僕、夏になったら海水浴に行くんだ…… 9
副町長室に入ってきた人物。
五十代の後半に見える柔和そうな女性だ。
デスクから立ちあがり、迎え入れる暁貴。
「わざわざのお越しいただき、感謝に堪えません。知事」
右手を差し出す。
だが女性は応じなかった。
「モンスターと握手する趣味はありませんので」
「そうですか。恐縮です」
顔色ひとつ変えず、身振りでソファを勧める。
とくに謝意も示さず腰掛ける北海道知事。
「賑わっていますね。この町は」
「海開きですからね。観光客も大勢きてくれているようで、ありがたいことです」
「怪物が支配する町に観光ですか」
「物好きが多いことですな」
ごく軽いジャブの応酬。
沙樹が冷たい飲み物を運んできてテーブルに置く。
「どうぞ。毒入りの麦茶です」
「ありがとう。毒は大好物ですよ」
言いつつ、知事は手もつけない。
本当に毒殺を恐れているからではなく、人外が振る舞うものなど口に入れる気になれないのだろう。
暁貴の斜め後ろに立つ沙樹。
知事の背後にも二名の男。秘書という名のボディガードだ。
「それで、本日はどのような御用向きで?」
わかり切ったことを訊ねる。
「澪が違法な手段で多額の資金を得ているとの噂があります」
知事の言葉に暁貴が微笑した。
「そちらの話ですか。てっきり職員を虐待しているとか、そういう話かと思っていましたが」
「そのような話もありましたね。ですが、どうでも良いことです」
「でしょうね」
知事にとって、片田舎の職員がどうなろうが知ったことではないだろう。
町職員には業腹だろうが、残念ながら優先順位としてはかなり低い。
そんなものより、大切なのは金だ。
澪以上に、北海道そのものが借金にあえいでいるのだ。
このあたり、なかなか笑える構図ではある。
澪は借金に苦しみ、澪に金を貸している北海道も借金に苦しみ、北海道に金を貸している国も借金に苦しむ。
そんな状態で、ではだれが金を持っているのかといえば、やはり国なのである。
一般会計ではなく特別会計を見れば一目瞭然だ。
「それで、知事は金の無心にきたのですか?」
「無心ではありません。供出しなさい。あなた達が不当に得たものをすべて」
貸せではなく、よこせといっている。
たいしたものだ。
この厚顔さが無ければ、北海道という巨大な組織を、十年以上に渡って恣にはできないだろう。
「もちろんお断りしますよ。というか、その資金の出所はあなたのいうモンスターの懐ですが。そのへんはよろしいのですか?」
「モンスターに金を持たせておくよりはマシですからね。仕方なく私たちが活用してあげるのです」
「なるほど。つまり知事はケンカを売りに来たと、そういうわけですな」
「いいえ? ケンカになどなりませんよ。這いつくばって許しを請うしか、あなたたちには道がないのですから」
「ふむ……」
小首をかしげる暁貴。
知事の態度は些か強気すぎではないだろうか。
「知事の勇気は驚嘆に値しますが、敵地でその態度は感心しませんな。私が激したら、あなたは無事に札幌には帰れませんよ?」
「そんな仮定は不要です。あなたが私を害することなどあり得ませんからね」
今度こそ、巫の当主が当惑する。
ありえないと思う根拠を、ぜひ聞いておきたいところだ。
「どうしてそう思われます?」
「あなたたちは澪の発展を願っているのでしょう。だったら北海道の協力が不可欠のはず」
逆らったら容赦しない。資源も物資も澪に流通しないようにしてやる、と、こういうことだ。
なるほど。
理解した。
この知事は根本的な部分を誤解している。
「まずは勘違いを正しておこうか。知事さん」
口調を尊大なものに変える暁貴。一地方の代表者だと思って丁寧に接してきたが、どうやらこいつも度し難い人間族のひとりにすぎないようだ。
「俺たちは、この地に住まう人間のために力を貸してるんであって、べつに俺個人としては、澪が滅びようが日本がなくなろうが、知った事じゃないってのがひとつ」
指を一本立てる。
「もうひとつは、協力なんぞなくても物資を手に入れる方法はいくらでもあるってこと」
さらにもう一本。
進むごとに、知事の顔色が悪くなってゆく。
当然である。
前提条件が違うと思い知らされたのだから。
自分たちのために澪を発展させようとしているわけではない。発展しなかったところでべつに澪の血族は困らない。
完全に、百パーセント、人間たちのためだけにやっているのだ。
「だからさ、北海道も苦しいんで金を貸してくれないかって言ってきたなら、俺たちとしては交渉の余地はあったんだよ」
肩をすくめる。
北海道の今年度予算は三兆円弱。澪の今年度の資金は二十兆円。
そもそも資金力で勝負にならないのだ。
「まあ、まず借金は返すわ。耳を揃えてな」
二百億円以上の借金。いまとなっては端金である。
「その上で、だ。どうするよ。知事さん。あんたはこの澪とどういう縁を結びてぇんだ?」
敵として戦うか。
手を取る仲間となるか。
それとも、無関係な隣人となるか。
「そう難しい選択じゃねえと思うよ? 俺としては二つ目を選んでくれるのが一番嬉しいがね」
「……重大事ゆえ即答しかねます。少し時間をいただけるかしら。巫の当主」
副町長、とは言わなかった。
知事は理解したのだ。
北海道の知事として、澪の副町長と話すのではない。
この島の主権者として澪の血族を束ねるモノと話さなくてはいけないのだ、と。
「どうぞどうぞ。ところでお泊まりは澪で?」
「函館に宿を取りました。明日、また顔を出します」
「すまんね。うちにゃ迎賓館もなくて。近いうちに作る予定なんだが」
「迎賓館よりさきに庁舎をなんとかしたらどうかしら? この季節にエアコンすら無いなんて、すこし驚きです」
「いやあ、なにしろ古いもんで」
澪役場の庁舎。
築四十年を超える老兵である。いままでは改築する金もなかった。
苦笑を交わす暁貴と沙樹。
この日の会談で、はじめて一本取られた格好である。
波の音が聞こえる。
幾万幾億の波濤が寄せてはかえす音。
星明かり。
太古から変わらない光景。
幾万年の昔から繰り返される星の営み。
それらには本来、意味などない。
太陽が昇ること、月が沈むこと、風が吹くこと、雨が降ること、すべて自然の理だ。
意味を見出すのは、ひとの心である。
「不思議ですね。このまえまで誰もいなかったのに」
少女が言った。
夜の澪海岸。
つい先日まで、夜にこんな場所を訪れる酔狂者は誰もいなかった。
だが、今は違う。
たくさんのテントが立ち、あちこちで焚き火が行われ、笑いさざめく声や歌声が聞こえる。
紛れもない人の気配。
「成功の証なんだけどさ。やっぱり初日に遊びたかったよね」
少女と手をつないだ少年が苦笑を浮かべた。
実剛と絵梨佳である。
すっかり日も沈んだこんな時間に海岸を散歩するのは、まさに未練だろう。
あれだけ頑張って準備したのに、自分たちは遊ぶことができなかった。
それがホスト側の宿命である。
「明日こそ一緒に遊びましょうねっ」
さすがに連日の勤務はない。
明日は一般生徒たちが交代で店番をすることとなっている。
アルバイト代がでるので、けっこう希望者多数だった。
もちろん実剛たちもただ働きではない。
「だね。たまには二人きりで」
わりといつも二人で行動しているくせに、勝手なことを言う実剛。
ぎゅっと手を強く握る絵梨佳。
どきりとする。
「絵梨佳ちゃん……」
「囲まれています」
返ってきた声は、ごくわずかな緊張を孕んだものだった。




