酒場の用心棒
私の拳をみぞおちに喰らった男が前のめりになって、酒場の床に沈んだ。
「手が早いな」
「え? え? 今何しました?」
「さすが品がない」
騎士団長、医師長、王子がそれぞれに反応する。
フェリクスは呆れ声だ。
ルイには一瞬すぎてよく見えなかったらしい。
コンラートは覚えてろ。
――私は確かに小娘かもしれないが、それでも領軍騎士の練成課程を終えているし、それとは別にシエルの教えも受けている。
倒れている男と比較すれば非力だろうが、急所に当てれば筋力は絶対的な要素ではない。
隊商の護衛という話だが、見た目で侮るとは二流以下だ。
しかし、力加減や当て所を意識せず、感情に任せて叩き付けた右の拳は、遅れてじんじんと痛んだ。
殴るつもりはなかった……と言えば嘘になるだろうが、あの瞬間に殴るつもりはなかったのは本当だ。
しかし、やってしまったものは仕方ないので、腕を掴んでいた男が倒れたことで自由になったレティシアの肩を抱く。
「大丈夫?」
「あ、うん……」
妹がこくりと頷く。いくら"裏町"出身でも、こういう荒事には慣れていまい。
……そうであってほしい。
「下がっていなさい」
私に続いて、後ろに【攻略対象】の男どもがやってきたのを察し、そっとそちらへ押しやる。
誰が妹の肩を抱くかで見えない攻防があったような気がするが、全員でレティシアの後ろに控える形で落ち着いたようだ。さすがにこの状況で争うほどの色ボケではなかったらしい。
絡んでいた男が殴り倒されたことで、テーブルを囲んでいた残り三人の男達が立ち上がる。
「何を、てめ……」
ドン! とブーツで板床を踏んで、口を開こうとした男の一人を黙らせる。
拳を握り、突き立てた親指でビッと自分を指して、力強く宣言した。
「カミラの店の"用心棒"だッ!」
「……違いますよね?」
「さすがに違うと思うが」
「彼女ならそういう可能性もあるんじゃないですかね」
ルイ、フェリクス、コンラート――外野がうるさい。特にコンラートだ。
そこで、目元以外を黒い布を巻いた覆面で隠し、同じく黒のマントを羽織って細身の全身を覆った、本物の用心棒も姿を見せた。
従業員の誰かが呼んでくれたのだろう。
目配せで任せてもらうように頼むと、彼女は頷いて控えた。
話したのは仕事前の少しだけだが、割といい腕だ。彼女のような用心棒が後ろに控えてくれていると、働くにも安心感があるだろう。
「きゃ、客にこんな」
「うちの従業員に不埒な真似をしてくれた時点で、客と認める理由がない。そこの連れと一緒にベルクホルンの雪で頭を冷やしてこいチンピラ」
「おい、そのセリフがチンピラっぽいぞ」
「あんな堂に入った脅し文句、初めて聞きました……」
「まあ彼女なら当然だと思いますよ」
フェリクスが言えた義理ではない。あいつは、世が世なら盗賊団の親玉がお似合いだ。
ルイは"放浪の民"としての場数を踏んでいるはずだが、宮廷医師団暮らしが長い。そういうことだ、多分。決して"放浪の民"時代や、医師を嫌う相手に言われたあれやこれやを含めて初めて――ではないはずだ。多分。
コンラートは重ね重ね覚えてろ。
男達の目が据わる。
私の、今なら罰金や通報ではなく店外退去ですませてやるという親切な忠告を、挑発としか受け取れなかったらしい。
酔っ払っていても、二流以下でも、隊商の護衛というのは本当らしい。荒事慣れしている。
男達が、私を半円に囲んで、じり……と距離を詰めた。
仕方なく拳を握りしめ……走った痛みの思わぬ強さに、右の拳は使えないと判断して、右手は軽く突き出すに留め、左の拳を握る。
利き腕が満足に使えなくても、相手が多勢でも、私の背後に妹がいる限り、退くという選択肢はなかった。
一触即発の雰囲気だ。
「この女、なめやがっ……」
景気づけに「この女、なめやがって。後悔させてやる」とかなんとか、お決まりのセリフを言おうとしたらしい男の声が、途中で途切れた。
ぐらりと倒れ、床に倒れている男が二人になる。
その男の背後に予想外の人影があった。
「……シエル?」
胸の大きく開いたディアンドルを、私と違って完璧に着こなしている姿も凜々しい彼女は、表情一つ変えずにたたずんでいた。
私と同じく一撃で沈め、しかし私と違って怒りに血が上ってでも、拳を痛めるようなやり方でもない。
右手を手刀の形にしているが、いつ男の背後に回り込んだのか。そして、いつ倒したのか。三人の男達を視界に入れ、動きに目を配っていたはずの私でも、まったく見えなかった。
……いや、多分、見えていたのにあまりにも自然で、そうと気付けなかった。
抜く手も見せずに一人倒した彼女の得体の知れなさに、残る二人の男達は対応を決めかねている。
「さすがシエルさん!」
「また見られるとは、長生きはするもんだねえ!」
そこに、とても無責任だが、同時にとても親しみのこもった野次が飛ぶ。
"カミラの店"の看板娘にして、不埒な輩を片端からちぎっては投げ、ちぎっては投げした"初代用心棒"。それが、ここでのシエルの立場だ。
顔の良さと凜とした立ち居振る舞いに加えて、その腕っ節の強さでもって老若男女問わず絶大な人気を誇り、開店間もない酒場の経営を軌道に乗せた影の立て役者でもある。
かつての私に対する視線がおおむね好意的なものだったのは、シエルとセットだったというのも大きいだろう。
そこで、後ろから肩を掴まれた。
反射的に振り払った手が止められる。
「コンラート?」
またも予想外だ。
「下がっていなさい。後は私達がやります」
「は?」
コンラートが、受け止めていた私の手を放り捨てるように離す。
そのまま歩いて行く彼を、追いかけて問い詰めようとしたところで、コンラートの隣にフェリクスが並んだ。
「私一人でも十分ですよ」
「ああ。まあ、一応な」
意外と息の合った様子で声を交わし合う二人。
混乱していると、軽く肩を叩かれた。
振り返るとそこにはルイの姿。
「あの二人に任せていれば、大丈夫でしょう」
「え、いや……」
別に私一人でもなんとでもなったし、シエルが加われば何の心配もない。
万が一に備えて妹を守りつつ、見学を決め込むものだと思っていたのに。
妹の身の安全さえ確保されていれば、文句もなかったものを。
相手を取り上げられ、奮い立っていた闘争心がしぼんでいく。
所在なげに数歩うろうろとした後、結局、ルイと共に妹の隣に並んだ。
新たに現れた乱入者に、残る二人の迷惑客はあからさまに顔を歪ませた。
特にフェリクスの方を警戒する。この、隊商の護衛のくせに相手の実力を見る目が足りていない奴らも、強敵と認めたらしい。
「引っ込んでろ、優男!」
そして、分かりやすく弱そうと判断されたコンラートが殴りかかられた。
コンラートは勢いの乗った拳を軽く左腕でいなし、握り込んだ右の拳で真下からその顎を打ち抜く。
男はがくん、と膝を突いて、ふらふらと揺れた後、横倒しにどうと倒れた。
倒れ方と顎が砕けていないことから、手加減はしたらしい。
「そういうわけにもいかないようで」
彼は腐ってもユースタシア王国の第一王子だ。
そして我が国は、かつて大国が倒れ分裂した際、周辺国を併合して生まれた軍事国家だ。
国内最強の戦士であれとまでは言われずとも、国王にはそれなりの強さが要求される。少なくとも、戦場に立って軍を率いた時に、恥ずかしくない程度には。
そして、彼はその要求水準を完全に満たしている。
私はコンラートに対して、幼少期から積み上げた因縁のせいで何かと割り引いて考えがちだが。
私と同様に、最高の教育を受けてきた過去がある。
意地っ張りゆえに努力家で、潔癖ゆえに汚い真似に頼らないでいいだけの能力を求めた。
それゆえの、王位継承権第一位。
かつての私にとっての爵位継承権第一位と同じように、生まれながらに与えられた地位であり、自らで勝ち取ったものではない。
それでも彼は、一度も順位変更を噂されることなくここまで来た。
「いいぞ、にいちゃん!」
「やるじゃねえか!」
体格差を覆して一瞬で決めたコンラートに声援が飛ぶ。
混乱しながらも、行事の際の国民に対するアピールが染みついているのか、笑顔で手を振る第一王子殿下(お忍び)。
次期国王には後ろで大人しくしていてほしいなとも思うのだが、公爵家当主の身で視察中に酒場でウェイトレスとして勤めた挙げ句、絡まれた妹を助けるのに拳を使った立場で言えた義理ではなかった。
「っ……」
「なんで来る」
残り一人になった男が、混乱したのか、フェリクスに襲いかかった。彼も困惑気味に応戦する。
拳がフェリクスの胸に当たるが、その前にがしりと肩を押さえられていて、まったく威力が出ていない。
「まあ、仲良く寝ていろ」
最後の男は、そのまま腹に拳を入れられ、白目をむいた。
肩を支え、床に寝かせる姿は場慣れしていた。
一応は先に殴らせているあたりなど、喧嘩にどう勝つかより、自分が勝つのは当然で、通報された後に自分の方が被害者だと言い張れるようにする類の手練手管だ。こいつ本当に騎士爵位をお持ちの騎士団長か?
と、やはり公爵位をお持ちの当主である自分のことは棚に上げた。
鮮やかな手際に、再び歓声が上がる。
カミラの店は客筋がいい方だが、所によっては乱闘は当たり前で、負けた方が迷惑料や店の修理代を払わされるような店もある。
酒場なのだから当然だが、だいたいの客は酔っているし、他人の喧嘩は関係ない者からすれば、無責任に楽しめる娯楽だ。
「アーデルハイド様」
ルイが後ろから小声で名を呼ぶ。
「ここではアデル、と」
振り向くと、真剣な表情で手を差し出された。
「では、アデルさん。手を診せてください」
「…………」
さすが宮廷医師団の医師長、と言うべきか。
悟られないようにしたつもりではあったが、痛みを隠す患者にも慣れているのだろう。
そこへシエルがやってきて、客の視線から隠すように私の背後に立つ。
「ありがとうございます。ですが、後は私めが。裏には薬もあります。また必要ならば、手と知識を貸していただきたく」
「そうですか。分かりました」
あっさりと頷くルイ。
「では、アデル」
ぽんと肩に手を置くシエル。
「……控え室に行きましょうか?」
そろりと振り返ると、いつもの無表情の奥に揺らめくような怒りを覗かせる当主補佐の姿があって、私はそっと視線を元に戻した。
「……はい」
さっきのような、ガタイのいい自称隊商の護衛の男達に囲まれることなんかより何より、今は、私の養育係にして教育係に怒られるのが怖かった。




