【最後の舞踏会】
私達は舞踏会の会場である、絨毯の敷き詰められた王城の大ホールに足を踏み入れた。
「ヴァンデルヴァーツ公爵家当主、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ様。【レティシア・フォン・ヴァンデルヴァーツ様。両名がいらっしゃいました】」
……んー?
こういう席では、お偉いさんは後から登場し、役職と名前が呼ばれる。
ただ、【月光のリーベリウム】的には、ここで名前を呼ばれる二人は、シナリオのラストで結ばれる【攻略対象】と【主人公】なのだが……?
まあ、今までも、細かい所は結構違った。
そういうこともあるか、と納得する。
それに何より。
「あれが噂の……」
「"救国の聖女"……」
「なんとお美しい……」
「それにあのドレス……!」
「お似合いの二人ですね」
どよめきと共に、レティシアへの賞賛が向けられることに、私は満足していた。
私の妹は世界一可愛いからな。
ようやく世界が追いついてきた、といった所か。
多少、おべっかも入っているかもしれないが、それでも、かつて【承認の儀】で妹が向けられた辛辣な視線に冷たい空気、そして口さがない物言いを思えば。
それに、うちの妹は……本当に可愛いのだ。
身にまとって可愛さを引き立てているのは、"仕立屋"が精魂込めた――冗談抜きで魂を削って込めていそうな――芸術品だ。
肩の部分がふんわりと膨らんだ、薄紅色のドレス。
ふんわりとした肩を、黒く細いリボンがきゅっと物理的にも視覚的にも引き締めている。
これは今日のドレスコードでもある『黒いものを身に着けること』による、疫病の犠牲者を悼むための装いだ。
そういう心の綺麗さも美しく、どんな芸術品も及ぶまい。
首元のフリルチョーカーも同じ黒の細リボンで結ばれている。
どうしても印象が重くなる黒に、白いフリルが合わされて、肩のそれは、さらに手袋の白に繋がるという寸法だ。
肘より上まである長手袋もして、露出は二の腕が少しと、首元と、ほんのちょっとだけ谷間。豊かな胸を隠し切れていないが、まあこれぐらいはいいだろう。
腰の後ろで結ばれたリボンは大きめで、少し幼く見えるが、同時に妹の純真さを完全に引き立てていて、ユースタシア一可愛い。
細く編み込まれた髪がいつもより少し大人っぽく、後ろで赤いリボンで止めているのが愛らしく、相反する要素が相まって、世界一可愛い。
ん? 妖精かな? いや、聖女だった。
私は薄青のドレス。以上。
ただ、公爵家当主らしく、レティシアと同等かそれ以上に手が掛かっていそうである。
スカートは見える範囲だけでも幾重にも重ねられ、さらに、人の視線が自然と向く胸元には精巧な刺繍まで施されていた。……"仕立屋"が目の隈を濃くしていたのはこれもあるだろう。
フリルは控えめにしろと言ったはずだが、胸元やスカートの裾といった要所要所に使われている他、幅広の袖に至っては三段のレースフリル。
なぜ私のドレスにそこまでしたのだと思うが、ここは、隙あらば手を抜こうなどと夢にも思わない、誠実な職人を専属にしていることを喜ぶべきかもしれない。
貴族家として舞踏会用のドレスは、優れた職人を抱えられる器量、名のある名店に注文を出せる人脈――家の格を見せつける機会でもあり、その中でもフリルやレースは、技術や予算の差が目立ちやすい箇所だ。
まあ、うちの"仕立屋"は、自分の手間や素材の値段を気にしないが。……良くも悪くも。
ドレスコードである黒は、首元のフリルチョーカーと、二の腕に巻かれたリボンで、これはレティシアとお揃いのデザインだ。
私は、このドレスが割と気に入っていた。
暖かい色合いのレティシアと並ぶと、実に寒々しい色合いで、悪役っぽいのだ。
彼女の物より派手で豪華に見えるのも、愛らしい妹と並ぶと対比であくどく見えるのではないか。
レティシアは、堂々と胸を張っていた。
隣に並ぶ私との胸のサイズ差が際立つが、かつて私が教えたことだ。
常に堂々と胸を張り、凜として、前を向いていろと。
それが、貴族というものだ。
しかし、そっと寄り添って、私の腕を握る手に力を込めてきた。
やはり緊張しているのか。可愛い所もある。
軽くぽん、と手を叩くと、レティシアがはっと顔を上げてこちらを見る。
そして、にこーっと笑顔になった。
まったく、誰を惚れさせるつもりだ。
お姉ちゃんは既に惚れ込んでいるが。
そういう浮かれた気持ちを、よそ行きの顔の下に押し込めて、私は噂話の飛び交う会場内に、妹と二人、たたずんでいた。
私達が最後のはずだ。――招待客の中では。
「国王陛下と、コンラート・フォン・ユースタシア第一王子殿下がいらっしゃいました」
今日の列席者の中で、唯一名前を省略され、役職のみで呼ばれるのが、当代のユースタシア国王陛下だ。
我が国で国王、そして陛下といえば、彼しかいない。
王妃様を伴うこともあるが、今日連れているのはコンラートの野郎だ。
……もしかして、妹の相手は王子なのか? 誰もレティシアを呼びに来なかったのは、彼が陛下と一緒に登場するから?
あいつが義理の弟になるのか……?
ちら……と隣の妹に視線を向けると、妹が、さっきの私がそうしたように、腕を軽くぽんと叩いて、笑顔を向けてくれる。
不意打ちの笑顔に、ぎゅっと胸が締め付けられた。
……で、その動作と笑顔、どういう意味……?
私は混乱気味だったが、カァーン! と、近衛兵の持つ槍と槍が打ち合わされ、ぴたりと喧噪が止んだのと同時に、気を引き締めた。
役者は揃った。
私とレティシアに、王子、騎士団長、医師長――中に一人、小粒の悪役が混じっているが、それでも、舞台は整った。
訪れた静寂の中、大ホールの中央に、国王陛下が進み出る。
「ユースタシアの未来を担う者達と、再びこのように集えることを、嬉しく思う」
陛下は両手を広げて軽く注目を集めると、ゆっくりと話し始めた。
「疫病の終息を宣言はしたが、全てが終わったわけではない。まずは、これまでに失われた命に、哀悼の意を捧げたいと思う。……黙祷を」
そして胸元に手を当て、目を閉じられる陛下。
私達も、それにならって胸元に手を当て、目を閉じる。
ほんの僅かな時間、暗闇で、これまでを思う。
何人が死んだ。何人を殺した。何人が……殺された?
この疫病で死んだ者達は、何に殺されたのか。疫病か、運命か……私か。
全てなど背負えない。
それが分かっていてもなお、もっと何かできたのではないかと思ってしまう。
この黙祷は、自己満足かもしれない。
残された者達が、自分の心を整理するための儀式に過ぎないのかも。
それでも、きっとこの場の全員――まあ多分、ほとんど全員――が、大なり小なり、死者への弔意を示し、私達はそれを共有した。
疫病は、貴族と貧民を区別しない。……死亡率に差があることは認めるが。
それでも、各国の支配者階級にも死者が出た。しばらくは混乱するだろう。
陛下が再び話し始め、私達は目を開けて、手を下ろした。
「我らは国の導き手として、犠牲者を忘れることなく、今後のことを考えていかねばならぬ。だが、今日は祝いの日でもある。踊り、語らい、絆を深める日にならんことを願う」
締めにかかる陛下。
私が陛下を尊敬している点の一つは、話が短いということだ。
要点は押さえているが、長々と話さない。
実に希有な才能だ。
立場柄、まあまあ偉いおじさま・おばさま方の長話に付き合わされがちな身としては、本当にありがたい。
まれに貴重な情報源になるので聞き逃せないのが実に面倒だ。
陛下の演説シーンは、【国王陛下の演説の最後に、私は名前を呼ばれた。】となっていて、直接の描写は一部だけだったが、通しで聞いても、いい演説だ。
短いし。
「【此度の疫病は、皆が力を合わせ立ち向かった。だが、それでも一人の功労者の名を上げたい】」
……来た!
来た、来た! 来た!!
「【――レティシア・フォン・ヴァンデルヴァーツ、"救国の聖女"の名を】」
視線が、私の隣の妹に集中する。
私はこの、ゲームでも使われる、妹を示す称号を広めるかどうか迷って――何もしなかった。
だから、これは彼女が自らの力で勝ち取ったもの。
疫病の治療法を見つけ、それを公正に分配した妹へ向けられた感謝の証だ。
手招きされた妹は、陛下の前、大ホールの中央へと歩を進めた。
陛下が妹へ声をかける。
「【望みはあるか? なんでも、とは言えぬが――望みを言うがよい】」
「【望みなどありません。ただ、今後も疫病によって傷ついた民への支援を】」
優雅にスカートをつまんで礼をして、凜とした様子で答えるレティシア。
あー、うちの妹、かっこいいわー。
私は内心でうんうん、と頷きつつ、いつもよりもキリッとした妹の晴れ姿を堪能する。
今日はいい感じに妹の表情を見られるポジションで、【イベント】をかぶりつきで見られるので、陛下に対して、立ち位置を変わってほしいなどと不敬な思いを抱かなくて済んだ。
「【約束しよう】」
なお、この流れは打ち合わせ済みだったりするが。
国家の運営には、多少の茶番も必要なものだ。
この次は、舞踏会への前振りが入る。
「私は、ユースタシアに忠誠を捧げ、義務を果たすことを誓いました。全ては陛下、そして、"裏町"より私をすくい上げ、血縁と認め、貴族としての教育を施してくださった、姉のお導きです」
……そこは台本に、ない。
シナリオが歪んだのを感じて、背筋が震える。
「正に臣下の鑑よ。【しかし、本当に望みはないのか?】」
「【それでは一つだけ。……踊る相手を、指名させてはいただけませんか?】」
それでも、ノイズは一瞬で、すぐに【公式シナリオ】で見た通りのテキストに戻ったことにほっとする。
このような場で、陛下の許可を得て踊りの相手を指名するとは、それすなわち、事実上のプロポーズに等しい。
もちろん正式な申し出ではないが、二人の関係に対し、国王陛下の後ろ盾が手に入る。
実に恋愛物語の締めらしい『望み』であり、『ご褒美』だ。
「【よかろう。――誰を指名する?】」
選択肢は、三つ。
【1.「コンラート第一王子殿下と踊りたいです」】
【2.「フェリクス騎士団長と踊りたいです」】
【3.「ルイ医師長と踊りたいです」】
これが、本当に最後の【選択肢】と言えるかもしれない。
……でも、【月光のリーベリウム】という恋愛シミュレーションゲームの【ログ】の中では、それまで仲を深めたお相手の選択肢が光っていて、他を選ぶ余地がなさそうだった。
別のを選んだら、どうなるのかな。
これらの選択肢のどれもが光らなかったりするパターン、あるのだろうか。
妹は、誰を指名する?
妹が口を開いた。
まだ声を出さず、息を吸って一拍溜める。
時間が止まったような一瞬。
誰もが、今後のパワーバランスに関わる妹の――"救国の聖女"の――お相手を見極めようと、固唾を呑んで見守っている。
もちろん、私も例外ではない。
それでも、私は思わず目をそらしていた。
それ以上、見ていられなくて。
……私以外の誰かが選ばれるのを、見たくなくて。
妹が、私の方を向いたようだ。
視線が集中し、私もそれ以上視線をそらしてはいられず、レティシアを見る。
彼女は、私をまっすぐに見つめて、良く通る声で相手を『指名』した。
「――お姉様と踊りたいです」
ほう、お姉様か。どこの馬の骨だ。
……お姉様?
わたし?
「……は?」
思わず、声が出ていた。




