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杜の都へ 3


 巫邸に戻ると、すぐに琴美と佐緒里が別室に運び込まれ、治療が開始される。

 担当するのは沙樹と准吾。

 他人を回復する力を持っている二人だ。

 こればかりは余人が代行することができない。

「しかし、寒河江がなぁ……」

 一応の報告を聞き終えた暁貴が腕を組む。

 どうにも釈然としない。

 友好的だったわけではないが、けっして敵対してきたわけでもない。いまさらになって敵に回るというのが、どうにも()に落ちなかった。

「やはり、俺たちが手を組んだのが原因ではないか? 暁貴」

 ありふれた国産たばこに火を付けながら、鉄心が言った。

 蓋然性(がいぜんせい)の高い意見ではあるが、巫の当主は首肯(しゅこう)しなかった。

「きっかけは、たぶんそれだと俺も思うがなぁ」

 自分もたばこをくわえる。

 他人が吸うのを見ていると、吸いたくなるのだ。

 巫、萩、芝が連合した。それはたしかに一大事ではある。

 だが寒河江の勢力圏は東北地方だ。

 支配域が重ならないのである。

「将来的に驚異となる可能性があると踏んで、切り崩しにかかった……ないな」

 自分の解答に落第点をつける萩の当主。

「だろ? 鬼が将来の驚異とか考えるってのは、ちょっとな」

 鬼は刹那的に生きる。

 来年の話をしたら鬼だって笑っちゃうのである。

「それは意味が違うがな」

「細けぇこたぁ良いんだよ」

 もし巫陣営が驚異となるなら、驚異となってから考えれば良い。

 鬼の考えとは、おおよそそのようなものだ。

「主体と客体を変えれば、多少見えてくるものはありますが」

 半ば挙手するように、魚顔軍師が口を開いた。

 視線で促す当主たち。

「村井雄三氏は、巫を恨んでいるのではありませんか?」

 だから敵対陣営である萩に走った。

 そして萩が巫に降ったから、新天地を求めた。

 つまり寒河江が村井を招いたのではなく、村井が保護を求め寒河江が受け入れた、というのが事実に近いのではないか。

「なーる……」

 説明を聞き、納得したように鼻から煙を出す暁貴。

 理にかなっている。

 だが、判らないこともある。

「どうして巫がそこまで恨まれる? 見ての通り、暁貴は呆れられることはあっても恨まれるような男ではないと思うが?」

 やるきなし一代男だからな。

 そういって首をかしげる鉄心。

「褒める気ないよね。お前さん」

「ああ」

「うん。知ってた」

 中年がじゃれ合っている。

 かつての同級生だというから、気心は知れているのだろう。

「ひとつだけ、心当たりはあります」

 静かに告げる軍師。

「あるいは、ご当主様方も気づいておいでではありませんか?」

 淡々とした、だが苦い声。

「……あの噂か」

「どの噂だよ?」

「琴美がお前の娘だという噂だ。知っていたのだろう?」

「その話、俺はついこないだ聞いたばっかたぜ? そんなに噂になってたのかよ?」

 深いため息をつく鉄心。

 世事に興味を持たないのも善し悪しだ。

「琴美が生まれたとき、澪じゅうの動物たちが一斉に鳴いた。まるで女神の生誕を祝福するようにな。どうせそれも知らなかっただろう?」

「……ああ。初めて聞いた」

「せめてお前に友達の一人でもいればな。注進してくれたのだろうが」

 孤高(ぼっち)の当主。

 親しくしているのは沙樹くらいであり、彼女が口を噤んでいる限り、暁貴は何の情報も得られないのだ。

 ともあれ、琴美が生まれたときに異変があった。

 古老たちが騒いだ。

 吉兆か凶兆かと。

 噂が流れた。

 この子は、巫の当主と一族最強の戦士の間に生まれた子だと。

「ずいぶんと薄弱な根拠じゃねーか……」

「お前にとってはな。暁貴。だが、当時の沙樹のお前への入れ込み具合は、誰が見ても恋する乙女のそれだったさ」

「昼ドラかよ……」

 そのころ沙樹はすでに結婚している。

 故郷に無理矢理連れ戻され、荒れた生活を送っていた従兄を気遣っていたにすぎないだろう。

「大衆はゴシップが好きだからな。まして生まれた子が強い力を持っていたのだ。噂の種くらいにはなる」

「マジか……」

 まったく知らなかったため、普通に琴美を可愛がっていた。

 周囲にはどう映っただろう。

 そして、琴美の父親である村井雄三の目には?

「なあ? 俺って無茶苦茶うらまれてんじゃねーか? これ」

 救いを求めるように周囲を見る。

 重々しく頷く一同。

 一族の血を残すため、夫のある従妹を手込めにして子を産ませる。

 鬼畜の所行だ。

 恨まれるどころか、呪い殺されても文句は言えない。

 むしろ村井に同情する。

「事実であれば、伯父さんは冥府魔道(めいふまどう)に堕ちますね」

「け、けどよ。一応沙樹は否定していたぞ」

 実剛の言葉に、自信なさげに応える暁貴。

「憶えてないんですか?」

「ああ。そんな行為に及んだという記憶はまったくない。まして沙樹は従妹だし、恋愛や性欲の対象として見たことは一度もないんだが」

 従妹を恋愛対象としてみるという例は絶無ではないし、一応は近親相姦にはあたらないが、それでもけっこう血が近いことは事実だ。

 暁貴は沙樹をそういう目で見たことがない。

「が?」

「酔って正体をなくしていたりとか、そういう可能性までは否定しきれない」

 伯父が頭を抱える。

 相当に打ちのめされているようだ。

 もし事実であったなら、自分の手で一つの家族を崩壊させたことになるのだから。

「だが、正体がなくなるまで酔っていたら、勃つか?」

 鉄心が指摘する。

 琴美は今年十八歳になる。逆算すると暁貴が二十八、九歳くらいの時ということだ。

 やりたいさかりの十代の少年ならばともかく、三十路に差し掛かろうとしている男が、そんな状態でできるものだろうか。

「どうだ?」

 じっさいの十代少年たちに振ってみる。

 思わず顔を見合わせる当事者たち。

 非常に沈痛な自分の顔を、互いの瞳の中に見出す。

「すいません……経験がないのでわかりません……」

 一同を代表し、血を吐く思いで光則が応えた。

 魚兄弟はともかく、他の男どもも未経験である。

「大丈夫ですよ。実剛さん。わたしもまだですっ」

 なぜか胸を張って言い切る絵梨佳。

「ていうか、もうぶっちゃけ沙樹さんに訊いちゃいましょうよ。あーだこーだ悩んでたって仕方ないですって」

 さっさと隣室に行ってしまう。

「強いな……絵梨佳ちゃん……」

 感心したように見送る実剛だった。

 結果からいうと、暁貴は潔白(シロ)だった。

 彼は従妹を可愛がりつつも、ついに一線を越えることがなかった。

「隙を見て押し倒そうと思ってはいたんだよ? あたしとしてはね」

 娘の治療を終え、居間にやってきた沙樹が言った。

 こいつが最大の原因である。

 だが暁貴は、実の妹のように可愛がっている沙樹をそのような獣欲の対象とすることができなかった。

 家族として愛していると、そう言われた。

「そのとき悟ったの。あたしは暁貴の身体が欲しいわけでも子種が欲しいわけでもない、心が欲しかったんだってね」

 夫婦にはなれない。

 だが、家族にはなれる。

 子供の頃から温めていた恋心が消えた瞬間だった。

「けど噂が立っちゃった。そしてゆうぞーはそれを信じちゃった。否定しても信じてもらえなかった。むしろ否定すればするほど、彼の心が離れていくのを感じたわ」

 寂しげに沙樹が笑う。

 夫に対して不義をはたらいたわけではない。だが不実ではあった。

 ふたりの男性を愛していたのだから。

 だから、離婚となったとき、彼女は彼を引き留めることができなかった。

 母が実家から受け継いだ資料を持ち出したと知っても、何も言わなかった。

「これが顛末だよ」

「……ねえ? これってこんなに重い話だっけ?」

 誰にともなく、美鶴が言った。

 もちろん、誰も応えられなかったのである。


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