。
馬鹿親、もとい、親馬鹿の貴族などは、娘可愛さに、令嬢を社交に出さない場合がある。
個人的には馬鹿馬鹿しいが、それは家の自由だ。
私だって社交に熱心な方ではない。
ヴァンデルヴァーツ家と他家の繋がりは、依頼か、恩か、弱みだ。
情はない。むしろ害悪ですらある。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の『当主』が気に入れば――多くの願いが叶うだろう。叶ってしまうだろう。
丁度、私がレティシアに肩入れしているように。
それはまあ、運命の筋書きという言い訳があるのは事実だが。
それがなかったとして、私は、権限の限り彼女に幸福を与えようとするだろう。
まともな範囲で踏みとどまれるか、ちょっと自信がない。
それを、レティシアが望んでしまったら。
贅沢を覚え、"裏町"にいた時の心を忘れ、愚かしい貴族に成り下がったなら。
そうしたら。
――私は、妹の未来に責任がある。
彼女を、真の貴族にする。
誰からも愛されるようにする。
その覚悟を胸に、私は妹離れを決意した。
今からでも、抱きしめて、優しくして、甘やかして。
そうやったら、私と彼女は、本当の仲良し姉妹になれるだろうかと。
そんな温かい感情が、これ以上育たないうちに。
閉じ込めて、檻に入れて、鍵を掛けて……私しか見えないようにして。
そうやったら、私を――私だけを――見てくれるだろうかと。
そんな暗い感情が、これ以上育たないうちに。
私は、風邪が治ってから数日が経ち、すっかり元気になった妹に、朝食の席で告げた。
「レティシア。本日をもって、貴族として相応しい立ち居振る舞いを――少なくとも、その基礎を得たと判断します」
手を放す、べきだ。
私の心の闇が、彼女の純真さを絞め殺す前に。
「今日から、あなたに行動の自由を与えましょう」
それがどれほど寂しくとも。
姉が妹の未来を縛るなど、あってはいけない。
「行動の自由……ですか?」
レティシアが首を傾げた。
ゲームでは、気軽に、地図を指差すようにしてそこへ移動できる。
シンプルな盤上遊戯が、地形や兵の体力を考慮しないように。
しかし現実では、移動手段が必要だ。
「馬車の使用許可、使用人を連れる権利……資金も割り当てられます」
ゲーム的には、デート資金だ。
"仕立屋"から服を買ったり、本を買って勉強したり、観劇したり、……【月光のリーベリウム】は、【恋愛シミュレーションゲーム】ということで、全てが恋愛に結びつくようになっている。
服を買うのは、攻略対象に見せるため。
本で学ぶのは、攻略対象へ教養を示すため。
観劇は、単純に攻略対象と一緒にお出かけだ。
……当主である私には、妹に自由を与えないことも、できるのだろう。
外出を禁止し、資金を制限し――美しい声で鳴く鳥を、鳥籠に閉じ込めるようにして愛でることも、きっと、『できてしまう』のだろう。
ただ、レティシアに籠の鳥は似合うまい。
うちの妹には、青空が似合う。
私は鳥でいえば猛禽だし、似合うのは、曇天か闇夜だと思う。
姉妹でも、違うものだ。
母親の差とは思いたくないので、やはり私個人の問題だろう。
お母様は、寒さが緩んだ冬の晴れ間が似合うような、儚げな人だったし。
「レティシア。今後も全ての行動が、評価対象となります。公爵家の誇りを汚さぬよう、務めなさい。――義務と忠誠を」
「はい、お姉様。義務と忠誠を」
今日から彼女は、自分で考えて、行動する。
うるさい姉の目から離れ、【攻略対象】と仲を深め――恋心を、育てていく。
それが、【月光のリーベリウム】における、正しいシナリオ。
「頑張り……ます」
レティシアが、両の拳をぐっと握りしめ、なにやら決意している。
彼女とて年頃の女の子だ。欲しい物もあるだろう。
何より、意地悪な姉との息の詰まりそうな時間から逃れたいという思いも――
「お姉様と一緒にいられるように」
……鳥籠を開けているのに、小鳥が出て行こうとしない光景を、幻視した。
あまつさえ、肩や手にまで乗ってくるような……そんな光景を。
心が、弱い。
自身の弱さが、情けなくなる。
そんな幻想にすがろうとは。
私の『"裏町"に戻りたくないなら努力しろ』という言葉を、真剣に受け止めているのだろう。
……誰が、見捨てるものか。
誰が、切り捨てられるものか。
この世でたった一人の、妹のことを。
「……私は、外出する用があります。後の詳しいことは、シエルに聞きなさい」
「はい」
席を立ち、食卓を後にする。
「お姉様」
私の背に、レティシアの声がかけられる。
無言で振り向くと、妹は笑ってみせた。
「行ってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしています」
……なんで、笑顔の無駄遣いを、するのかな。
私は、返事をせずに顔をそらし、食堂を出た。
「っ……」
後ろで扉が閉まると、廊下に誰もいないことを確認して、こみ上げる気持ちを抑えるように、口元を手で押さえた。
固く目を閉じて、心を殺す。
それでも、殺しきれなかった感情の残骸が、心にひっかき傷を残した。
目を開けて、背後の扉を見る。
妹は、なんで。
なんで、こんな私に。
笑顔なんて、向けるのかな。




