四方八方敵だらけ 9
結論からいうなら、判っていなかったのは信二の方だ。
人間は弱い。
それは事実だ。
同サイズの動物の中では最弱といっても過言ではあるまい。
では、獅子の牙も、虎の爪も、豹の俊足も、象も巨体ももたない無毛の猿たちがどうやってこの星の覇者となれたのか。
曰く、知恵の力である。
強敵との戦いの歴史といっても良い人類史。
それは同時に敗北の歴史であり、最終的な勝利の歴史だ。
そう、人間は必ず勝つ。
山を削り、大気と海を汚し、地母神の肉体をいたぶりながら街を造り、文明を築いてきた。
それが進歩だ。
もし畏れ敬うことしかできなかったのなら、これほどの物質文明を作り上げることはできなかっただろう。
知識を蓄え次代に繋ぎ、自分を環境に合わせるのではなく、環境そのものを自分たちに合わせさせる。
それが人間の持つ最大の力。
戦いに敷衍すれば、敗北から戦訓を取り入れ次の戦いに活かすということである。
先日、澪に対して行われた襲撃。
御劔が察したことにより事なきを得たが、事後処理がまずかった。
沙樹が拉致されたタイミングと重なってしまったため、捕らえた敵をただ解放してしまったのである。
情報が流れた。
それはけっして多くのものではない。
だが、考古学者はたった一つの岩石から、その時代にあった出来事をありありと想像することができる。
諜報機関も同じだ。
能力者が探知系の能力をもっていないことも、知られてしまったひとつである。
次々に無力化されてゆく第一隊。
殺しはしない。
ある程度のダメージを与えて意識を奪い、炭素繊維が練り込まれたワイヤーで拘束してゆく。
救援を呼ばれないよう猿轡を咬ませて。
人道的見地からでは、むろんない。
「いいか。絶対に殺すな。必要以上のダメージを与えるのもNGだ。奴らを本気にさせるなよ」
リーダー格の男が、再三に渡って指示する。
これもまた、人間たちが得た戦訓だ。
澪の血族は、よほどのことがない限り人を殺さない。
激戦のさなかにあっても殺さないよう手加減している。
殺す殺すと口では言いながら、致命傷を与えないよう気を遣っているのだ。
これは、身体能力に差がありすぎるゆえの余裕でもあるし、本質的な彼らの優しさでもある。
ただし、例外もある。
仙台で街のチンピラが巫の姫を誘拐したときだ。
結果的にチンピラどもの息の根を止めたのは寒河江の戦闘部隊であったが、彼らの到着が数分遅れていれば、守人が殺していただろう。
なんの躊躇いもなく。
この情報は、人間たちにファウルラインの存在を知らしめた。
彼らは仲間の死や尊厳にたいして、非常に敏感である。
したがって、そこに触れてはいけない。
犯す、殺す、などの行為は厳禁だ。
本気で怒らせてはいけない。
油断させ、慢心させ、余裕ぶらせることによって人間側に勝機がうまれる。
「ようするに、騎士道精神に則って戦う限り、奴らはこっちの水準に合わせてくる、ということだな」
それが澪の怪物たちの弱点だ。
六人目の能力者を気絶させ、男が呟く。
相手が本気を出さないうちに、こちらは本気で行動し、目的を遂行する。
霊薬と、その製法さえ手に入れてしまえば、澪の血族など恐れるに足りない。情報では量産型能力者のポテンシャルは、能力者のそれに劣るらしいが、絶望的な差というわけでもない。
事実、萩から寒河江に走った量産型能力者が、生粋の能力者を二人も連破した。
ようは戦い方次第というわけだ。
「こちらアルファワン。ターゲット撃破。これで外は片づいた。あとは邸内に侵にっっ!?」
交信の途中で無線機から手を離し、大きく飛びさがる男。
一瞬前まで彼がいた空間と無線機を矢が貫き、地面に刺さる。
どこから攻撃された!?
立木を盾にしながら、コマンドクロスボウを構える。
次の瞬間、彼は再び飛びさがった。
地面に縫いつけられる黒塗りの石弓。
「くっ」
脇のホルスターへと手を伸ばす。
「やめたほうが良いでしょう。その拳銃を抜いたら、持ち物を射抜くだけでは済まなくなります」
森の中に響く女の声。
「何者だ?」
「薄五十鈴。あなた達のデータにはない程度の小者です」
声は聞こえる。
姿は見えない。
「萩の能力者ではないというのか」
たしかにデータにはない名だ。
「こちらに名乗らせておいて、あなたは名乗らないのですか?」
「……名乗るほどの家名も持っていない。自衛隊くずれの猟犬だ」
「そうですか。では猟犬さん。おとなしく引き返してください。なるべくなら人間を殺したくはありませんので」
「それはできない相談だなっ」
言葉と同時に身を屈める。
コンマ一秒の時差をおいて、彼の頭があった位置を通過する矢。
足首にくくりつけてナイフを引き抜き、伸び上がりざまに投擲する。
立木に突き刺さるソローイングダガー。
ゆらりと風景が揺れる。
右肩からごくわずかな血を流した少女が現れた。
「いや……現れたんじゃない。最初からそこにいたのか」
「認識阻害。いるけどいない。私たちが長い年月をかけて身につけた技です」
少女が口を開く。
「ただの人間……だと?」
呻くように呟く男。
異常な気配など感じない。
多少の訓練を積んだだけの人間にしか見えなかった。
「ただの人間ですよ。あなたたちとなにも変わりません。ですが、私たちは隠れて生きなくてはならなかった。どうしてだか判りますか?」
「勇者の……末裔……」
「はい。先祖代々、正義の味方をやってます」
にっこりと微笑む五十鈴。
その笑みに悪意を感じないものがいるとすれば、三歳以下の幼児くらいのものだろう。
忘れない。
燃え落ちる家々。
無惨に殺された村の人たち。
夢も未来も、何もかも奪い尽くしたのは人間だ。
当時、五十鈴は六歳だった、
竜殺しの勇者の末裔たちが住む隠れ村。
異能を持つ者がおり、それを政敵に利用されるのはまずい、という理由だけで滅ぼされた村。
生き残ったごくわずかなものたちは、散り散りに逃げた。
五十鈴もまた母親に抱かれて落ち延びた一人である。
以来十数年。各地を転々としながらその日の食べ物にも困るような暮らしを強いられてきた。
「判りますか? 猟犬さん。私けっこう我慢してるんですよ。復讐はなにも生み出さないって知っていますから。実剛さんが居場所をくれましたから」
でも、と続けた。
「これ以上、あなたのような人の顔を見ていると、なけなしの自制心が弾け飛んでしまいそうです。消えてくれませんか? 私のいる世界から」
弓弦が引き絞られる。




