こんなシリアスな話だっけ? 10
「あなたを拘束します。無駄な抵抗はやめて投降しなさい。村井雄三」
「お断りだ。安寺琴美」
次の瞬間、父娘の拳が衝突した。
一瞬の均衡。
弾き飛ばされたのは琴美だった。
数メートルの距離を飛ばされ、ガードレールに激突する。悲しげな悲鳴を上げて拉げる鉄板。
信じられないものでも見るかのように娘が父親を見上げる。
研究員を殺害したとの情報は受けていた。
萩の能力者たちを戦闘不能に追い込んだとも聞いていた。
だがそれは、しょせんはまがい物同士の戦いであると、たかをくくっていたのだ。
よろよろと立ちあがる琴美。
「さすがにタフだな」
構えを解かない男。
ぺっと少女が口腔内にたまった血を吐き捨てる。
飲み込むと嘔吐感が強くなって、戦闘に支障をきたすからだ。ごくわずかなことだが、勝算を下げるわけにはいかない。
慎重に間合いを琴美が計る。
動く!
互いの距離が一瞬でゼロになり、少女の右回し蹴りと男の手刀が衝突した。
「ち」
琴美が小さく舌打ちして、村井が不敵な笑みを浮かべて飛び離れる。
牽制攻撃。
この次にこそ本当に力を込めた打撃が繰り出されるはずだった。
だが出せなかった。
見えなかったから。互いに相手の攻撃が。
初手がぶつかったのは偶然の結果だ。
だからこそ次の手は出せない。
相打ちになってしまう。
「なんで……」
呟く少女。
異常なスピード。異常なパワー。異常なまでの勝負勘。
背筋を伝う冷たい汗。
萩の能力者と戦ったときだってこんな感覚はなかった。
「慢心だな。まがい物が本物に劣ると、誰が決めた?」
娘の思考を読んだかのように父親が告げる。
「くっ!」
弾丸のように飛び出す少女。
上段の回し蹴り。
身をかがめての回避。追尾するように軌道を変えた右脚が迫る。
屈伸したばねを活かして半歩後方へ。
男の五ミリ前方を通過する足。
琴美の攻撃はまだ終わらない。
勢いを殺すことなく後ろ回し蹴り。
かがみ込んでの足払い。
伸び上がりざまのサマーソルトキック。
意表を突いての前転踵落とし。
次々と高速で繰り出される攻撃。
当たらない。
すべて紙一重で回避されてゆく。
「どうして!? 見えるはずがないのにっ!」
少女の叫び。
「読めるからだよ。琴美。お前の攻撃には魂がない。相手を格下に見て侮っている。だから避けることなど容易だ」
攻撃を避けながら、うたうように答える父親。
たしかに琴美の攻撃は速い。目視できるような速度ではない。
しかし、この攻撃が外れたら後がない、というような気迫がこもっていない。外れたら次。避けられたら次。二の手三の手を考えながらの攻撃だ。
「そんな中途半端な覚悟が、私に届くと思うな」
一閃。
娘の攻撃をかいくぐり、鋭く踏み込んで掬いあげるような肘打。
まともに腹部に決まる。
肋骨が折れ砕ける音。
「か……は……っ!?」
血と胃液を吐き、琴美が崩れ落ちた。
「…………」
哀れむような目で娘を見た男が踵を返す。
セダン車へと向かって。
「……まち……なさい……よ……」
背後からかかる声。
アスファルトに両手をつき、琴美が立ちあがる。
栗毛がミスリルブルーへと染まってゆく。
蒼銀の魔女。
男が大きく息をついた。
「どうして、その力を最初から使わなかった」
振り向く労力すら惜しむような言葉。
最初から全力で戦っていれば、結果は違っていたかもしれない。
出し惜しみしたあげくに敗勢に追い込まれた愚かな娘。
「沙樹は、そんな愚劣さとは無縁だったぞ」
「ダマレっ!!」
少女の瞳に憎しみの焔が燃え上がる。
「私たちを捨てたキサマが! お母さんを語るなっ!!」
突進。
技も何もない。
こいつだけは。こいつだけはただでは済まさない!
「激したか。どこまでも愚かな」
呟いた男。
振り向きざまに貼山靠。
「ぇ?」
大きく跳ばされる琴美の身体。
十数メートルの距離を飛行して湖水と接吻する。
激しくあがる水柱。
「……むしろ、お前が沙樹の異名を騙るな。愚娘よ」
言い捨て、歩き出す。
立ちはだかる二人の少女。
「親子水入らずを邪魔しちゃいけないと思ったんで、黙ってみてたけど」
「貴様には愛が足りない」
絵梨佳と佐緒里である。
「芝の姫と萩の姫か。どうして三人で戦わなかった?」
ゆっくりと構えをとる村井。
「今理由を言ったけど?」
「そうか」
いきなり距離を詰める。少女たちの間を縫うように。
右から絵梨佳の蹴り。
左から佐緒里の正拳。
易々と受け止めた。
「これが答えだな」
そのまま力任せに投げ飛ばす。
くるくると空中で回転し、危なげなく着地する少女たち。
一方は憎々しげに、もう一方は淡々と。
「連携ができないのだろう? だから一人ずつしか戦えない」
ふたりの中間地点に位置取れば、同士討ちを恐れて中途半端な攻撃しかできない。
「同時に仕掛けてこなかった理由だな」
面白くもなさそうな顔で、男が言った。
「……一瞬でバレてるし。どうするんですか信二さん」
物陰からこそこそと見守っていた実剛が軍師に訊ねた。
戦闘力の高い三人は、じつは連携力が弱い。
それぞれがワンマンアーミーと呼べるほどの力を持っているからである。
仲間を信じて背中を預ける、という戦いに慣れていないのだ。
「どうにもなりませんよ」
連携など一朝一夕で身に付くようなものではない。
そもそもが、強大な敵に一丸となって立ち向かうという経験自体、今日が初めてだ。
いままでは立ち向かわれる側だったのだから。
「戦術レベルでの連携は捨てました」
「え?」
「大地よ! 我が前に立つ愚者に裁きを与えろ!!」
躍り出た光則が、勢いよく両手を大地に叩きつける。
次の瞬間、石筍のようにのびたアスファルトが幾本も、セダン車を貫いた。
「ゆえに、戦略レベルでの連携を取らせてもらいます」
魚顔軍師が嘯く。
絵梨佳と佐緒里が村井の注意を引きつけ、その隙に逃走手段を奪う。
琴美が敗北した瞬間に思い定めた。
資料の奪還は諦める、と。
力を出し惜しんでどうにかできる相手ではない。
本当に勝てるかどうかもあやしい。
だから、奪還ではなく破壊へと戦略目標をシフトした。
轟音とともに火の手が上がる。
ガソリンに引火したのだろう。車内に資料が隠してあったとしても灰になる。
「これで隙をついて逃げられる心配はなくなりました。佐緒里嬢。まずは貴女の出番です。絵梨佳嬢は一時後退。チェンジのタイミングはこちらで指示します。存分におやりなさい」
「委細承知」
物陰から出て指示を飛ばす軍師。
オレンジ色の炎の照らされた魚顔は、まるで冒涜的な怪物のようだった。




