謎の転校生とか求めてないから 2
教室にはいると、光則が微笑んでいた。
これ以上ないくらいに微笑していた。
とてつもなく嫌な予感が背筋を走り、実剛は回れ右をした。
その瞬間、後ろを歩いていた佐緒里とぶつかる。
ごつんと額が景気のいい音を立て、少年の目から星が飛ぶ。
「なにをやっている? ギャグ?」
まったくダメージを受けていない佐緒里が、うずくまる実剛を見おろした。
その隙に近づいた光則が肩に手を回す。
「実剛くぅん。宿題やってきたぁ?」
猫なで声。
これ以上ないくらいの猫なで声だった。
目に涙をためたまま頷く。
「写させて♪」
「お断りだ♪」
「そこをなんとか♪」
「自分でやれよ♪」
音符とか飛ばして、すごくフレンドリーな会話であるが、光則の左手と実剛の右手が鞄を引っ張り合っている。
とてつもなく低レベルな戦いだった。
「邪魔。さっさと席に着け」
男たちの襟首をむんずと掴んだ佐緒里が、そのままずるずると引きずって席に向かう。
「おうおう佐緒里。ずいぶん余裕じゃねえか。お前だって俺の仲間だろ?」
引きずられながら、偉そうに腕を組んだ光則が言った。
なにしろ成績はたいして変わらない二人である。
ダメ人間は仲間を増やしたがるのだ。
「いや。できている」
「マジでっ!?」
「写させてやろう。坂本光則」
しかも寛大だ。
「おおう……かみさまほとけさまさおりさま……」
なむなむと手を合わせる少年。
「鬼のあたしには、その称号は褒め言葉ではない」
「でも佐緒里さんずっと遊んでなかった? いつやったの? 宿題」
解放され、席に着きながら実剛が首をかしげる。
「???」
どうしてそんなことを訊かれるのか判らない、という表情の鬼姫。
五体投地している光則にノートとプリントを渡す。
もったいぶるようなところは一切ない。
男前である。
「や、だから宿題さ。やってきたんでしょ?」
「やってないけど?」
「できてるっていったじゃんっ」
光則が喚く。
白紙を渡してどうする……と思って視線を落とすと、ちゃんと答案は埋まっていた。
「あれ?」
「できているとは言った。やったとは言っていない。巫実剛のを丸写ししただけ」
「よっしゃっ 良くやったっ」
「いつ写したのさっ」
少年たちが同時に言う。
そりゃもったいぶるわけがない。自分でやっていないのだから。
労力などゼロに近い。
気前だって良くなりますよ。
嬉々として自分の席へと戻ってゆく光則を尻目に、佐緒里が小首をかしげた。
「いつかと問われれば、昨夜と答えざるを得ない」
「昨夜……」
「せめて最後の夜くらいは思い出を作ってやるっ と喚いた巫実剛が芝絵梨佳を夜中の散歩とやらに連れ出した隙に、部屋を漁った」
「勝手に部屋に入らないでよ……」
「問題ない。エロ本には手を着けていないから」
「……ありがとうございます……」
がっくりと項垂れる実剛。
「具体的には、引き出しの三段目の二重底の下には手を着けていない」
「みたんじゃないかっ」
「見てはいない。ここにあると確認しただけ」
隠し場所を変えなければ。
むしろ部屋にカギをつけなければ。
ぶつぶつと呟く。
「いずれにしても、二人が戻るまでに片を付ける必要があったので、余計なことをする時間はなかった。まさか三時間も戻らないとは思っていなかった。昨夜はお楽しみでしたね?」
可愛らしく小首をかしげる。
音を立てそうな勢いで少年の頬が染まる。
「なななななにをいってるんだよさおりさん。ななななにもあるわけないじゃないか」
「夜中に二人きりで出掛けて三時間。何もなかったと宣うのか。実剛」
背後からかかる声。
立ちのぼる漆黒の闘氣。
気配を読む力などもっていない実剛だが、判る。
判っちゃったんだから仕方ない。
左の首筋に、なにやら冷たい感触まであるし。
おそるおそる視線を動かす。
現出した砂剣が、ぴったりと首に添えられていた。
ただ一分の隙もなく。
「あ、あのですねっ 光則さんっ 教室でチカラを使うのは拙いですよっ」
「ああ。そうだな。ごめんよ」
口では謝っている。
でも砂剣はそのままだった。
「光則ぃ……」
「おお。悪い悪い。で、何をしていた?」
やっぱり消さない。
殺る気満々だ。
「何もしてないって……」
「実剛……俺たち親友だよな? 残念だよ? 友に嘘を付かれるなんて」
ミクロン単位で近づいてくる砂の剣。
皮膚がちくちくする。
やばい。
ホントに斬られそう。
「まってまってっ 話せば判るっ」
二・二六事件の犬養首相みたいな事を言ってる。
ちなみにその例だと、問答無用という返答が返ってくるのだが、光則はクーデターを起こした青年士官たちよりは温厚なようだった。
「そうか。話してくれるのか」
妙に平坦な声。
怖い。
がっつり怖い。
吐かないと殺される。
「散歩して、公園のベンチでおしゃべりした」
「それだけか?」
「…………」
「質問しているのだが?」
「ひぃぃっ き、キスをしましたっ それだけですっ」
教室で白状させられた。
真っ赤っかになる実剛。
光則は反応がなかった。
ゆっくりと振り返ると、笑っている。
笑っているのだが、とても怖い。
こういうのを、たしか……。
「笑顔般若っ!?」
「よくも従妹を傷物にしてくれたなっ」
振り上げられる砂剣。
一瞬の隙を突き、脱兎のごとく逃げ出す実剛。
「傷物いうなっ 僕たちは許嫁だっ」
「うるさいっ そっ首叩き落として、その目に首のない自分の体を拝ませてやるわっ」
追いかけっこが始まった。
朝からにぎやかなことである。
「宿題写さなくていいのか?」
なまあたたかい目で見守っていた佐緒里が、光則の席に移動してさらさらと転写を始めた。
「あれはどちらに嫉妬してるんだろう。いや、人間じゃなくて先を越されたことに怒っているのかも」
自分に向けられる好意にはちっとも気づかない。
いい気なものである。
「まあ良い。鬼は気が長い」
萩は、変化を百五十年待った。
さすがにそこまでは待てないが、一年や二年くらいならば、どうということもない。
「萩に逃走はないことだ」
呟いて、ペンを走らせる鬼姫だった。
「はじめまして、だな。澪の王」
「ああ。お初にお目にかかる。新山総理」
握手が交わされる。
澪の端に存在する温泉ホテル。
美肌の湯が売り物だが、もちろん中年男ふたりにはまったく関係がない。
「澪の軍師。手数をかけたな」
信二にも挨拶する総理大臣。
今回の会談には、魚顔軍師の骨折りも大きかった。
澪と政府を結ぶパイプ役として、八面六臂の働きをしたのである。
軽く会釈し、押さえてある会議室に一同を案内する。
首相の随員は秘書が一名のみ。
対する澪陣営は、暁貴、鉄心、沙樹、信二の四名だ。
非公式な会談である。
だが、今後の両者の関係を占う、非常に重要な話し合いであろう。
敵となるか、友となるか。
良き隣人となるか。
無関係な他人の立場を貫けるのか。
「あらためて、ようこそ澪へ」
全員が着席するのを確認し、澪の王が口を開いた。




