杜の都へ 6
寒河江の屋敷は、萩の邸宅よりはるかに立派だった。
「……鬼って、みんなオカネモチなんだろうか」
ぼそりと呟く実剛。
自分の生家は中流のサラリーマン家庭だった。澪に引っ越してからも、とくに裕福な暮らしは経験していない。
女神と鬼で、どうしてこうも違うのだろう。
「伯父さんが蓄財に無関心なだけでしょ。あの人は本さえ読んでれば幸せなんだから」
美鶴が苦笑する。
実際、眷属はべつに貧乏ではないし、芝もわりと資産家である。
超常のチカラを持つ者たちだ。
稼ごうと思えば、いくらでも方法はある。
「それに、ボクたちには歴史があるからね。人間がまだ石器とか使ってた時代から君臨してるんだからさ。そもそもの蓄積量が違うんだよ」
屋敷を案内する深雪が言う。
鬼は、いつだって奪う側だ。
人によって倒されるまで、ずっと奪い続ける。
そして、鬼を倒した勇者が彼らの財宝を手に入れるのだ。
「逆に言えば、財宝を持たない鬼は討伐してもらえないってことだね」
「即物的だなあ」
長い廊下を歩きながら、実剛が肩をすくめてみせた。
その理屈でいえば、人は財宝に対する欲望によってモンスターを倒すということになる。
真理ではある。
他人のためになど、人は戦わない。
名誉欲だったり、金銭欲だったり、出世欲だったり、とにかく欲望という燃料がなくては困難な戦いに身を投じることなどできはしない。
「ま、人の戦う理由なんて、欲望か復讐しかないからね」
ドライなことを言ってまとめる妹。
大義のために血を流す人間などいない。
流させる人間なら、いくらでもいるが。
やがて一行は、当主の書斎へと通される。
応接室ではない。
私的な会談だということだ。
「お初にお目にかかる。巫の次期当主。寒河江義春という」
デスクから立ちあがった男が、右手を差し出す。
ずいぶんとフレンドリーだ。
「はじめまして。巫実剛です」
友好的な一次接触だったことに安堵しながら、少年が握り返した。
同行者たちがそれぞれに名乗る。
軽く頷き、身振りで寒河江の当主が椅子を勧めた。
腰掛けるのは実剛と美鶴のみである。
光は美鶴の背後に、絵梨佳と佐緒里は実剛の背後に立つ。
「さて、用件を聞こうか」
やや性急に問いかける。
「その前に、こちらをお納めください。お近づきのしるしに」
実剛が合図し、絵梨佳が風呂敷包みをほどいて差し出す。
大皿である。
手土産だ。
まあ、手ぶらでくるわけはないだろうから、想定内ではあるが。
「まさか手料理を出されるとは思わなかったな」
微苦笑。
「そうおっしゃらずに。僕の許嫁の料理は、ちょっとしたもんですよ」
満面の笑みの実剛。
「ふむ。まずは爆発しろと言っておこうか」
冗談めかして言ってから、爪楊枝の刺された唐揚げをつまむ。
皿にのっているのは、もちろん澪豚の唐揚げだ。
絵梨佳と佐緒里が試行錯誤を重ね、完成したばかり一品である。
使う部位はウデ。
あえて歯応えを残すため、ロースやヒレやバラではなくウデにこだわった。
赤身と脂身が絶妙に混じり合う部分を適度に叩いて、下味には江差で仕入れた醤油とごくわずかなアイヌネギも使用した。もちろん、肉の味を最大限に活かすための細工だ。
さくりと切れの良い洗練された衣と、対をなすように重厚で官能的な歯触り。
噛むほどに広がる旨味。
そして喉を通過するときの快感。
「見事。いや、お美事だ」
二つ三つと連続して口に運び、満足の吐息を当主がついた。
「今日会えなかったら僕たちで食べてしまうつもりだったんですよ。日持ちするようなものじゃないですから」
「それは運が良かった。これを食すことができただけでも、次期当主どのと会った甲斐があったというもの」
笑みを交わす。
「まじで? そんなに美味しいの?」
横から手が伸びた。
深雪である。
「ふんっ」
爪楊枝が繊手を弾く。
「なんとぉ!」
弾かれた手を支点に宙を舞う娘。
空中から左手を伸ばす。
「甘いわっ!」
座したまま皿を守って後方宙返りを決める父。
「これは儂がもらった土産だ。やらんっ」
「ひとつくらいいいだろっ けち親父っ」
目を見張るほどの高度な攻防だった。
そして、目を覆いたくなるほどの情けない動機だった。
呆然とする実剛チーム。
「鬼は共食いを忌避しない。巫実剛」
うむうむと頷きながら、知ったような顔で佐緒里が解説した。
「共食いじゃないよねっ!? ただの食べ物の奪い合いだよねっ!?」
「ただ愛ゆえに」
「何言ってるか判らないよっ!?」
結局、高度にして醜い戦いは、絵梨佳が、自分たちの夜食用に用意した唐揚げを供出すると約束するまで続いた。
「ふほひふぁかりもこみちにひょれらな。ふぉむらいにふぁいるら」
冬眠前のリスみたいに頬をふくらませた寒河江義春が告げる。
「せめて飲み込んでから話しましょうよ。寒河江の」
疲れたような実剛のツッコミ。
ごっくんと飲み下し、また手を伸ばそうとする。
「いや、それ食べたらまた喋れなくなりますから」
必死に押し止める。
「ぬぅ……」
ぎろり。
睨まれた。
怖い。
「仕方あるまい。本題に入ろうではないか」
「仕方なく入られるようでは、本題さんも浮かばれませんよ……」
咳払いする当主。
「巫としては、何を要求するのだ?」
「現状、要求するものはなにもありません」
「ほう?」
「村井雄三氏の身柄とか、要求しても仕方ありませんので」
自由に土地を離れることができなかった中世の封建社会ではない。
どこに住もうが本人の意思による。
澪の秘密を持ち出したことは業腹ではあるが、すでに持ち出されてしまったものに関しては、返せ戻せといったところで始まらない。
「ただ、軍事利用だけはしないでもらえれば、と思います」
「それは当然だな。我らとしても、人間どもに必要以上の武力を与えるつもりはない。ろくな事にならなかったからな。いままでも」
「いままで?」
「与太話の類だ。これまで幾度か、人間の歴史が加速した時代がある、というやつだな」
超常の力が働いた時期があった、ということだろうか。
もちろん確かめる術はない。
だから、与太話だと寒河江の当主は言うのだろう。
「ただ、研究そのものは続けさせるぞ? 興味深いからな」
「駄目だという権利は、僕たちにはありませんよ」
人為的に生み出すことのできる能力者。
それが何をもたらすか、現状で答えられるものはいない。
人類にとっての福音となるかもしれないし、破滅のきっかけになるかもしれない。
「僕たちとしては、寒河江と事を構えるつもりはありません」
「それもまた道理だな。我らも殊更に巫と争おうとは思わんよ」
存念の確認だ。
北海道南部と東北。支配域が重なっていないため、棲み分けが最も効率がよい。
不干渉で、それぞれ歴史を刻んでゆく。
これまで通りに。
「とはいえ、村井氏はずいぶんと巫を憎んでいるそうですが。どうです? この点は」
「彼が寒河江を率いて北海道に攻め込む可能性か」
「ありませんか?」
「永遠にありえない、と、断じることはできないだろうな」
当然である。
わからないから未来というのである。
「永遠なんか求めませんよ。十年不可侵でどうです?」
「問題ない。だが、無条件というわけにもいかん」
それもまた当然である。
いままでまったく繋がりの無かった両家が、唐突に不可侵条約を結ぶ。
それだけで余計な嫌疑を抱かせるだろう。
友誼を結ぶに足るなにかがなければ、納得しない者もでてくる。
「さっきの手土産だけでは足りませんかね?」
「部下全員に食わせるには、量が足りないな」
「となると……」
「拳骨で語る。古来から鬼はそうやって互いの力量を認め合ってきた。此度もその例に漏れぬだろうよ」
「あー やっぱりそうなりますかぁ」
「次期当主同士が語り合って、友誼を深めるのが一番だろうな」
「僕は戦闘力ゼロですけどね?」
「え? じゃあ何しにきたの?」
思わず間の抜けた声を出す寒河江の当主。
「主に観光です」
見事なまでに、実剛が言い切った。




