ソーセージの串
串焼きソーセージの店から少し離れたところで、妹が口を開く。
「美味しかったですね」
「……ええ。中々の腕でした。意外な所に意外な人材が埋もれているものね」
ずっと埋もれているかは分からない。
とりあえず、ちょっと覚えておくことにする。
「さっきのお店じゃないんですけど、あの串を削るお仕事もしたことあります」
「え?」
ちらちらと垣間見える妹の過去。その一つが、ふとした拍子に語られる。
彼女は足を止めずに、少し高い位置にある私の目を見上げて微笑んだ。
「孫請け……っていうんですか? 直接依頼されるんじゃなくて、下請けの下請けみたいな。内職で、ある程度まとめて卸すんです。材料も小刀も支給されるし……昔はよくやりました」
昔。
妹が、私に出会う前のこと。
「お給料は安いんですけど」
それはそうだろう。さっきの串焼きソーセージは庶民の味、屋台の味だ。
そのさらに下の働き手に支払われるのが、高額なはずもない。
どんな味なのかと思っていた。
どれぐらいの仕入れ値が掛かるのかは、事業税を通じてだいたい分かる。私の知識はおおむねヴァンデルガントのものだが、王都でもそれほど大きくは変わらないだろう。
でも、その串を『誰が』作っているかなんて、思い至りもしなかった。
「……どんな味かなって、気になっていて。その、自由時間に食べようかとも思ったんですけど、なかなか言い出せなくて。いつか食べたいなって、憧れていて」
私も思ったことがある。
どんな味かって。
自由な時間に食べようかって。
でも、言い出せなくて。
いつか、食べたいと憧れて。
……彼女ほどの過去も、思い入れも、憧れもなしに、ふわふわと。
"裏町"は、凄惨な場所ではない。
犯罪は多いが、そんなもの王都のどこでも起きている。割合の問題だ。
――そう、割合の問題だ。
あの区画は、他と比較して、明らかに貧しい者が多い。
事業税はおろか人頭税の徴収もままならない相手への商売は儲けにならないから、店も少ない。
王都の市場や近隣の農場、そして屠殺場から出る、一定の基準を満たさなかった二級品、三級品が安値で卸され、一種独特の経済圏が構成されている。
一部の店は犯罪組織の隠れ蓑にもなっているが、潰せばかろうじて保たれている市場も消えるだろう。
……かつての妹のような下請け、いや、さらにその下請けである孫請けのような、安い賃金で働く者達が、経済やインフラのコスト削減に役立っている。
……『役に立って』いるのだ。
それで、『上手く回って』しまっているのだ。
文句を言わない――言えないし、言ったとしても届かない――労働力があって、二級品が安値とはいえ確実に売れる市場があって……。
程度こそあれ、どこの国にも大きな街には貧民がいて、大抵は貧民街がある。
国家の手が届かないから……そして、便利だから。
それでも、騎士・兵士を動員すれば、潰すのは容易い。
――だが、何人が死ぬ?
――どこで、線を引く?
あの区画で生きるとは、大なり小なり罪を犯すということ。
犯罪者を取り締まるとするなら、全員を捕まえねばなるまい。
それだけの牢獄はどこにもない。取り調べもできない。
では、処刑を?
死に値する罪を犯した者など僅かなのに?
国軍からすれば比べるべくもないが、武装勢力もいる。
どこまでを潰す?
何人を殺す?
戦力差は絶対的だが、相手は正規軍ではない。戦場の常識は通用しない。
加えて、土地勘のない場所で、土地勘のある相手と殺し合い? ぞっとする。
訓練された騎士・兵士とて相当数が死ぬだろう。死亡見舞金を考えると、めまいがする。先送りにされてきたのも当然だ。
そして何より、結局それは我が国の民だ。
敵も味方も、どちらも。
殺す側も、殺される側も。
犯罪組織の制圧であれば仕方ないと――"町"と呼ばれるまでの規模になった区画を、住民ごと排除するのを、正当化できるだろうか?
……できるだろう。
できて、しまうだろう。
しかし、最後の手段としてしか、国家はそうしてはいけないのだ。
隣国のルインズは燃えた。『国内紛争』で。
あいつらは贅沢をしているのに、どうして俺達は――そんなシンプルな理屈で、民が蜂起して王家を断頭台に掛けた革命が、大陸に刻んだ危機感と恐怖は、未だ消えていない。
不公平感が積もり積もった時にどれほどの力となるか……かつて、理不尽を打倒した側である我々が、忘れていたこと。
偉大なるユースタシアの建国王も、それを引き継いだ二代目国王も、それ以降の王家も、全ての民を豊かにすることはできなかった。
もっと優先度の高い問題は山積みだった。
隣国との国境は不安定で、農地は荒廃して、産業は未成熟。そんな絶望的な状況で、それぞれの国が覇を競い、国境線は幾度も書き換えられ……ようやく、毎年のように大陸地図を改訂する必要がない、安定した時代が訪れた。
その時もう、"裏町"は生まれてしまっていた。
誰もが、諦めた。
誰もが、先送りにした。
これから一つ間違えば、あの町は消える。……そうなった時、排除を命令するのは陛下だろう。
けれど、進言するのは私になるだろう。
そして手を下すのは、騎士団長率いる"ユースタシア騎士団"になるはずだ。
次代を担う第一王子はその惨状を見て、どう思うか。
生き残った民の治療に当たる医師長は、何を感じるか。
そこを出身とする、私の心優しい妹は――
……嫌な未来だ。
それは、私が断頭台に行くよりも、嫌な未来だ。
かろうじて、他国の窮状を見かねた紛争調停という言い訳があったルインズとは違う。
騎士の剣をもって排除し、騎馬の蹄をもって蹂躙せねば、より多くの民が死んだだろうあの時とは違う。
"裏町"に関しては、突発的でもなんでもなくて、表立って内政干渉できなかった他国のことではなくて、放置していた国内問題を、ようやく片付けるだけになる。
その時、大陸最強とまで謳われた我が国の騎士団の名は地に落ちる。
武勇を誇るのではなく、汚名を得て、消えない烙印を刻まれる。
ああ、嫌な未来だ。
民が国を信頼しなくなった時、破滅の足音が聞こえる。
ユースタシアの建国戦争。英雄譚や武勲詩のように語られるそれの裏側で、何人が死んだか。
罪のない民が動員され――敵を同じくするはずの、手を取り合えたはずの、そんな人達が殺し合った。
歴史は繰り返されると言うが、同じ過ちを繰り返すのは無能のやることだ。
私は、そんな無能にはなりたくない。
【月光のリーベリウム】のシナリオが歪んで"裏町"が武力制圧された時、この国がどうなるかは、私にも分からない。
我が国は大国だ。
精強な騎士団に戦士団を多数抱え、商業的に栄えている。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"という、大陸中に悪名を馳せた家を有する。
……それで?
我々貴族は、民よりも少ない。
正当な不信感を消せず、まっとうな不満をなくせないなら、矛先は私達、不平等の体現者に向く。
火消しができるかは、分からない。
背負った汚名を過去にできるか、情報操作で仕方なかったのだと思わせられるか――私が教え込まれた未来予測をもってして、何もかも分からない。
不確定要素が多すぎて、可能性がありすぎて、複雑すぎて、先が読めない。
だから、先が読めるシナリオにする。
盤面は、簡単な方がいい。
盤上遊戯の初心者に基本を教える時は、駒を減らす。
中級者には戦術を教える。
上級者には戦略を考えさせる。
盤上遊戯である限り、必要なのは与えられた盤面の中での戦い方だ。
しかし、遊びではなく大局的な視点を養う訓練としてそれを教えられた者は――盤面を簡単にしようとする。
少数の兵で大軍を突破? ああ、英雄的だ。現場指揮官には報償と栄誉を。
――しかし我らは、開戦前に、敵の倍の軍を用意しておかねばならない。
敵より優れた装備を揃え、優れた指揮官を用意し、優れた兵を用意し、それを支える国力を有していなければならない。
ゲームが始まる前に、勝てて当然の不均衡を作れていないなら、盤上の寸土を争う遊戯に何も学ばなかったということだ。
もちろん、盤面を簡単にするのは、言うほどには簡単ではないが。
……だから、【月光のリーベリウム】のシナリオは私にとって鬱陶しいと同時に……ありがたい。
あのシナリオは、簡単だ。
これからの混迷を極めるはずだった盤面を、ひどくシンプルに整理して差し出してくれる。
恋愛物語のフォーマットに落とし込まれた時、物事は呆れるほど簡単になる。
悪いやつがいて、トラブルが起きて、それを解決する方法があって――解決策をもたらしてくれる『主人公』がいる。
レティシアという最強の駒が、私の手の内にある。
この駒を十全に使えば、負ける方が難しい。
他の何もかも、勝利よりは価値がない。
義務と忠誠を。
ユースタシアに安寧を。
私は、私の役割を果たす。
その結果として、私の妹は、幸せになる。
いい未来だ。
……代償として、アーデルハイドという駒は失われる。
私は駒でも打ち手でもなくなって、盤面に干渉する機会を永久に奪われるが、盤上遊戯に犠牲はつきものだ。
何度、重要度の低い駒を犠牲にしたことか。
何度、重要度の高い――しかし、勝利よりは価値がない駒を、切り捨てたことか。
そして私は、現実でもそうした。
今さら、打ち筋を変えられない。
私の順番が来ただけの話だ。
死ぬのが怖くないとも、嫌でないとも言わない。
今の生活は、責任が重いながらもそれに見合った贅沢ができるし、割と気に入っている。
そして、可愛い妹ができた。
だから私は、悪役令嬢として断頭台を目指す。
もしも妹が【月光のリーベリウム】のシナリオとまったく違う、貧しさに負けて心が歪んだ、公爵家に迎え入れられた途端に居丈高に振る舞うような、高慢ちきで浅はかな小娘だったら。
私は、運命に従ってなどやらなかった。
ヘボな脚本だと鼻で笑って、見えざる劇作家が描いた筋書きを放り捨てた。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主として、権力の椅子に座り続けることを選んだ。
でも妹は、シナリオ通り……いや、もっと可愛かった。
彼女が主人公なら、それだけでいい。
他がどんなに甘くても、そこは私がなんとかする。
アドリブを交えてでも、結末だけは変えさせない。
この舞台をぶち壊しかねない素人どもに、未来を変えさせない。
善良な妹に幸福を。
非道な姉に報復を。
私の妹に、幸福を贈る。
誰にも、邪魔はさせない。
「ね、お姉様」
レティシアが、何気ない様子で私を呼んだ。
私も何気なく、少し下にある妹の顔に視線をやる。
「私、さっき、いつか串焼きソーセージを食べたいと思っていたって、言いましたけど」
言葉を途中で切って、微笑みに変える。
全てを慈しむようなたおやかな笑みに、どきりとした。
「一番は、お姉様と一緒に食べたかったんです」
「……そ、う」
ちょっと声がうわずったか?
……多分、許容範囲。きっとそう。そうであれ。
「……っふふ」
レティシアがそれ以上は何も言わず、楽しそうに笑みをもらして――私の腕に軽く添えた手に、ちょっとだけ力を込める。
全意志力を総動員して、胸に湧き上がる、隣の妹を思い切りぎゅっと抱きしめてやりたい衝動を押し殺した。
――私は、断頭台を目指す。
目標に変更はない。
目標その一、【最後の舞踏会】。
目標その二、【断頭台】。
ありとあらゆる抵抗を排し、全てをあるべき未来へと。
私の妹に、幸福を贈る。
誰にも邪魔はさせない。
おおむね順調だ。
シナリオは、滞りなく……とは、とても言えないが、それでもまだ、おおむね『それらしい形』を保って進んでいる。
ただ、一つ問題があるとすれば。
うちの妹が、ゲームで見たどのシナリオより可愛くて。
あまりに可愛すぎて。
あんまりにも愛しすぎて。
目標達成の一番の障害になっていること……だろうか。




