領軍の噂話
第一王子殿下様の査察に、医師長の薬草園見学、"ユースタシア騎士団"騎士団長との合同演習。それにシエルとレティシアと共に領都周辺を見て回った視察……と、密度の濃い一週間だった。
王都に戻る日が来て、名残惜しい気持ちと、ほっとする気持ちが同居している。
「それではアーデルハイド様、道中お気を付けて」
馬車の前で、屋敷付きの衛兵と騎士を従えたユーディットに頷いた。
「ええ。ユーディット、今後もヴァンデルガントを頼みますよ」
私が儀礼を重視していないのであくまで今、屋敷の警備に配置されている者達だけだが、見送りに集められた領軍の騎士と兵士を見回した。
「――お前達も、私がいなくとも、ヴァンデルガントとヴァンデルヴァーツを守ると、誓いなさい」
騎士や衛兵長が、代表して返事をする。
「もちろんです、アーデルハイド様」
「変わらぬ忠誠を誓いましょう」
「留守はお任せください」
私の望みは、私亡き後、その忠誠がレティシアに向けられることだ。
馬車に乗り込む。
妹が後を追ってこないのに気が付いて、座る前に振り返って、一段高い所からレティシアを見ると、彼女は戸惑っているようだった。
「ええ、と……お姉様。馬車の席は……」
昨日冷たく当たったこともあって、距離感を測りかねているらしい。
……どう答えるのが正解なのか、分からない。
【月光のリーベリウム】のシナリオは、よくある恋愛物語だ。
それゆえにストーリーは『美味しい所だけつまみ食いする』方式で、細かい日常の描写は省かれている場合が多い。
姉と妹が、道中の馬車でどんな風に座るかなんて、どうでもいい情報だ。
隣は隣で気まずいし、一度シエルで隣を埋めたら正面に来られた。じっと見つめられるのは、それはそれできついものがある。妹が可愛すぎて。
シエルを隣に呼び、レティシアは斜め前に座らせるという案もあるが、なぜ正面ではないのかと聞かれたら答えられないし、そもそも正面とあまり変わらない気がする。
「……どうでもいいわ。行きと同じにでもなさい」
それが意味するのは、私の隣だ。
そして、馬車のマナーとして左手を差し出すと、レティシアは、昨日までつぼみだった花が開くように顔をほころばせた。
「……はい、お姉様」
そして私の手を取って、隣に乗り込む。
シエルが扉を閉め、かんぬきをかけてロックした。
「出してよろしいですか?」
「ええ、出しなさい」
シエルの言葉に頷くと、馬車が動き出した。
市中なので、ゆっくりと進んでいく。
馬車が出た後、領主代行のユーディットが領主の館へと戻り、残された衛兵達は持ち場へ戻る前に、今し方王都への帰途へ着いた自らの領主についての噂話に花を咲かせていた。
「腹違いの妹様が見つかったと聞いた時は驚いたものだが」
「ええ。まさかあの当主様が、と。本当は血が繋がっていない、何か……隠れ蓑のような立場かと思ってしまいました」
「まあな。でも、並んだところを見ればな」
「それに仲もおよろしいようで」
「シエルさんの影響かね。あの二人も姉妹みたいだから」
和やかな笑い声が広がる。
そこで一人の騎士が切り出した。
「仲がいいといえば、昨日の視察の話、聞いたか?」
「聞いた聞いた」
「俺、それ知らない」
「俺も、市中見回りの奴から聞いたんだ。酒場で喧嘩があったのは知ってるか?」
「ああ、隊商の護衛が酔って暴れたって……」
「詳細は調査中だけど、雇った護衛が荷物に手を付けた疑いがあるって訴えを出してた隊商と、関係があるんじゃないかって噂だな」
ざわめきが少し収まるのを待って、彼はとっておきのネタを披露した。
「それを取り押さえたのが、アーデルハイド様とシエルさんらしい」
知らなかった者達の間に驚きが広がる。
「昨日の視察って、三人で行かれた、市中の……」
「見た見た。可愛い格好してた」
「……休暇じゃなかったのか?」
「私も、お揃いの麦わら帽子で手つないでたから、てっきりお忍びで遊びに出かけられたんだと……」
「酒場のウェイトレスに変装して市井の情報を得ていたって聞いた」
「何をどうしたら公爵家当主がそんなことに」
「まさか最初から当たりをつけて酒場に……?」
一通り喋った後で、さあ続きを早く、という視線が、最初に視察の話を振った騎士へと集中する。
「レティシアお嬢様に、くだんの護衛達が酔っ払って絡んできたのを、アーデルハイド様が殴り倒したんだと」
「さすがアーデルハイド様。手が早い」
「待って。だから何をどうしたら公爵家当主がそんなことに」
「ヴァンデルガント騎士団仕込みは伊達じゃないなあ」
「俺がヴァンデルヴァーツ家っていうかアーデルハイド様にお仕えしてて良かったって思うのは、『なんでこいつ放置するんだ?』ってのがないんだよな」
「給料も待遇もいいしな」
「……アーデルハイド様が右手に包帯を巻かれてたのって……」
「ああ、馬車に乗る時に左手を差し出してたし、そういうことなんだろうな」
「姉妹仲がいいっていったらさ。合同演習に参加した奴らに聞いたんだけど……」
「あー、おほん」
そこで、赤い制服を着た初老の衛兵が、わざとらしく咳払いをした。
「あ……衛兵長」
兜には赤い房飾り。領主の館の警備を任されている衛兵長が、ぐるりと見回す。
「諸君。話は尽きぬだろうが、そろそろ持ち場に戻りたまえ」
「はっ」
「失礼いたしました」
衛兵長が厳格な顔を崩さずに続ける。
「……続きは後で、な。それと、儂がおらん時に話されたエピソードは後で教えること」
「はっ!」
「かしこまりました!」
その場の全員が、真面目くさった顔で、きびきびと命令に従って解散した。




