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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
19/25

それを執着と呼ぶのか

 夏絶を中心に、人だかりが出来ていた。近くには柳己たちが控えている他に、先ほど千夜を捕らえた連中が集められている。

 パチパチと松明の炎が灯る中、背を照らされ平伏する男たち。彼らを見つけた瞬間、かなり騒ぎになったのだろうと理解する。



 言葉を失い立ち尽くす千夜に向かって、夏絶の冷たい視線が降り注ぐ。言い争いになって血が上った時の彼とは明らかに違う、もっともっと、静かな怒り。


 立ちすくんでいると、ぐいと肩を掴まれる。

 戦帰りで荒くなっている気性をそのままぶつけられ、千夜は震えた。

 返り血を浴びた彼は、それを気にもとめず、千夜をそのまま引き寄せる。濃くなる血の臭いに神経が過敏になり、えも言われぬ恐怖が千夜を襲う。


「お前、一体どこにいた!」

「それは……」


 何も言えずに口ごもる。しかし夏絶の中ではすでに結論は出ているらしい。もどかしそうに眉を寄せて、頭の上から怒鳴りつける。


「今日はじっとしていろと言ったはずだが?」

「でも」

「お前にとって、危険なのは、敵兵ではないとも言ったはずだ」

「だからって、じっとしているわけには」

「うるさい! 帰って来たら騒ぎになっているから、肝が冷えた」


 

 夏絶に引き寄せられ、皆の方へと姿を晒される。やや着崩れた男物の衣を忌々しげに見つめては、胸元を隠すように引っ張られる。

 首元がつまり、苦しい、と抗議するが、聞き入れてくれる様子はない。

 千夜の手を引いたまま、夏絶は平伏する男たちへ冷たい視線を投げかけた。


「さて、そこな雑兵よ。申し開きを聞こうか?」

「っ! いえ、我々は――」

「私が戦場から帰ってきたら、この娘が居なくなっていた。……貴様らの部隊に見知らぬ少年が手伝いに加わっていたそうだな」

「しかし、我々は、娘などと知らずに――」

「そうだ。この娘とて、隠していたわけだからな。だが、お前たちは、どこの誰ともわからぬ輩を、無為に引き込んだと言えるな。この状況下で」

「それは」

「その上、手を出そうとしたとか? いい身分だな。余程暇と見える」


 夏絶は厳しい表情のまま、平伏する者たちに言いわたす。


「今すぐ、その首を刎ねて欲しいらしい」

「!?」


 その夏絶の一言に、周囲のざわめきが一瞬にして静まる。平伏した男たちは、顔を上げることすら出来ず、背中を丸めて震えるだけ。

 夏絶はじっと相手を睨み付けたまま、その武器に手をかける。そうして彼が一歩前に出たとき、千夜は焦って、彼の手を掴んだ。



「だめだ、高夏絶!」

「だまれ」

「ここで私刑は許されない!」


 じっと彼の瞳を睨み付けて、千夜は声を荒げた。

 周囲で、夏絶の部隊の皆も、固唾を飲んでこの状況を見守っている。


 夏絶は、目を吊り上げたまま千夜を見つめた。どうしてお前が止める、そう言いたいのだろうが、千夜は必死で首を横に振った。


 当然、夏絶とてわかっているはずだ。

 忌子である彼は、この軍において何の役職も持ってはいない。裁くことも、人を動かすことも許されていない、完全に切り離された存在だった。

 もし彼が誰かを裁くのだと言うのなら、それは身分を振りかざすだけの行為となる。しかし、彼の場合、それが許されるかどうかも怪しかった。


「――このまま、なかったことにしろとでも? 罪は裁かれるべきではないのか?」

「それは」


 千夜は黙り込む。元はと言えば、千夜がひとりで外に出なければ済んだ話だったのだ。だからこそ、強く言いにくくて唇を噛む。


「触れられたのはお前だろう。それでも、お前は、何もするなと言うのか」

「それでも。然るべき官に任せるべきだ……」


 自分が引き起こしたと思うと、強く主張しにくい。しかし、千夜の背中を押すように、後ろから柳己も夏絶の名を呼ぶ。

 振り返ると、いつも穏やかな彼の目が、強く何かを訴えかけようとしていた。いつも柔らかな雰囲気の彼が見せる真剣な表情。

 柳己も柳己なりに、夏絶を諌めるつもりなのだろう。腹心の言葉には、夏絶も目を細めて、考え込むように眉を寄せた。



「……柳己、今回の一件に関して、上に報告は上げておけ……意味は成さないだろうがな」

「かしこまりました」


 表情は、相変わらず穏やかではない。それでも、柳己の言葉は飲み込んだらしくて、彼は吐き捨てるように言った。


「だが、二度目があったとしたら――どんな手段をとっても、その首を討つ。覚えておけ」


 方法は、いくらでもある。そう冷たく言い残すと、夏絶は千夜の腕を強く引いた。

 早々にこの場から立ち去ろうとしたものの、ひとつ、思い出したようにすぐに足を止める。



「ああそうだ。あとひとつ――」


 そして、振り返っては、皆に向かって宣言する。


「千夜は私のものだ。いくら男の格好をしていようと、誤魔化せるものでもない。……見る目だけはあったようだか、相手が悪かったな」

「……っ」

「二度と、その汚い手で触れるな。下郎が」


 それだけ言い残し、夏絶は千夜を引っ張ったまま、公衆の面前を抜けていく。

 執着心を隠そうともせず、夏絶に連れられる娘――彼女が、夏絶にとってどのような存在になるのかを、誰もが悟ることとなった。




 人垣を掻き分けるように、夏絶は千夜を引っ張ったまま陣の南へと向かう。

 驚きと戸惑いで、兵たちが一歩二歩後ろに引くのが嫌でも目に入る。千夜の顔も食い入るように見られて、戸惑いを隠せなかった。


 夏絶は、千夜を己のものだと主張したがっていた。それが、こんな形で実現してしまうだなんて、千夜は望んでいない。

 ここまで騒ぎになってしまうと、嫌でも、噂で広がってしまうだろう。


「待って! お願いだ――離してくれ、高夏絶」

「お前への説教はまだ終わっていないが?」

「逃げたりしない! ちがう。皆が――皆が見ているんだ」

「……もっと早くに見せつけておくべきだった」


 忌々しげに言い放ち、夏絶は真っ直ぐ南へと向かう。

 そうしてたどり着いた己の天幕へ、千夜を押し込めた。



 先ほどまで誰も使っていなかったからか、むわっとした熱気が喉の奥へと押し寄せる。

 過ごしやすいとは言えぬ場所。しかし、夏絶は気にすることなく、千夜とふたりきりになることを優先した。


 風を通さぬ空間に、血の匂いが立ち込める。

 それは、夏絶が、今まさに戦場から帰ってきたばかりのことを証明している。

 彼は真っ先に、千夜がいないことに気がついて、すぐにその原因を特定した。一日中、戦場を走り回ってなお、休む間もなく、千夜の身を案じては、陣の中を走り回ったのかもしれない。


「……悪かったよ。君の手を煩わせるつもりは」

「莫迦者! そうではないだろう!」

「うっ……」


 掴む手に力を込められ、千夜は目を細めた。

 まるで引きちぎられそうなほどな強さ。ジャックにやられた傷口が、再び開いて、悲鳴をあげる。

 戦場帰りの男は、手加減を知らない。血に飢えた獣が肉を貪るかのように、強く食いつき、千夜を追い詰める。


 強く唇を吸われると、血の味がするような気がした。

 戦場には出ていないはずなのに、埃と、血の入り交じった泥臭い匂いに侵される。

 夏絶の衣装も血みどろで、抱きしめられると、己の衣まで赤黒い色に染まってゆく。

 ぼんやりとした意識の中、まるで熱砂の中、戦場に身を置いているような感覚すらある。


「んっ」


 思わず声が漏れる。

 無理矢理抱きしめられているのに何故だろう。――昼間、見知らぬ男に追い詰められたときとは明らかに違う。身震いするような感覚は、なかった。



「唇は、触れられたか?」

「いや」

「髪は?」

「ちょっとだけ」

「チッ」


 忌々しげに吐き捨てて、夏絶は千夜に問い続ける。


「他には? 他にはどこを触れられた」

「あ――いや」

「言え」

「ん……胸を、少し。だから、女だって気がつかれたというか」

「お前っ」

「何ともない! な、なんてことなかったさ、そんな……!」


 カッとなった夏絶に詰め寄られ、千夜は狼狽した。

 自分でも苦しい言い訳をしていることはわかっている。本当は、夏絶にとってどこに触れられたかが問題なのではないのだろう。


「……お前を助けた男がいるらしいな? どいつだ?」

「えっ」

「そいつも、お前に触れたのだろう?」

「……っ」


 しかし、彼の怒りの矛先が別の所に向き始めて、千夜はその身を強ばらせた。

 言えるはずがないではないか。千夜を助けたのが他でもない、千夜の幼なじみだったなんて。



 なぜ、彼があの場に居合わせたのかはわからない。

 そもそも、万里は、この軍でどのような立場なのかも知らないのだ。

 どう考えても、かなり特殊な役割についている気がする。単身で治葉に向かうとも言っていたし、軍の中で少々の問題を起こしても、怯む様子も見せなかった。

 しかし、ここで千夜が夏絶に告げ口することは、彼を悪い意味で夏絶に覚えさせることになるだろう。先ほどの兵たちへの対処を考えると、夏絶の余計な嫉妬には晒されない方が良いに決まっている。


 そもそも、もし夏絶と万里が顔を合わせたら?

 それはすなわち、千夜の立場が詳らかになってしまうと言うことではないか。



(……万里にだけは、知られたく、ない)


 だから、千夜は口を閉ざした。

 さよならするつもりなのに。今更、何を知られたところで関係ないのに。それでも、どうしても知られたくなくて。

 わからない、と。くしゃりと顔を歪めたまま告げて、首を横に振る。


「わからないはずがあるか。顔を見れば、少しは思い出すだろう」

「わたしを助けて、すぐに行ってしまったんだ。だから、顔までは見ていない」

「チッ……」

「そもそも、わたしを助けてくれたんだ。君が怒る理由などないだろう!」

「そいつも、お前に触れたのだろう!」

「莫迦か、君は! それくらいで嫉妬するなんて、情けない」

「なっ」


 嫉妬の二文字に、夏絶が明らかに狼狽える。肩を押さえる力が明らかに弱くなって、千夜は彼の腕を振り払った。


「君は! 私が取り込めたらそれで良いのだろう!? 君はわたしを自分のものだと言うけれど、道具にしたいだけじゃないか! 誰に触れられようが、関係ないだろう!」

「……っ。自分の所有物が誰かに触れられて、許せるはずがないだろう!?」

「君の女だって言うのも、ただの、茶番じゃないか! 何をそんなに本気になって……」

「悪いか!」

「悪い! わけが、わからない!」

「何だと」

「わたしは、ただの平民。そうじゃなかったのか!?」

「っ……!」


 一気にまくし立てて、千夜は肩で息をした。

 叫びすぎて、喉が痛い。

 だって、あまりにも、おかしい。誰かに触れられたくらいで、こうも夏絶が執着する意味がわからない。


「道具なら、道具だと、そう言ってくれれば良いんだ――君が、変に、君の女だって言うから。わたしだって、どうしていいかわからなく……」

「言葉どおりだ。私の女になれば良い」

「無理だ! わたしは、白麟だ。やがて、雷王の――」

「そんなものは関係ない」

「なぜそんなに、君のものになることにこだわるんだ!? わたしのことなんか、好きでも何でもないだろうに!」

「……!」

「なぜだ、なぜわたしに口づけをする? 嫌ではないのか。その――好きでもない女と」


 自分で言っていて、惨めになってくるから不思議だ。

 自分だって、夏絶のことは好きではない。そんな浮ついた感情になるはずがない。……なのに、どうしてだろう。口づけの意味にこだわりたくなる道理がわからない。


 やがて千夜は雷王のものになる。

 夏絶に好かれないままでいる方が、ずっとずっと楽ではないか。なのにどうして、口づけに意味を求めてしまうのか。



 もう何もわからない。わかりたくない。

 悔しくて、ばん、と、相手の胸を叩く。

 ばんばん、ばんばん。

 きっと、不遜な態度だろう。あの夏絶を叩いているにも関わらず、彼はそれを、甘んじて受けていた。

 どうやら彼自身も、千夜の疑問に上手く答えられずにいるらしい。ぼんやりとした目で千夜を見下ろしては、やがて、千夜の手を受け止める。

 ぱしんと、拳を掴まれて、顔をあげた。黒曜石の瞳と目があって、どうしても逸らせなくなってしまう。



「知らん」

「っ」


 そうして、彼が告げた一言に、千夜は目を丸めた。

 これだけ千夜の気持ちを揺さぶっておきながら、無責任にも程がある言葉に、目の前が真っ赤になる。


「君は……っ!」


(わたしが、どんな気持ちで……!)


 あまりの言葉に許せなくて、再び夏絶を叩こうとしたが、かなわなかった。

 千夜の拳を掴む手に、益々力が込められるだけ。だから、彼の顔を睨み付けた。ありったけの怒りをぶつけようと、目を吊り上げて声を張り上げようとした瞬間――彼の表情に気がついて、千夜は言葉を失った。

 彼が浮かべているのは、怒りでも、嘲笑でもなかった。それはまるで虚ろな――戸惑うような表情。


(今さら、そんな顔をしたって!)


 何も思っていないはずがないとでも言うように、感情を表に出されても、ますます戸惑うだけだ。



「離してくれ! お願いだから、放っておいてくれ!」


 何度言えば伝わるのか。何度も何度も突き放しても、それでもこちらに寄ってくる。

 もうだめだ。受け入れてはいけない。寄ってくるたびに思うのに、いつも、気がつけば彼のそばにいる。




「明日は、じっとしているよ。君の言うとおり、誰とも関わらない! 君は存分戦に行けばいい! それでもう、いいだろう!」

「……」

「今日の出来事で、千夜は改めて、君のものになった! きっともう、君の心配するようなことは起きない。それで満足なのだろう?」

「それは」


 違う、とでも言いたげな夏絶の表情。千夜は堪らなくなって、首を横に振る。


「何だ。だったら、わたしのことが好きだとでも言うのか。だから、わたしに誰かが触れるのが嫌だと? そうでも言わないと、辻褄が――」

「莫迦げている。そのようなことは、あり得ない」

「そうだ、莫迦げているんだ、高夏絶」


 恋だの愛だの、千夜にとっては――きっと夏絶にとっても、無縁な存在だ。あり得ない。あってはならない。

 だから、夏絶の行為は、説明がつかない。愛だの恋だのでないならば、それは――


「君は、子どもじみてるだけじゃないか。お気に入りの玩具をとられたお子さまの癇癪。たかが平民に入れ込むなんて、高夏絶とあろう者が、とんだお笑いぐさだ!」

「っ!」

「そうだろう? わかったら、離してくれないか! これ以上、無様な姿を見せないでくれ」


 夏絶の黒曜石の瞳が丸く見開かれ、千夜を掴む腕の力が緩まった。

 それ以上、彼は言葉を紡げなくて、ただただ狼狽している。

 千夜は夏絶の腕を振り払い、彼に背を向けた。

 駄目だ。もう、夏絶の顔など見たくない。こんなにも怒鳴り散らすなんて、自分だってどうにかしている。


 一刻も早く、彼の元から離れたくて、千夜は天幕を開いた。


「千夜!」


 いくら呼び止められても止まることなんか、ない。

 走って、走って、走って。

 千夜は己の腕を、抱きしめる。



 そうして千夜は、ただひとり。衣に染み付いた血の匂いに包まれて、その夜を過ごした。

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