それを執着と呼ぶのか
夏絶を中心に、人だかりが出来ていた。近くには柳己たちが控えている他に、先ほど千夜を捕らえた連中が集められている。
パチパチと松明の炎が灯る中、背を照らされ平伏する男たち。彼らを見つけた瞬間、かなり騒ぎになったのだろうと理解する。
言葉を失い立ち尽くす千夜に向かって、夏絶の冷たい視線が降り注ぐ。言い争いになって血が上った時の彼とは明らかに違う、もっともっと、静かな怒り。
立ちすくんでいると、ぐいと肩を掴まれる。
戦帰りで荒くなっている気性をそのままぶつけられ、千夜は震えた。
返り血を浴びた彼は、それを気にもとめず、千夜をそのまま引き寄せる。濃くなる血の臭いに神経が過敏になり、えも言われぬ恐怖が千夜を襲う。
「お前、一体どこにいた!」
「それは……」
何も言えずに口ごもる。しかし夏絶の中ではすでに結論は出ているらしい。もどかしそうに眉を寄せて、頭の上から怒鳴りつける。
「今日はじっとしていろと言ったはずだが?」
「でも」
「お前にとって、危険なのは、敵兵ではないとも言ったはずだ」
「だからって、じっとしているわけには」
「うるさい! 帰って来たら騒ぎになっているから、肝が冷えた」
夏絶に引き寄せられ、皆の方へと姿を晒される。やや着崩れた男物の衣を忌々しげに見つめては、胸元を隠すように引っ張られる。
首元がつまり、苦しい、と抗議するが、聞き入れてくれる様子はない。
千夜の手を引いたまま、夏絶は平伏する男たちへ冷たい視線を投げかけた。
「さて、そこな雑兵よ。申し開きを聞こうか?」
「っ! いえ、我々は――」
「私が戦場から帰ってきたら、この娘が居なくなっていた。……貴様らの部隊に見知らぬ少年が手伝いに加わっていたそうだな」
「しかし、我々は、娘などと知らずに――」
「そうだ。この娘とて、隠していたわけだからな。だが、お前たちは、どこの誰ともわからぬ輩を、無為に引き込んだと言えるな。この状況下で」
「それは」
「その上、手を出そうとしたとか? いい身分だな。余程暇と見える」
夏絶は厳しい表情のまま、平伏する者たちに言いわたす。
「今すぐ、その首を刎ねて欲しいらしい」
「!?」
その夏絶の一言に、周囲のざわめきが一瞬にして静まる。平伏した男たちは、顔を上げることすら出来ず、背中を丸めて震えるだけ。
夏絶はじっと相手を睨み付けたまま、その武器に手をかける。そうして彼が一歩前に出たとき、千夜は焦って、彼の手を掴んだ。
「だめだ、高夏絶!」
「だまれ」
「ここで私刑は許されない!」
じっと彼の瞳を睨み付けて、千夜は声を荒げた。
周囲で、夏絶の部隊の皆も、固唾を飲んでこの状況を見守っている。
夏絶は、目を吊り上げたまま千夜を見つめた。どうしてお前が止める、そう言いたいのだろうが、千夜は必死で首を横に振った。
当然、夏絶とてわかっているはずだ。
忌子である彼は、この軍において何の役職も持ってはいない。裁くことも、人を動かすことも許されていない、完全に切り離された存在だった。
もし彼が誰かを裁くのだと言うのなら、それは身分を振りかざすだけの行為となる。しかし、彼の場合、それが許されるかどうかも怪しかった。
「――このまま、なかったことにしろとでも? 罪は裁かれるべきではないのか?」
「それは」
千夜は黙り込む。元はと言えば、千夜がひとりで外に出なければ済んだ話だったのだ。だからこそ、強く言いにくくて唇を噛む。
「触れられたのはお前だろう。それでも、お前は、何もするなと言うのか」
「それでも。然るべき官に任せるべきだ……」
自分が引き起こしたと思うと、強く主張しにくい。しかし、千夜の背中を押すように、後ろから柳己も夏絶の名を呼ぶ。
振り返ると、いつも穏やかな彼の目が、強く何かを訴えかけようとしていた。いつも柔らかな雰囲気の彼が見せる真剣な表情。
柳己も柳己なりに、夏絶を諌めるつもりなのだろう。腹心の言葉には、夏絶も目を細めて、考え込むように眉を寄せた。
「……柳己、今回の一件に関して、上に報告は上げておけ……意味は成さないだろうがな」
「かしこまりました」
表情は、相変わらず穏やかではない。それでも、柳己の言葉は飲み込んだらしくて、彼は吐き捨てるように言った。
「だが、二度目があったとしたら――どんな手段をとっても、その首を討つ。覚えておけ」
方法は、いくらでもある。そう冷たく言い残すと、夏絶は千夜の腕を強く引いた。
早々にこの場から立ち去ろうとしたものの、ひとつ、思い出したようにすぐに足を止める。
「ああそうだ。あとひとつ――」
そして、振り返っては、皆に向かって宣言する。
「千夜は私のものだ。いくら男の格好をしていようと、誤魔化せるものでもない。……見る目だけはあったようだか、相手が悪かったな」
「……っ」
「二度と、その汚い手で触れるな。下郎が」
それだけ言い残し、夏絶は千夜を引っ張ったまま、公衆の面前を抜けていく。
執着心を隠そうともせず、夏絶に連れられる娘――彼女が、夏絶にとってどのような存在になるのかを、誰もが悟ることとなった。
人垣を掻き分けるように、夏絶は千夜を引っ張ったまま陣の南へと向かう。
驚きと戸惑いで、兵たちが一歩二歩後ろに引くのが嫌でも目に入る。千夜の顔も食い入るように見られて、戸惑いを隠せなかった。
夏絶は、千夜を己のものだと主張したがっていた。それが、こんな形で実現してしまうだなんて、千夜は望んでいない。
ここまで騒ぎになってしまうと、嫌でも、噂で広がってしまうだろう。
「待って! お願いだ――離してくれ、高夏絶」
「お前への説教はまだ終わっていないが?」
「逃げたりしない! ちがう。皆が――皆が見ているんだ」
「……もっと早くに見せつけておくべきだった」
忌々しげに言い放ち、夏絶は真っ直ぐ南へと向かう。
そうしてたどり着いた己の天幕へ、千夜を押し込めた。
先ほどまで誰も使っていなかったからか、むわっとした熱気が喉の奥へと押し寄せる。
過ごしやすいとは言えぬ場所。しかし、夏絶は気にすることなく、千夜とふたりきりになることを優先した。
風を通さぬ空間に、血の匂いが立ち込める。
それは、夏絶が、今まさに戦場から帰ってきたばかりのことを証明している。
彼は真っ先に、千夜がいないことに気がついて、すぐにその原因を特定した。一日中、戦場を走り回ってなお、休む間もなく、千夜の身を案じては、陣の中を走り回ったのかもしれない。
「……悪かったよ。君の手を煩わせるつもりは」
「莫迦者! そうではないだろう!」
「うっ……」
掴む手に力を込められ、千夜は目を細めた。
まるで引きちぎられそうなほどな強さ。ジャックにやられた傷口が、再び開いて、悲鳴をあげる。
戦場帰りの男は、手加減を知らない。血に飢えた獣が肉を貪るかのように、強く食いつき、千夜を追い詰める。
強く唇を吸われると、血の味がするような気がした。
戦場には出ていないはずなのに、埃と、血の入り交じった泥臭い匂いに侵される。
夏絶の衣装も血みどろで、抱きしめられると、己の衣まで赤黒い色に染まってゆく。
ぼんやりとした意識の中、まるで熱砂の中、戦場に身を置いているような感覚すらある。
「んっ」
思わず声が漏れる。
無理矢理抱きしめられているのに何故だろう。――昼間、見知らぬ男に追い詰められたときとは明らかに違う。身震いするような感覚は、なかった。
「唇は、触れられたか?」
「いや」
「髪は?」
「ちょっとだけ」
「チッ」
忌々しげに吐き捨てて、夏絶は千夜に問い続ける。
「他には? 他にはどこを触れられた」
「あ――いや」
「言え」
「ん……胸を、少し。だから、女だって気がつかれたというか」
「お前っ」
「何ともない! な、なんてことなかったさ、そんな……!」
カッとなった夏絶に詰め寄られ、千夜は狼狽した。
自分でも苦しい言い訳をしていることはわかっている。本当は、夏絶にとってどこに触れられたかが問題なのではないのだろう。
「……お前を助けた男がいるらしいな? どいつだ?」
「えっ」
「そいつも、お前に触れたのだろう?」
「……っ」
しかし、彼の怒りの矛先が別の所に向き始めて、千夜はその身を強ばらせた。
言えるはずがないではないか。千夜を助けたのが他でもない、千夜の幼なじみだったなんて。
なぜ、彼があの場に居合わせたのかはわからない。
そもそも、万里は、この軍でどのような立場なのかも知らないのだ。
どう考えても、かなり特殊な役割についている気がする。単身で治葉に向かうとも言っていたし、軍の中で少々の問題を起こしても、怯む様子も見せなかった。
しかし、ここで千夜が夏絶に告げ口することは、彼を悪い意味で夏絶に覚えさせることになるだろう。先ほどの兵たちへの対処を考えると、夏絶の余計な嫉妬には晒されない方が良いに決まっている。
そもそも、もし夏絶と万里が顔を合わせたら?
それはすなわち、千夜の立場が詳らかになってしまうと言うことではないか。
(……万里にだけは、知られたく、ない)
だから、千夜は口を閉ざした。
さよならするつもりなのに。今更、何を知られたところで関係ないのに。それでも、どうしても知られたくなくて。
わからない、と。くしゃりと顔を歪めたまま告げて、首を横に振る。
「わからないはずがあるか。顔を見れば、少しは思い出すだろう」
「わたしを助けて、すぐに行ってしまったんだ。だから、顔までは見ていない」
「チッ……」
「そもそも、わたしを助けてくれたんだ。君が怒る理由などないだろう!」
「そいつも、お前に触れたのだろう!」
「莫迦か、君は! それくらいで嫉妬するなんて、情けない」
「なっ」
嫉妬の二文字に、夏絶が明らかに狼狽える。肩を押さえる力が明らかに弱くなって、千夜は彼の腕を振り払った。
「君は! 私が取り込めたらそれで良いのだろう!? 君はわたしを自分のものだと言うけれど、道具にしたいだけじゃないか! 誰に触れられようが、関係ないだろう!」
「……っ。自分の所有物が誰かに触れられて、許せるはずがないだろう!?」
「君の女だって言うのも、ただの、茶番じゃないか! 何をそんなに本気になって……」
「悪いか!」
「悪い! わけが、わからない!」
「何だと」
「わたしは、ただの平民。そうじゃなかったのか!?」
「っ……!」
一気にまくし立てて、千夜は肩で息をした。
叫びすぎて、喉が痛い。
だって、あまりにも、おかしい。誰かに触れられたくらいで、こうも夏絶が執着する意味がわからない。
「道具なら、道具だと、そう言ってくれれば良いんだ――君が、変に、君の女だって言うから。わたしだって、どうしていいかわからなく……」
「言葉どおりだ。私の女になれば良い」
「無理だ! わたしは、白麟だ。やがて、雷王の――」
「そんなものは関係ない」
「なぜそんなに、君のものになることにこだわるんだ!? わたしのことなんか、好きでも何でもないだろうに!」
「……!」
「なぜだ、なぜわたしに口づけをする? 嫌ではないのか。その――好きでもない女と」
自分で言っていて、惨めになってくるから不思議だ。
自分だって、夏絶のことは好きではない。そんな浮ついた感情になるはずがない。……なのに、どうしてだろう。口づけの意味にこだわりたくなる道理がわからない。
やがて千夜は雷王のものになる。
夏絶に好かれないままでいる方が、ずっとずっと楽ではないか。なのにどうして、口づけに意味を求めてしまうのか。
もう何もわからない。わかりたくない。
悔しくて、ばん、と、相手の胸を叩く。
ばんばん、ばんばん。
きっと、不遜な態度だろう。あの夏絶を叩いているにも関わらず、彼はそれを、甘んじて受けていた。
どうやら彼自身も、千夜の疑問に上手く答えられずにいるらしい。ぼんやりとした目で千夜を見下ろしては、やがて、千夜の手を受け止める。
ぱしんと、拳を掴まれて、顔をあげた。黒曜石の瞳と目があって、どうしても逸らせなくなってしまう。
「知らん」
「っ」
そうして、彼が告げた一言に、千夜は目を丸めた。
これだけ千夜の気持ちを揺さぶっておきながら、無責任にも程がある言葉に、目の前が真っ赤になる。
「君は……っ!」
(わたしが、どんな気持ちで……!)
あまりの言葉に許せなくて、再び夏絶を叩こうとしたが、かなわなかった。
千夜の拳を掴む手に、益々力が込められるだけ。だから、彼の顔を睨み付けた。ありったけの怒りをぶつけようと、目を吊り上げて声を張り上げようとした瞬間――彼の表情に気がついて、千夜は言葉を失った。
彼が浮かべているのは、怒りでも、嘲笑でもなかった。それはまるで虚ろな――戸惑うような表情。
(今さら、そんな顔をしたって!)
何も思っていないはずがないとでも言うように、感情を表に出されても、ますます戸惑うだけだ。
「離してくれ! お願いだから、放っておいてくれ!」
何度言えば伝わるのか。何度も何度も突き放しても、それでもこちらに寄ってくる。
もうだめだ。受け入れてはいけない。寄ってくるたびに思うのに、いつも、気がつけば彼のそばにいる。
「明日は、じっとしているよ。君の言うとおり、誰とも関わらない! 君は存分戦に行けばいい! それでもう、いいだろう!」
「……」
「今日の出来事で、千夜は改めて、君のものになった! きっともう、君の心配するようなことは起きない。それで満足なのだろう?」
「それは」
違う、とでも言いたげな夏絶の表情。千夜は堪らなくなって、首を横に振る。
「何だ。だったら、わたしのことが好きだとでも言うのか。だから、わたしに誰かが触れるのが嫌だと? そうでも言わないと、辻褄が――」
「莫迦げている。そのようなことは、あり得ない」
「そうだ、莫迦げているんだ、高夏絶」
恋だの愛だの、千夜にとっては――きっと夏絶にとっても、無縁な存在だ。あり得ない。あってはならない。
だから、夏絶の行為は、説明がつかない。愛だの恋だのでないならば、それは――
「君は、子どもじみてるだけじゃないか。お気に入りの玩具をとられたお子さまの癇癪。たかが平民に入れ込むなんて、高夏絶とあろう者が、とんだお笑いぐさだ!」
「っ!」
「そうだろう? わかったら、離してくれないか! これ以上、無様な姿を見せないでくれ」
夏絶の黒曜石の瞳が丸く見開かれ、千夜を掴む腕の力が緩まった。
それ以上、彼は言葉を紡げなくて、ただただ狼狽している。
千夜は夏絶の腕を振り払い、彼に背を向けた。
駄目だ。もう、夏絶の顔など見たくない。こんなにも怒鳴り散らすなんて、自分だってどうにかしている。
一刻も早く、彼の元から離れたくて、千夜は天幕を開いた。
「千夜!」
いくら呼び止められても止まることなんか、ない。
走って、走って、走って。
千夜は己の腕を、抱きしめる。
そうして千夜は、ただひとり。衣に染み付いた血の匂いに包まれて、その夜を過ごした。




