僕、夏になったら海水浴に行くんだ…… 3
覚悟をもった言葉。
量産型能力者のチカラなど限られている。特殊能力者とまともに戦えば相打ちにすらならないだろう。
村井のような例を除けば。
それでも佐藤教諭は、自分がブレーキになるといった。
命を賭けるということだ。
「茨の道ですよ? 人間たちからは人外に尻尾を振る裏切り者として恨まれるでしょう」
そして能力者たちからは、主君に意見をぶつける生意気な奴と見られるだろう。
損な役回りだ。
「教師だもの。誰に強制されたわけでもなく、自分の意思で教職の世界に飛び込んだんだから、覚悟くらいとっくに完了してるの」
透明な笑顔を浮かべる女教師。
本物の教師か、と、実剛は内心で襟を正した。
高木に出会ったときの暁貴と同じ思いだ。
生徒を導くのが教師の仕事。だから聖職といわれた。しかし、そんな時代が過ぎ去って久しい。
現在の教師の多くは教育技術者でしかないし、それ以上を求められる筋合いもない。
だが奈月は違った。
愚直なまでに、理想の教師像を追いかけようとしている。
「僕が間違ったときは、殴ってでも止めてください」
深々と頭を下げる実剛。
女教師が笑う。
「不安がないわけじゃないの。その霊薬って副作用とか本当に大丈夫なの?」
「まったく無いわけではないらしいですよ? 代謝系が活性化するから便秘をしなくなるとか。燃焼効率が良くなるんで内臓脂肪が付きにくくなるとか。あとは視力が良くなるとか吹き出物ができなくなるとか。しょーもないものばっかりですけど」
ダイエットサプリみたいですね、と苦笑する実剛に、ぐいと顔を近づける奈月。
「ほんとに?」
夢の薬ではないか。
常人を超えるチカラを身につけ、ついでに健康になってしまう。
「え、ええ……」
かっくんかっくんと頷く。
怖い。
なんかわかんないけど怖い。
「極秘扱いなんで資料はあげられませんけど、萩の研究施設でちゃんとした説明は受けられますんで」
怖いので、担当者に丸投げすることにした。
「わかったわ。後で確認します。安全が確認できるまで生徒たちに使わせるわけにはいかないもの」
なるほど。
安全性の問題か。
大きく頷く実剛。
やはりこの女性は本物の教師だ。まず生徒たちの安全を考えるなんて。
奈月への評価を再び上方修正する。
「ともあれ、これからよろしくお願いします」
右手を差し出す。
女教師が握り替えした。
無駄に力強く。
霊薬と称させるモノを使用するにあたって事前説明を受けたい。
その提案自体は妙でも珍でもなかったので、萩家は快く受け入れた。
ただ、研究施設そのものは秘中の秘であるため中に入ることはできない。これもまた当然の警戒である。
第二第三の村井が生まれたら、大変なことになってしまう。
データが渡った先が寒河江だったから良かったものの、日本政府や海外の軍需産業だったら、本気で歴史が変わってしまうのだ。
そのような事情により、説明会は澪高校で行われることとなった。
放課後である。
会場となった会議室には、奈月をはじめとする量産型能力者の候補者たち、そしてなぜか琴美と絵梨佳の姿があった。
「アンジー姉さんや絵梨佳ちゃんが聞いても、たいして面白い話じゃないと思うけどなぁ」
責任者である実剛が頭を掻く。
護衛役なら光則と佐緒里で充分だ。
「いちおう、お父さんの研究だしね。どんなものか知っておきたいから」
琴美の理由は、割と真っ当だ。
感傷的ではあるが。
「わたしはアレです。なんだっけ。興味本位とか、そういうやつです」
ものすごく怪しい絵梨佳の理由付け。
ぜったい違うことを考えている顔をしている。
「いやまあ良いんだけどね。聞いて損をする話でもないだろうし」
何も考えていない男、実剛が鷹揚に頷き、説明会が始まった。
霊薬とは、巫の本家に保管されていた始祖の爪とされるものから抽出したDNA情報を科学的に再現することによって得られた人造血液を培養し、成分を抽出した上で、人間の細胞との親和性を高める処方をおこなったものである。
研究員が説明する。
すでにちんぷんかんぷんである。
絵梨佳あたりの頭上には、疑問符の鼓笛隊がラインダンスを踊っていた。
「製法等の説明は要りません。効果効能、それと副作用についてのみ解説してください」
凛とした声は、もちろん奈月のもの。
安全か危険か、それのみを話せといっているのだ。
実剛が大きく頷く。
まことの聖職者である。
彼の中での奈月への評価は、ほぼストップ高を記録している。
咳払いした研究員が説明を再開した。
霊薬の効能としては、まずは身体能力の飛躍的な向上が挙げられる。
まだ生粋の能力者の域までは達していいないものの、常人……それもスポーツ選手などの運動能力の高い人間の数値を参考にしても、二倍から三倍程度の数値がたたき出されている。
「具体的には?」
「萩の量産型能力者の例を挙げます。百メートルの全力疾走が四秒〇六。これは最も遅かった者の記録です」
奈月の質問に答える研究員。
会議室がざわめく。
世界記録を軽く超えている。
たしかにこれは公開できない。
もちろん、生粋の能力者には遠く及ばないのだが。
他にも、垂直跳びや反復横跳び、持久走や握力測定などの結果が、次々と告げられる。
どれかひとつの数字を取っても、常識がひっくり返るものばかりだ。
「問題は副作用です」
冷静な奈月の言葉。
大切なことだ。
常識を越えたチカラを手にしたとしても、反作用があっては意味がない。
軽く頷いた研究員が資料をめくる。
「じつは、細胞の劣化速度が極端に落ちています。これが最大の副作用であり、疑問点です」
「つまり?」
「新陳代謝が促進されているのに劣化速度が遅くなっている。つまり、老化しにくくなっているのではないかと」
まだ運用が始まってから一年も経っていないため、本当に不老効果があるかまでは判らないが、と付け加える。
マウス等の実験では、寿命が二倍程度に延びているという。
再びざわめく会議室。
さきほどよりずっと大きなどよめきだ。
もちろんそのまま人間に敷衍して考えることはできないが、本当だとすれば文字通り不老長寿の霊薬である。
「私たちは被験体ということになりますね」
「否定はしません」
「他の副次的な作用は?」
「たいしたものはありません。視力が回復するといっても常人並ですし、体機能が活性化するのですから健康体になるのも当然です」
「念のため、もう少し詳しく」
やたらと食いつく奈月。
たしかに、細かいことだからといって疎かにはできない。
「慎重ですね。佐藤先生」
「ええ。巫くん。大切なことだから」
ううん、と、唸りながら研究員が資料をめくる。
本当にたいしたものじゃないんですよ、前置きする。
いくら食べても太らなくなるとか。
肌が赤ん坊のようにつやつやになるとか。
風邪を引かなくなるとか、水虫とかの皮膚炎がすべて治るとか。
どうでも良いものばかりでしょう、と結ぶ。
「あとは、戦士らしい体つきに勝手になっていくくらいしか……」
視線が佐緒里に向けられる。
それを追うように。主に女性陣がぐりっと振り向いた。
怖い。
「な、なんだ?」
面食らう鬼の姫。
舐め回すような視線。
スリムでありながら女性らしい丸みがある。引き締まった足、くびれたウエスト、豊かな胸。無駄のない二の腕。
射抜くような三白眼を除けば、ファッションモデルですら裸足で逃げ出すだろうスタイルだ。
「べつにあたしは霊薬を飲んでいないが?」
「いえ、お嬢様のスタイルは虎体狼腰と申しまして、古来、最も戦士に相応しいと呼ばれたものなのです」
ゆえに、村井氏は霊薬を生成する上で、そのような体つきになってゆくよう因子を組み込んだ。
「なるほど。鬼の身体能力も計算されているわけか。さすがとしか言いようがないな」
形の良い下顎に手を当てる佐緒里。
あの体型が手に入る。しかも何の努力もせず。
ざわざわと騒ぐ参加者たち。
主に女性陣。
その横で、なぜか琴美と絵梨佳が握手を交わしている。
なにか思うところがあるのだろうか。
咳払いする研究員。
苦笑している。
同じ質問を何度も受けましたよ、と顔に書いてあった。
「誤解なきよう言っておきますが、豊胸効果はありませんよ? 戦士に胸は関係ありませんので」
『あぁぁぁぁぁ!』
絶望の声を合唱させて膝から崩れる又従姉と婚約者を、実剛が目撃した。
「ばか! お父さんのバカっ! そこが一番大事なところじゃないっ!!」
悔し涙を流しながら床を叩く琴美。
「もえつきたよ……真っ白にな……」
ぶつぶつと呟いている絵梨佳。
理解不能の光景だ。
動揺する実剛の肩を、奈月が叩いた。
「そっとしておきましょう」
満足そうに微笑んでいる。
ふと視線を下げると、佐緒里ほどではないにしても豊かな胸が目に入った。
なんだろう。
コノヒトハ、カチグミニ、ナルンダ。
謎の言葉が脳裏をよぎる。
……なぜか霊薬の投与には、女性陣の方が積極的だった。




