モンスター 3
真っ青な顔をして、美鶴が洗面所から戻る。
道庁一階のロビー。
知事との会見を終えた直後、女子中学生は体調不良を訴えたのである。
「ごめん……兄さん。信二さん。ぜんぜん役に立てなかった」
付き添っていた絵梨佳に支えられながら、呟くように謝罪する。
「気にすることはありません。俺もかなりぎりぎりでした」
いたわるような軍師の言葉。
いかに聡くとも、美鶴はまだ中学生だ。
あそこまでどぎつい悪意の渦に晒されては、嘔吐くらいはするだろう。
むしろ知事室ではよく我慢したと褒めてやりたいくらいである。
人間の方が怖ろしいと実感する。
無言のまま、実剛が妹の頭に手を置く。
「きつかったね。僕もかなりまいった」
「兄さん……」
「気分転換に、今夜は美味しいものでもたべようよ。札幌といえば」
「味噌ラーメン」と、信二。
「ジンギスカン」と、佐緒里。
「ばいきんぐっ」と、光。
「え、そういう流れですか? じゃあ大通公園の焼きトウモロコシ」
やや慌てて絵梨佳が提案する。
当然のように、うしろふたつは却下だ。
べつに食べ放題など、札幌でなくても食べられるし、夕食がトウモロコシというのはわびしすぎる。
「みんな……」
くすりと笑う美鶴。
仲間たちの不器用な気遣いがおかしくもあり、嬉しくもあった。
「ラーメンはいつも食べてるから、肉にしましょう」
明るい口調で言う。
「いや、肉だっていっつも食ってるからっ」
すぐに食いつく光。
阿吽の呼吸というやつだ。
「判ってないわね。豚と羊では趣が異なるのよ」
「おもむき!? 難しい言葉でこんらんさせようとしているなっ その手にのるかっ」
じゃれあいが始まる。
おそらく少年は意識してやっているわけではない。
それでも場の空気を変えてくれる。
ウインドマスターとはよくいったものである。
とはいえ、ロビーでわいわい騒いでいれば、
「君たち。もう少し静かに」
警備員に咎められるのは当然だ。
恐縮しつつ、すごすごと逃げてゆく一行。
結局、夕食はビール園ということになった。
誰かがいった。
人生の悲劇はふたつしかない。
ひとつは肉が食えない悲劇。そしてもうひとつは肉を食いすぎた悲劇。
世の中は肉だ。肉が悲劇を産む。
「佐緒里さん。なにを言っているか判らないよ。いつものことだけど」
勝手なモノローグで話を進めようとする鬼姫に実剛が突っ込む。
まったく、こんどはなんの台詞をバクったんだか。
「とはいえ、ビール園にきてビールを飲まないのは間違っていると思いませんか?」
大げさに溜息を吐く軍師どの。
「肉が食えればいいさぁ。食べ放題っつーじゃん」
「札幌はもう眠れない」
「光くんと美鶴ちゃんって、どこにいってもそれだよねー」
残念ながら、信二の慨嘆に同調してくれる仲間はいなかった。
みんな未成年だから。
まあ、あと何年かすれば十八歳で成人ということになるのだろうが、現行法で飲酒を許可された者はひとりもいない。
札幌は中央区。中島公園の近くにあるビール園。
ちなみに他にもいくつかビール園がある。それぞれの酒造メーカーが出しているのだ。
もっとも、酒を呑んではいけない六人にしてみれば、どこのビール会社のものだろうが関係ない。
道庁からのアクセスで選択しただけだ。
大ホールはかなりの広さで天井も高い。
案内された席も、六人で座るには広すぎるほどである。
「ラム肉って食べたことないんだよね。僕も美鶴も」
東京っ子には、たしかに馴染みがない。
けっこうクセがあると聞くが、どうだろう。
「え? 私あるけど?」
きょとんとした顔で答える美鶴。
「いつさっ!?」
狼狽する兄。
同じ家に住み、同じ食事をとっているはずなのに。
「光とデートしたとき。函館の焼肉屋さんで」
「……いろいろつっこみたいんだけど、なんでデートで焼肉なんだよ……」
「基本的に食べ放題しかいかないよ? 私たち。ね、光」
「ああっ 当然だぜっ」
すでに肉を焼き始めている光が応える。
当然らしい。
中学生カップルのデートとして、チョイスがすごくおかしい気がする。
なんか長年連れ添ったパートナーみたいだ。
「絵梨佳ちゃん。僕たちはもう少し雰囲気のあるところにいこうね」
「そうですね。せめてデザートバイキングにしましょう」
「食べ放題から離れようよ……」
良い匂いが漂ってくる。
たしかにちょっと独特だ。
「御大将。そのへんはもう焼けてますよ」
ジョッキを片手に信二が教えてくれる。
「あ、いただきます。って、信二先輩呑んでるんですかっ」
「いいえ? これはノンアルコールビールです。せめて雰囲気くらいは味わいたいと思いましてね」
「人間どもの法になど縛られない」
佐緒里が持っているのもジョッキだ。
これもノンアルコールビールだ。
すくなくとも本人はそういっている。
「ホントにノンアルなんだろうな……」
ぶつぶつ言いながらも、実剛が料理に箸を付ける。
「ん。これは独特だね。でも美味しい」
たれをくぐらせたラム肉。
たしかに独特の風味があった。
好みは分かれるだろうが、なかなかに悪くない。
「馴染みのない味ではあるけど、好きになったら定期的に食べたくなるね。これは」
美味い。
箸が止まらなくなる。
澪豚とはまた違う味わい。
「でも、わたしは澪豚の方が好きですね」
隣では絵梨佳もせっせと料理を口に運んでいる。比較的野菜を好んでいるようだ。
光と美鶴は食欲魔神モードになってしまったので、もはや一言も発しない。
どうでも良い話だが、ふたりともよく食べる。
美鶴などは、家では普通の量しか食べないのだが、光が一緒だと何かのスイッチが入ってしまったかのような食欲を見せるのだ。
「なんかさ、絵梨佳ちゃん」
「はい?」
「あのふたりが将来結婚したら、エンゲル係数が大変なことになりそうだね」
「くちばしですか? 銀しか出たことないですよ?」
「なにを想像したのかだいたい想像は付くけど、家計に占める食費の割合ね。エンゲル係数は」
「知ってましたー 試したんですー」
むぅと頬をふくらます。
可愛い。
ほっぺたをつっつきたい。
必死に欲望と戦う実剛。
その努力をあざ笑うかのように、佐緒里が両手で絵梨佳の顔を挟む。
おもいっきり。
ぶーっと息を吹き出す美少女。
「ひょっとこ」
「なんで他人の顔で顔芸するのっ」
顔を振って逃れた絵梨佳がいきり立つ。
「風船を見ると割りたくなるだろう?」
「すごい当然のことみたいにいうなっ そんなの佐緒里さんだけよっ」
「是非もない」
大騒ぎ。
やれやれと肩をすくめた実剛。
ふと視線を巡らすと、こちらに近づいてくる人影がふたつ。
制服警官だ。
いつもの職務質問だろうか。
面倒なことだと思いながら待ちかまえる。
「君たちは未成年だな」
警察手帳を見せながら、一方が確認する。年の頃なら伯父と同じくらいだろうか。
もう一方は若い。20代前半かな、と素早く観察する。
「未成年ですが、公務中です」
澪町の公印の入った吏員証を提示する少年。
事情を知る人間であれば、街の名前だけで通用するだろう。
「なんだこれは?」
不審そうな顔をする警官A。
知らない方の人間らしい。となると、店が通報したか。
「お疑いでしたら、澪町役場に確認してください。町長の全権を委任されていることを証明してくれるかと思います」
なんでしたら電話もお貸ししますがと付け加える。
「子供がこんな時間に繁華街でうろうろするのが公務のわけないだろう」
「食事くらいしますよ。公務中だって」
「ビールまでつけてか」
「ノンアルコールです」
やたらと食い下がる警官。
実剛としては気が気でない。佐緒里が激発するんじゃないかと思って。
「とにかく、話は派出所で聞こう。一緒に来なさい」
ずいぶんと強硬だ。
知らないという証拠だろうが、かえって厄介である。
仕方なく実剛が席を立つ。
こんな場所で撃退してしまうわけにもいかないから。
「かまいませんよ。ただ、僕には職制上、護衛官がひとりつきますので、ご了承ください」
絵梨佳に視線を投げる。
頷いて立ちあがる婚約者。
「先輩。あとを頼みます。先にホテルに戻っていてください。あ、領収書も忘れないでくださいね。澪町役場宛で」
軽く頷く軍師。
だれも危機感など抱いてはいなかった。




