運命の分岐点
――なにが、どうして、こうなった。
呆然としたまま、私はシエルと共に舞踏会の会場を後にしていた。
足取りはふらふらとおぼつかず、シエルにエスコートされるように支えられながら、なんとか屋敷まで帰ってきた。
そのシエルも、今はいない。話をしたそうだったが、命じて下がらせたのだ。
今は、一人になりたかった。
カーテンを開け、窓から差し込む月光で照らされた自室に、一人きり。
よろよろと椅子に腰かけると、両手で顔を覆う。
私は、何かを間違えたらしい。
ここまで、運命の筋書き通りに物語を進めてきたはずだ。
ほとんどの【イベント】は、私の知っている通りになった……と思いかけ、そういえば【デートイベント】……らしきものでは、妹は私を選んだ。
あれは、明確な違いだった。
あれが?
あれが、たったあれだけのことが、運命の分岐点だったとでもいうのか?
私には妹がいた。
それから起きる、ほとんど全ての【イベント】を知っていた。
数多くの【公式ゼリフ】を知っていた。
その私が、知らない筋書きになった。
……確かに、ちょくちょく、シナリオと違う所もあったとは思うけれど。
私は、ちゃんと演じた……んじゃないかな。
少なくとも、運命の筋書きが変わらない程度には、忠実に。
それらは、私が未来を知らなければ、できなかったこと。
私が未来を知っていたのは間違いない。
私は、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ。
この国を影から見守る、一匹のウォールリザード。
合法・非合法を問わず、情報を手に入れ、可能な限りの未来を予測し、最も望ましい物を一つ選び取るのが仕事。
その私が、未来を予測するならば。
断頭台は――ない。
【断頭台】は、もうない。
この国が私を処刑する理由が、ない。
私を、そしてヴァンデルヴァーツ家を非難する者はいるだろう。
しかし現実として、我が家が提供した薬が、この度の疫病を封じ込めた。
それを陰謀と叫ぶ者もいるだろう。
……否定はしきれないし。
私は、自分の欲望のためにこの国を利用した。
未来を知ったことを、誰かに信じてもらうのではなく。
たった一人で、自分に都合の良い『筋書き通り』の未来を望んだ。
……ほぼ、望んだ通りになっている。
ほとんど全て、筋書き通りになっている。
疫病によって多くの犠牲者を出しつつも、もしも薬が効かずに流行り続ければ、こんなものではすまなかった。
妹は、"救国の聖女"と呼ばれるようになった。
恋愛イベントを起こしているのかいないのかはっきりしないが、恋人候補の三人からレティシアへの好感度は、とても高い。
彼女は、幸せになるだろう。
――では、私は?
……どうなるのだ?
この冬に死ぬために生きてきた。
全てをこの一点に収束させるために、選択肢を選び続けた。
……私には、主人公に与えられるような【選択肢】はなかったけれど。
主人公とその恋人(候補)に嫌われるように、憎まれるように――そう意図して、悪役令嬢らしく、いやみったらしく振る舞い続けた。……まあ、おおむね、そこそこ、多分?
……しかし、どうも。
大筋がシナリオ通りだからと、あまり気にしないようにしていた『揺らぎ』が、事ここに至って、無視できなくなった。
何かが、おかしい。
いや、『何か』ではない。
この期に及んで、自分を誤魔化すのはやめよう。現実を直視するべきだ。
その違和感の原因は、明白だ。
レティシアの――【主人公】の言動が、私を嫌ったり、苦手に思うものではないのだ。
元々、レティシアから私へ向けた【公式ゼリフ】は、私からレティシアに向けたセリフに比べて、極端に少ない。
所詮、シナリオの最後では一行で死んだことにされる小悪党だ。
そもそも、いじわるシーン以外での交流など描かれない。
大筋が、筋書き通りになっているのに。
妹は、主人公。
私は、悪役。
【月光のリーベリウム】は、貧民街出身の主人公が、意地悪な腹違いの姉にいじめられつつも貴族としての生き方を懸命に学び、人脈を広げ、手に入れた経験と、貧民街育ちで培った精神性をもって、民と貴族を繋げる物語だ。
……しかし、実を言うと、ちょっと怖かったのだ。
あのガバガバ演説で大丈夫かな、と。
私は感動したし心打たれたけど、それはこれまで丁寧に話を追ってきた主人公に対する思い入れありきであって。
あの子は天使だけど、はたして本当に殺気立った民衆相手に、あんな、ふわふわした雰囲気だけの演説で押し通せるんだろうか……と。
それでもレティシアは、やりとげた。
貧民街出身という過去。
貴族としての義務。
身分ではなく、宮廷医師団の見立てにおいて、より重症の患者を優先するという宣言。
王子に宮廷への根回しを。
騎士団長に騎士団による治安維持を。
医師長に宮廷医師団の全面的な協力を。
そして、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"に、薬の製造と、噂の流布を。
さらに、その薬の有効性を、自らを実験台にして証明して見せた。
ふわふわとした、舞台では、はしょられてしまうようなハリボテのイベントを、現実的に支えて見せた。
……私のプランでは、筋書き通り上手く行かなかった場合、治安維持を名目に、うるさい輩の十人や二十人、暗殺して黙らせつつ、潜ませた"影"達にそれらしい噂をささやかせて、『落ち着かせる』つもりだったことを考えると。
理想を掲げつつ、それを押し通して見せた彼女の強さは……本物だ。
あの子は、主人公だ。
そして、筋書きを超えてみせた。
イベントとイベントの間も、私と彼女は、家族として共に過ごした。
日常で、あの子が見せた笑顔。
私を呼ぶ、嬉しそうな声。
その全てが、示唆する可能性は。
「私、あの子に……」
私は、呟いた。
「……嫌われて……ない?」
その可能性は、怖かった。
私の『好き』は、あの子に何もあげられない。
私はまだ、当主だ。……彼女の自由を、奪える立場だ。
私は、あの子の未来を、奪ってしまう。
それでも。
もしかしたら。
――もしかしたら。本当にもしかしたら。万に一つの可能性かもしれないけど。
あの子は、私を嫌ってなくて。憎んでもなくて。
私と彼女が一緒にいられない理由は、なくて。
運命が定めた【シナリオ】は、もうなくて。
……妹と一緒に過ごせるような未来が、あるのかな――
「お姉様」
心臓が、びびくん! と跳ねた。
考えごと――妄想――をしている時に声をかけられるのは、心臓に悪い。
さらに、その声がレティシアの声だと一拍遅れて気が付いた私は、青ざめた。
……知らない。
こんな未来は、知らない。
それが、当たり前だ。人は未来を知ることなどできない。
でも、私は予測してきた。
いつだって未来は、私のちっぽけな予測の範囲から出たことなど、なかった。
――たった一つ、【月光のリーベリウム】という、降って湧いたような、予想外の運命を除いて。
コンコン、と扉の外から、ノックの音と共に、再びレティシアの声が聞こえた。
「開けてください、お姉様。大事なお話があります」
「……今、行きますわ」
扉までの短い距離が、断頭台へ上がる階段の一段一段に等しかった。
絨毯の柔らかい感触が、固い板に思える。
大事な話……とは、いったいなんの話か。
……予測、できない。
……とりあえず、当主の座を明け渡す覚悟をしておく。
逆転、傀儡、幽閉、追放、……一通り、悪い予測を立てるのもしておいた。
まあ、私はレティシアが幸せならそれでいい。
そして、一つ息をついて、ぐっと覚悟を決めると、鍵を開けた。
ドアノブを回し、引くと、そこには、私と同じくまだドレス姿のレティシア。
「――お姉ちゃん……!」
扉が開ききるのを待たずに、隙間から滑り込んだ彼女は飛びつくようにして、私を抱きしめた。
どこにも行かせないと言うように、ぎゅっと。
さっきまでのかしこまった口調も、貴族らしい態度も、かなぐり捨てて。
……この妹は、いつだって、私の予測を超えてくる。




