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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
16/25

アンリの洗礼(1)

 自陣は騒然とした様子だった。

 北深は焦ったように兵を集めては防衛の構えをとりはじめる。


「一体、何があった!」


 さらにそこに合流した夏絶は、適当な兵に呼びかける。しかし、虚ろな兵士からは、まともな答えが返ってこない。むしろ何が起こったのか、現場に居た者でさえ理解できていないようだった。


「突然、敵兵が――」

「敵兵? 蔡将軍は!?」

「いえ。それは私も――ただ、墜星のアンリが」

「墜星?」


 かろうじて聞き出せた言葉がそれだった。北深に目配せすると、彼が、王子と呼びかける。そうして彼らは頷き合った後、夏絶は更に自陣の奥深くへと向かった。

 千夜は慌ててその後を追う。

 隣に並ぶと、彼は険しい顔をしたまま、ぼそりとつぶやいた。

 墜星のアンリ。聞いたことのある名だな――と。




「蔡将軍はどうした!? 軍の指揮は一体誰が――」

「それは私が後を引き継いでおります。黒王子」


 柵の向こうから、しゃがれたような男の声が聞こえてくる。

 そちらに目を向けると、蔡将軍とは対照的とも言える小柄な男がひょいと顔を出しては、肩をすくめてみせる。


(じょ)庶雪(しょせつ)。お前か」

「ずいぶんな態度ですな、黒王子。蔡将軍では凌ぎきれなかった。だから私が立ったまでですが」

「申し開きは聞いてやろう」

「申し開き? 何をでしょうか。蔡将軍が倒れ、私が陣を立て直した。その武功を褒めて頂くことはあれ、申し開きなど」


 くつくつと笑って見せるものの、その目は笑ってなどいない。

 庶雪は己の顔を扇子で覆う。そこからぎょろりとした目を覗かせては、不遜な態度を崩す様子もない。


「蔡将軍は、無事か」

「――命は。今のところ、ですが」


 含みを持たせた言い方が気に触る。

 長い髭を蓄えた男は、齢四十なかば。武人にしては物足りない、ひょろりとした体躯だ。

 いち軍師の立場だった男がなぜこの場所を仕切っているのか。それが不安で胸が騒ぐ。


「つまり?」

「もう、戦に立てるような状態ではないと言うことですよ、黒王子。――さて。私は忙しい。崩れた軍を立て直さねばなりませんからな」

「貴様が蔡将軍の代わりになれるとでも?」

「お言葉だが、老いぼれながら貴殿よりは役には立てよう。貴殿にはもっと、相応しい場所があるでしょう?」



 そう言って庶雪は、千夜に視線を移す。

 つま先から頭のてっぺんまで、()め回し、口の端を上げた。


「お声をかけるのは初めてですな。私は参軍にあたります徐庶雪。白麟姫。このような場所でのご挨拶になることをお許しください」

「……急ぐのではなかったのか?」

「ははは。かのような老いぼれには見向きもされませんか。まあ良い。白麟姫。あなた様のお力も、この目でしかと見せて頂きました」

「……」

「聞くところによると、戦に出よと雷王は仰ったらしい。ならば戦場に立ち続けるのはあなた様の義務なのでしょう。あなた様に相応しい場所をご用意致しましょう――姫」


 そう告げる庶雪の目が細められる。まるで獲物を定めた狐のような視線に、千夜はぶるりと震えた。



 さあ、と手を出されるが、千夜は首を横に振る。彼は、ついてこいと言いたいのだろうが、そんなものは絶対にごめんだ。

 千夜の正体を知っているのは、この軍の中では夏絶たちの部隊を除けば蔡将軍のみ。事情を知らぬ者の側に居続けることはそもそも不可能だし、この男自体、千夜自身が受け付けない。


(嫌な目だ……)


 王都で何度も目にしてきた視線。

 白麟という存在を、己のために利用しようと近づいて来た者は少なくなかった。

 肌をなめ回すように見られることも、何度も経験している。そして、総じてそのような男はろくでもない者だと知っていた。


 いくら総大将の地位を引き継いだと言っても、千夜は夏絶の元を離れるわけにはいかない。そう思い、千夜は腹の底から声を出す。


「必要ない」

「おや。私でしたら、あなた様にそのような傷を作ることなど、いたしません」

「……」


 庶雪の言葉に千夜は目を細める。

 彼がじいと見つめているのは、千夜の腕だった。

 先ほどジャックに傷つけられた場所。今は強く布を巻いては止血しているが、裂かれた衣装と、じわりと染みた血の色は隠しきれない。


「後方にいては、わたしは役に立てないだろう?」

「姫君を矢面に立たせるようなこと、私にはとてもとても」

「それでも。わたしの出る場所は、わたしが決める」

「ここは戦場ですよ。指揮官の命を蔑ろになさると?」

「雷王は高夏絶にわたしを護るように命を下した。徐庶雪、君はその命を反故させる気か」

「ほう」


 千夜の言葉に庶雪は実におかしそうに目を細めた。

 言い返されるのは彼も分かっていたのだろう。しかし、千夜の反応を見ては、楽しんでいるようだった。



 いちいち癪に障る男だ。神経を逆立てて楽しんでいる様子、心底好きなれない。

 嘉国はこのような男に参軍の地位を与えているのかと思うと、腹立たしい。


「わたしたちは蔡将軍の元へ行く。徐庶雪、君は君の仕事をこなせ。君が忙しいように、わたしも君の道楽に付き合う暇などない」

「気が強くていらっしゃる」

「天の教育だ。さあ、いますぐわたしの前から消えろ、徐庶雪」

「まあ、よいでしょう。蔡将軍はこの向こう。幕舎を張っておりますから、すぐにわかりますよ」


 くつくつくつ。相変わらず耳障りな笑い声を漏らしながら、庶雪はくるりと背中を向けた。

 ひょいひょい、と軽い足取りで千夜たちの前を後にしては、取り巻きたちに命を下していく。

 それを横目にしていると、後方に控える柳己が苦々しそうな表情を浮かべていた。



「――徐庶雪の無礼をお許し下さい、夏絶様。白麟様」

「どうした、急に?」

「末端とは言え、僕も徐家に連なる者なので。どうしても」


 いつもにこにこしている柳己の表情が強ばっている。ぎり、とその手を握りしめる様子、普段から思うところがあるのかもしれない。


「徐庶雪、名前は聞いているな。最近勢力を増している、あの(・・)徐家か」

「ああ、その通りだ」


 貴族の勢力図を頭の中に思い描いては、徐家に関する情報を引き出してくる。

 千夜よりもひとつ年下の三人目の王子。彼を取り込もうとしている勢力、というのが、徐家に関する千夜の認識だ。

 噂の第三王子とは、もちろん千夜も面識がある。その人となりを思い出したからこそ、徐庶雪の様子についても納得するに至った。



「しかし、それならば柳己――こう言っては何だが、君は良いのか。高夏絶のもとにいて」


 たかだか二十前後の青年が家の方針を破れるとは思えない。しかも柳己は徐家の末端と言った。いくら貴族とは言え、一族の派閥から抜け出すことなど、勘当を言い渡されてもおかしくはない。

 それなのに、柳己は苦笑いを浮かべるだけだった。

 行きましょう、それだけ口にして、歩調を早める。


 夏絶も呆れた横顔を見せて、行くぞ、と冷たく口にした。

 そして、奥の幕舎へと足を進めたところで、千夜たち新たな情報を耳にするに至った。



 蔡将軍の右腕を斬り落とした男がいる。

 このところ、名を上げはじめた若手の騎士。


 その者の名は墜星のアンリ。



 ――アンリ・ルベルティア。





 ***





 結局蔡将軍に会うことは叶わなかった。あまりの重傷に、面会どころではなかったからだ。

 そこから数日にらみ合いが続いてようやく、蔡将軍が目を覚ました旨が伝えられる。



 夜。

 いつもの離れた崖の上でその報告を耳にした夏絶は、長く――長く、息を吐いた。


 いつも強ばっている彼の表情が緩まるのがわかる。みすぼらしい服をまとった千夜の隣で、彼は明らかに素の表情を見せていた。

 今日も今日とて、激しい戦いが繰り広げられていた。

 ジャックは直接対峙することはなかったけれども、彼は怪我をおして戦に戻ってきていたようだったし、敵兵は皆、嘉国軍が陣営を持ち直す前に片をつけようと躍起になっている。



 同時に、庶雪の布陣を考えると、はらわたが煮えくり返りそうだった。


 蔡将軍は、いくら夏絶を前線に送ると言っても、彼の直属の部隊に組み込んでいた。きっと、蔡将軍なりの配慮だったのだろう。それは、蔡将軍の考え方を知っている千夜とて気がついている。

 だからこそ、補給などの心配はなかったし、なんだかんだで北深の部隊も、彼の武についていける実力者が見受けられた。


 しかし、庶雪はそうではない。

 一見蔡将軍の用いた布陣のように見えるから、気付いている者は少ないだろう。しかし、北深は前線から後退させられたし――周囲の部隊の固め方、補給の確保、細やかな繋がりを明らかに分断しようとしている様に見える。

 まるでわざと、夏絶と千夜を、消耗させようとしているようにも見えた。



(自国より、己の地位が大事か――徐庶雪。そして第三王子、(こう)秋錘(しゅうすい)


 実に嫌なやり方で、夏絶の力を割きに来ている。

 夏絶は王子の中ではその血の呪いゆえ地位などないに等しいのに、確実に落としに来るかと千夜は思う。


 夏絶だけではない、千夜とて、休む時間などない。

 直接戦うことが出来ない身。だから、邪魔をせぬよう周囲に目を向けること、そして許される限り踊ることだけに注力している。


 しかし、踊っている最中、どうも力が入りすぎているらしい。

 強く杖を握りすぎたのか、両手に無数のまめが出来た。

 日に焼けて、肌も傷む。蘆薈(ろかい)を摩ったものを塗ってはいるが、ひりひりとした痛みはおさえきれない。

 手も足も、ぼろぼろだ。これが姫君など聞いて呆れる。

 全身に蓄積した疲労に打ちのめされ、それでもなお、気丈に振る舞わねばならぬと頬をゆるめた。




「蔡将軍のもとへ、行かないのか?」

「そうだな――」


 夏絶は複雑そうな表情で、頷いた。そうして月明かりを背に、千夜の方を振り返る。

 例のごとく沐浴をしたらしい彼は、解けたままの己の髪をじいと見つめては、その手で梳いた。急遽、夜に人に会いに行くと言うことは、再びその髪を整えなければならぬからだろう。


 彼とともに行動するようになって知ったことだが、彼は、髪を下ろした姿を千夜と柳己以外の人間には決して見せなかった。


 馬油でも綺麗に整えきれない、まるで寝癖のようなくせっ毛。どうやら持って生まれた髪質が、気になって仕方がないらしい。

 ジャックのせいで不揃いになってしまった前髪も気がかりらしく、たまにつまんでは、そわそわとした表情を見せる。

 その程度のこと、と千夜は思うが、彼は動こうとはしない。



 ふう、と千夜はため息をついた。


「いつもはどうしているんだ、その髪は」

「これくらい、私の手でどうとでもできる」


 千夜の質問に、見事にかみ合わない答えが返ってくる。

 それだけ聞いて、ああ、ひとりで結えないのだなと千夜は理解した。


 自棄になったように夏絶は己の髪をまとめはじめるが、不格好な束を作るばかり。余計にぼさぼさになってしまい、千夜はたまらず苦笑する。



「いつもは柳己がやってるんだな」


 千夜の予想は図星だったらしい。

 びくりと彼の肩が震える。予想通りの反応に苦笑しながら、千夜は彼の背の方へ回り込んだ。


 何を、と夏絶は呟くのを無視して、千夜はそっと彼の髪に触れる。

 見た目に反して、ごわごわとしたさわり心地の髪を軽く梳いた後、千夜はそれを三つの束に分ける。

 流石の夏絶も、千夜が何をしようとしているのか理解したらしい。ばつが悪そうにそっぽを向いて、ぽつりと呟く。



「今日は随分、従順ではないか」

「そうだな――もたもたせず蔡将軍の元へ行きたいし」

「ふん」

「わたしには、これくらいしか君に返せるものがない」


 千夜の言葉に、夏絶が頭を動かした。

 理解できないと言った様子で、黒曜石の瞳を千夜へと向けてくる。


「どうした。何か悪いものでも食したか」

「うるさいな、君は! 人が素直に感謝しているんだ、受け取れ」

「いくら戦場とはいえ、食糧は――」

「だからだな! 違う! そうじゃなくて!」


 ああ、もう! と声を荒げて、千夜は続ける。


「ああ……わたしはいつも、君には、怒鳴ってばかりだな。だからその――違うんだ」

「何が言いたい?」

「わたしは、前線で戦うことが出来ないから」


 千夜の言葉に、夏絶は息を呑んだ。先ほどまで調子の良い口調でからかっていたはずなのに、その言葉さえ、口に出すことをはばかられた。


「……いくら補助すると言っても、わたしひとりでは、戦えないんだ。君たちが前に立って、護っていてくれるから、わたしはあのように力を発揮できている」



 自信満々で戦場へ出てきたが、千夜はやはり無力だった。

 夏絶が置かれた状況は、この国の何者よりも壮絶な場所だったし、彼の力でこの国は支えられていることを実感した。

 それほどまで、彼は己の身を投げ打って、ここ、央蛇の基準線を護っている。


「少し君のことを誤解していた。悪かった」

「なんだ、ようやく私に惚れたか」

「どうしてそうなる!」


 素直に謝ったのに、また神経を逆撫でしてくる。

 抗議をかねてぐいっと彼の髪を引っ張ると、情けないうめき声が聞こえてきて幾ばくか満足した。



「ふふっ、あははは」


 ひとしきり笑ったところで、黒曜石の瞳と目があった。

 彼も彼で、目を細めたかと思うと、満足そうに口を笑みの形にする。

 そうして改めて彼と向き合い、千夜はようやく、ここのところ考えていた気持ちを口にした。



「――君の小間使い。それではだめだろうか?」

「む?」

「だから! その……千夜としての、立場だ。身を守れたら良いのだろう? 君のこ……恋人というのは些か抵抗があるが、小間使いなら、慣れている。こうして髪をまとめることも得意だし」

「何を言っている」

「王子、とでも呼べば良いのか? はは、今更だけどな」

「莫迦を言うな」


 なかなかの提案だと思ったが、夏絶はまったくもって納得する様子を見せなかった。

 先ほどまで上機嫌だったはずなのに、彼の表情から笑顔が消えた。


「許さん」

「いいや、許してもらう」

「王子などと呼んでみろ。お前を都へ追い返してやる」

「あのな、何度も言うが、わたしは今、ただの――」

「何度言っても、私が許さぬ。お前は、私の女になれと」

「嫌だ!」

「何だと!」


 案の定、いつも通りの言い争いになってきて、千夜の口調も激しくなる。

 たくさん否定の言葉を彼にぶつけている。

 ひどい言葉ばかり口にしているのに、不思議なものだと千夜は思った。



(わたしは、少し、楽しいのかもしれない)


 こんなにも素直に自分の心をぶつけられる相手など、今までいなかったのだから。

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