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杜の都へ 1


 沈んでゆく身体。

 負けた。

 普通の人間……いや、量産型能力者に過ぎない父に、手も足も出ずに敗北した。

 初めての敗北は、これ以上ないほどの完敗だった。

 慢心、と、あの男は言った。

 その通りかもしれない。

 どこかで相手を見下していたのだろう。

 まがい物がオリジナルに勝てるわけがないと。

 深く深く沈んでゆく。

 身も心も。

 灯りすらない湖の中へ。

 と、視界の隅を何かがよぎる。

 巨大な影。

 湖の主が自分を喰らいにきたか。

 それも良いだろう。どのみち、もう戦う力など残ってない。

 従容として受け入れようと瞳を閉じる。

 がっしりと両脇を抱えられる感触。

 一瞬の後、琴美の顔は水面に出ていた。

 新鮮な空気が肺へと流れ込んでくる。

「生きてるか。アンジー」

 湖の主が口を開いた。やはり巨大な魚だった。

 じっと見つめる。

「お前。いまものすごく失礼なこと考えてる顔してるぞ」

 もちろん彼女を助けたのは、主ではなく信一である。

 主であることは否定できても、魚であることを否定する要素が何ひとつない。

「……ありがとう親切なお魚さん……」

「死にそうな顔で無理に冗談を飛ばさなくてもいい。被害は?」

「……肋骨が全部もっていかれたわ……胸骨も逝ったみたい……あとは内臓がいくつか潰れてるっぽい……」

「派手にやられたもんだ」

「ヘルメットがなければ即死だった……」

「無理に冗談いうなって。そもそもメットなんかかぶってねーだろうが」

 それでも律儀に突っ込み、苦笑とともに岸へと泳ぎ出す魚顔筋肉。

 失意の魔女を曳航(えいこう)して。




 影と同化したように駈ける佐緒里。

 速い。

 先ほどの琴美を凌ぐ速度。アスファルトを蹴る靴音が遅れて聞こえるほどに。

 急速に狭まってゆく視界。

 千切れ飛んでゆく景色。

 村井の目は鬼姫の動きを追いきれない。

「獲った!」

 必殺の間合いから繰り出される右の手刀。

 跳ね上げた男の足に大きく弾かれる。

「バカな!?」

 見えるはずがない。

 魂がどうこうという精神論以前に、物理的に不可能だ。

「くっ」

 すかさず振るわれる左の手刀が宙を薙ぐ。

 村井の影だけを切り裂いて。

 避けられた?

 だが、まだだ!

 旋風のように蹴り上げられる右足。

 正確に急所を狙って。

 両腕を交差させて防いだ男が宙を舞う。

「飛べば死角よ」

 にやりと笑う鬼姫。

 猛然と襲いかかる拳。脚。

 もっと速く。

 もっと鋭く。

 一撃ごとに加速してゆく。

「速さも勝負勘も、まず立派なものだが」

 ことごとくが受けられる。

 最小限の動きで。

「くぅっ!」

 攻勢を続ける事への不利を悟り、二転三転と蜻蛉(とんぼ)を切って距離を取る佐緒里。

「本気でバケモノね……」

 呟く。

 手を抜いてなどいない。

 すべて殺すつもりで放った攻撃だ。

「人外は貴様らだろう?」

「どの口が言う」

「べつに特別なことではない。蛇行して走る者と真っ直ぐに走る者。どちらが先にゴールテープを切るかというだけの話だ」

 紡がれる言葉。

 戦いを競走に例えるなら、そういうことである。

 いくら佐緒里が速度で攪乱しようとも、どこを狙っているかさえ判っていれば、防御も回避も容易い。

 まして佐緒里はフェイントなども織り交ぜて戦っている。

 一撃必殺は武の神髄。

 しかし、それができないからこその多彩な技であり、虚々実々の駆け引きである。

 この局面に限定していえば、無駄が多いのだ。

「貴様らは、生まれ持った力に頼りすぎる」

 男の声が夜風に流れる。

 女神の血。鬼の血。どういっても良いが、彼らは最初から持っている。

 必死に体を鍛えなくても、厳しい修行を積まなくても、常人より遙かに高い身体能力を持ち、即死以外ではまず死ぬことのない強靱な肉体と驚異的な回復力を持ち、さらには特殊能力まで手にしている。

 反則(チート)だ。

「だから判るまい。我々凡人が如何(いか)にして自らを鍛え、自らを高めてゆくかなど」

 男が構えを取る。

 この日はじめて見せる本格的な武道の型。

 八極拳(はっきょくけん)

「ヒトの拳法などで!」

 佐緒里が突撃する。

 うなりをあげて迫る拳。

 半歩だけ横に動いて回避した村井が踏み込む。

 どん、と、音を立てて陥没するアスファルト。

 ショートレンジからの肩当て。

 琴美が吹き飛ばされた貼山靠だ。

「ぐぶ……」

 目を剥き、食いしばった歯の間から血を垂れ流しながら、それでもなんとか佐緒里が踏みとどまり、

「づがまえだ……」

 鬼の形相で、男の肩を鷲掴みする。

「そうか。良かったな」

 少女の手首を握る村井。

「え゛?」

 佐緒里の視界で天地が逆転する。

 投げられた、と、悟ったのは、背中から地面に叩きつけられてからだ。

「がはっ!?」

 息が詰まり視界が暗転する。

 (まず)い。

 次の攻撃は避けられない。

 妙に間延びした時間の中で、佐緒里は死の顎を待った。

 だが、攻撃はなかった。

砂弾(サンドバレット)!!」

 かわりに降り注ぐ無数の小石の弾丸。

 村井ばかりか佐緒里まで巻き込んで。

 もうもうたる土煙。

「チェンジ!」

 軍師の声が響き、飛燕(ひえん)の動きで絵梨佳が戦場に躍り込む。

 数発の牽制攻撃。

 その隙に駆け寄った光則が、負傷した佐緒里を脇に抱えて後退する。

「……せめて姫抱きを希望する」

「んな余裕があるかっ」

「是非もない」

 追撃を防ぐため、立て続けに砂弾を放ちながら喚き返す少年。

 だが光則の心配は杞憂だった。

 村井は絵梨佳と対峙したまま動かない。

 否、動けない。

 大きく肩で息をして、睨み合いを続けている。

「きつそうですね。村井さん」

 肉食獣の笑みを浮かべる少女。

「敵だけがタッグどころかトリプル。マッチメイクに問題があるな。プロモーターに抗議したいくらいだ」

 なんとか皮肉を飛ばすが、かなり苦しそうだ。

 当然である。

 琴美と佐緒里という難敵を連破したのだ。

 疲れないわけがない。肉体的にも精神的にも。

「連携がない我々としては、勝機を消耗戦に見出してみました。いかがでしょうか」

 信二が嘯く。

 連携が拙くて二対一で戦えないなら、一対一の戦いを二度すれば良い。

 琴美との戦いを数えれば、三度目だ。

 消耗戦。

 軍略において最も忌避される戦法が、魚顔軍師が選び出した最適解。

 先に逃走手段を奪った上で、まずは勝てそうな相手をぶつける。

 ようするに佐緒里が敗北することは、織り込み済みだったということだ。

 なかなかえげつない作戦である。

「ちなみに、絵梨佳嬢が敗北したら、次は光則君がお相手します。仮に光則君を倒したとしても、そのころにはアンジーか佐緒里嬢が回復しているでしょう」

 得々と軍師が語る。

 あなたが力尽きるまで、いつまででも戦い続けようと。

「信二先輩……ヒーロー側の戦い方じゃないですよね。これ」

 ぼそりと突っ込む実剛。

「勝てば良かろうなのですよ」

 しれっと答える信二。

「こっちは若いですからね。十ラウンドでも二十ラウンドでも戦ってあげますよ」

 降伏しませんか、と、呼びかける。

「見事な算術だ。巫の軍師。戦ってしまったことが、勝ってしまったことが私の敗因というわけか」

 逃げ切れなくても逃げるべきだった。

 あるいは車が破壊された時点で、徒歩での逃走を選択すべきだった。

「あなたは力を得た。その力で押し切れると考えてしまった。究極的には同じですよ。俺たちとね」

 力を頼むものは力に溺れる。

 なにも琴美や佐緒里にだけ当てはまる事ではない。

「ふん。あいかわらずえげつないことを考える魚だな」

 響く声。

 甲高い、まるで子供のような。

 全員の視線が一斉に動く。

 湖へと。

 湖水の上、万有引力の法則を無視して立つ小柄な姿。

 金色に染め上げた髪。

 知っている顔だ。

「楽しそうなことをやってるじゃないか。ボクも混ぜてくれよ」

 悪路王の血を引く娘が唇をゆがめる。


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