おかしな人たち 1
空気が変わる。
校舎全体を包むぴりぴりとした緊張感。
きた、と、何の根拠もなく巫実剛は気づいた。
「伏せろっ!」
叫んだ坂本光則が実剛を引き倒し、覆い被さる。
瞬間。
甲高い破砕音を立てて教室の窓ガラスが割れる。
自らの身体を盾として利用し、親友を守る光則。
響く悲鳴。
ガラスで怪我をした生徒が蹲る。
なにが起きたか判らないままに逃げまどうクラスメイトたち。
けだるい午後の教室が、阿鼻叫喚の地獄絵図になった。
「実剛。無事か?」
「光則血が出てるっ」
「問題ない。走れるか?」
頷くのを待たず、親友の手を引いて駆け出す。
「どこへっ!?」
「こんなところじゃ戦えない。チカラも使えない」
走りながらの会話。
最短距離で校庭を目指す。
廊下を駈ける彼らを追うように、次々と窓ガラスが割れて破片が降り注ぐ。
光則の顔から、腕から、足から血がしぶいた。
親友に当たりそうな攻撃は、すべて彼が引き受けているのだ。
「光則っ!?」
「問題ないっていってるだろ」
頑として、彼は盾の役割を手放そうとしない。
「その余裕が、いつまでもつかしらね」
前方に立ちふさがる人影。
萩佐緒里だ。
野戦服を身にまとい、黒髪をなびかせ。
「余裕じゃねえよ。覚悟だ」
にやりと笑ってみせる。
滅び行くだけの芝の本家。それを救ってくれたのは巫だ。
自分がいなくなった後も芝家は存続できるが、実剛が消えれば芝の未来も消える。
恩義がある。希望でもある。
絶対に守らなくてはいけない。
「……俺もまだまだだな。何とかして自分のやることに意義を見出そうとするなんて」
内心で呟く。
本当は、そんなご大層な理由じゃない。
彼は実剛が好きなのだ。初めてあったはずなのに、どこか懐かしさを感じるような。そんな気がしていた。
親友になれると予感した。
「足止めする。凪先輩たちと合流しろ」
小声で友人に命じる。
「光則っ!?」
思わず声を高める実剛。
すでに満身創痍で、チカラも使えない光則に何ができる。
ただの自殺行為だ。
「ちょっと遊んでやるだけだ。ここは俺に任せて先にいけ。すぐに追いつく」
にやりと笑う。
「なに判りやすいフラグをたててんのよ? みっつは」
のんびりした声が割り込んだ。
振り向いた先。
散歩でもするような軽い足取りで近づいてくる美少女。
「芝……絵梨佳……」
佐緒里が呻いた。
「こんにちは。萩の短慮な姫君」
制服のスカートを両手で軽くつまんで挨拶する。
凄絶な笑みを佐緒里が浮かべた。
目を血走らせ、無言のまま突進する。
握られた拳。
だがそれは、絵梨佳の指先で受けられていた。
止められていた。
見えない壁に阻まれているかのように、一歩も進めない。
「実剛さん。萩の能力者が十名ほど校舎内に侵入しているようです」
佐緒里には一瞥もくれずに報告する。
「十人っ!?」
それはおかしい。
萩に能力者は二名しか存在しないはずだ。
佐緒里と、その父の。
「事情は判りませんが、どうやらそうみたいです」
軽く腕を振る。
それだけで佐緒里が吹き飛んだ。
見えない巨人の腕で殴られたかのように。
重力を無視して五メートルほども飛ばされ、壁にぶつかって止まる。びしりと廊下の壁に走る亀裂。
実剛は戦慄した。
どれほどの衝撃だったというのか。
「……こんな小技で」
傷一つも負っていない佐緒里が、危なげなく立ち上がる。
あきらかに異常だ。
壁に亀裂が入るほどの衝撃で叩きつけられ無傷など。
「手加減しすぎましたか」
実剛と光則を庇うように、両手を広げて立つ絵梨佳。
女子高生がにらみ合う。
「ひと暴れします。スカートがめくれても、ぱんつを覗かないでくださいね。実剛さん」
婉然とした笑みを浮かべる少女だった。
両親が死んだ。
交通事故だった。べつに珍しい話ではない。交通戦争などという言葉が使われなくなって久しいが、年間四千人以上が交通事故で亡くなっている。
おしなべれば、二時間に一人くらいが死んでいる計算だ。
いつどこで誰が犠牲になってもおかしくはないのである。
そして、そのおかしくないことで、実剛と妹の美鶴は両親を失った。
帰宅時の事故だった。
居眠り運転のトラックが歩道に突っ込み、並んで歩いていた両親をはね飛ばしたらしい。
二人とも即死だっただろう、と、警察官が話していたが、じつのところそのあたりの記憶は曖昧である。
場面場面の印象は強烈に残っている。
泣き叫ぶ妹を必死になだめたこと。
保険会社の担当者の言葉。
加害者からの謝罪。
僧侶の読経。
生まれて初めて入った火葬場の、なんともいえない匂い。
だが、それらを時系列順に整理することが、実剛にはできなかった。
悲しみの大きさ、というのももちろんあったが、とにかく忙しかったのだ。文字通り、泣いている暇もないほどに。
様々な雑事は葬儀社がやってくれるしアドバイスもしてくれるのだが、最終的な決定や手続きは喪主の実剛がしなくてはいけない。
葬儀写真や香典返しの選定、葬儀の参列者や僧侶への挨拶、死亡届の提出や火葬許可証の交付、銀行口座の解約や形見分けの選別など、分秒単位でスケジュールをこなし、両親の死にようやく向き合うことが出来たのは、葬儀が済んで数日を経過してのことである。
不思議と涙はこぼれなかった。
泣く暇もないほどの忙しさは、むしろ彼にとって救いだった。
心の季節を強引にでも進めさせるための。
死者は蘇らない。現世を去った魂が帰ってくることはけっしてない。涙の池に浸かってはいられないのだ。これからは彼が巫家の家長として妹を守っていかなくてはならないのだから。
とはいえ、現実はなかなかに厳しい。
十六歳。過去より未来に多くのものをもつ年齢ではあるが、逆にいえば未来以外に何も持っていないということである。
幸い、といって良いか判らないが、父親はある程度まとまった金を遺してくれた。
生命保険、というかたちで。
ただし、未成年の実剛と美鶴は自分が受け取るべき財産を自由に処することができない。後見人が必要になる。ようするに、せっかく親が遺してくれた金も、彼らが大人になるまで自分のモノにはならないのだ。
未成年の兄妹だけで生きていけるほど、世の中は簡単にはできていないということである。
「後見は俺がなっても良い。二人が食っていけるようになるまでの生活費もなんとかしよう」
困じ果てている実剛に救いの手を差しのべたのは、父親の兄、つまり伯父であった。
彼は資金的な援助を申し出、少なくとも美鶴が就職して自活できるようになるまで面倒をみてくれるという。
ありがたい話ではあったが、簡単に飛びつくわけにはいかなかった。
もし兄妹ともに大学に進学することになったら、学費だけでも大変な金額になるのだから。
「俺は独身だし子もいない。ガキ二人の面倒をみるくらいの蓄えはあるさ」
そんな言葉で、伯父の暁貴は実剛と美鶴にこれまでの生活を守るよう繰り返し促した。
だが数日に渡る新家族会議で出た結論は、
「私たち、伯父さんの家にご厄介になりたい。ここには思い出が多すぎるから……だめかな……?」
真摯な表情で訴えかける美鶴。
瞼には涙になりきれない湿りがあった。
儚げなその表情で懇願され、折れなかった巫家の男子は存在しない。具体例は父親と実剛だ。
この娘の願いを退けるなら、世界中を敵に回して戦っても良いと、何の理由もなく思ってしまうのだ。
そして伯父もまた、巫家の男であった。




