らぎちゃんとの話。
旅行から帰ったあの日から僕は一度もさくらを見ていない。
桜の生霊で──彼女の秘めた好意が具現化した存在は、あの日を境に姿を消した。
生霊という存在が、強い想いによって生み出されるものなのだとすれば、それは必然だったのかもしれない。
桜が秘めていた好意は、あの時たしかに僕に伝わったのだから。
「寂しくなんかない」
……寂しくなんかないな。
桜が僕の前から姿を消すのは、何も初めての事じゃない。もう慣れたさ。
「湊にぃ、お邪魔します」
「ああ、らぎちゃん。いらっしゃい」
自室のベッドでゴロゴロと転がっていた僕は居住まいを質すわけでもなく、顔を上げるだけの挨拶を交わす。
最近どうも無気力で、動く気が起きない。
これが夏バテと言うやつだろうか。
僕は寝返りを打つようにして仰向けになると、その上に柊が跨ってきた。
「何してるの?」
「騎乗位みたい」
「……らぎちゃん、あんまりそういうこと言うもんじゃないよ」
彼女ももう高校生。立派なレディだ。
幼い頃から知っている仲とはいえ、異性に対してそういうことを軽々しく言うもんじゃない。
「元気付けであげようと思った。湊にぃ最近元気ない」
「……そう思うか?」
「ん。旅行に行ってから」
「ああー」
「お姉ちゃんに告白されてから」
「ぐふぁっ」
なんで知ってんだよ。
「もしかして桜に聞いた?」
「ん。全部聞いた。湊にぃに振られたことも聞いた」
「振られたって……。別に僕は告白されたわけでもないんだよ。桜には好きだって言われて……それだけだ」
「湊にぃは何も言わなかった。それってフッたってことでしょ?」
「どうしてそうなるんだよ。別に僕は、そんなつもりないぞ」
「もし……もし私が好きな人に好きって言われたら、そのまま抱きしめて離さない。絶対に、離さない。でも、湊にぃはそこで答えを出さなかった。今もまだ悩んでる──悩む余地がある。その好意を──迷惑だと思った?」
好かれるのは嬉しいことだ。
だから、迷惑だなんてことはない。
「……。」
「湊にぃは変わったよね。大人になった。それが成長だとは思わないけど」
相変わらず表情の変わらない柊が何を思っているのかはわからない。だけど何となく失望されてるんじゃないかって、そう思う。
……いや、これは願望か。失望されていたいという願望。
別に嫌われたいわけじゃあないけれど、兄と慕ってくれる彼女の想いが──重い。
僕はこんなにも器の小さいやつだったか?
「感情よりも理性が働くようになった。本能よりも頭脳に従うようになった。……だから、湊にぃは今、私が脱ぎ始めてることに気付かない」
「え……? うわっ、マジじゃん! 何してんの!?」
僕はガバリと起き上がり、シャツのボタンを外す柊を止める。彼女も半分は冗談のつもりだったようで、その手はすぐに止まった。
まったく。心臓に悪い。
「対面座位」
「……。」
膝の上に座る柊を無言のまま下ろそうとした僕。
しかし、柊はそんな僕の頬に手をやってじっとこちらを見つめた。
「あの日……お姉ちゃんは泣いてた」
「……っ!」
泣いてた……?
桜は僕に想いを伝えた後も、いつも通りと変わらない様子だった。なんてこともないように。まるで、彼女の言葉が聞き間違いだったのかと思う程に、彼女は自然体だった。
「我慢してたんだと思う。湊にぃにとって、楽しい思い出であって欲しいから、って」
──せっかくの楽しい思い出を汚したいわけじゃないの。
不意に。
あの時の桜の言葉が浮かんだ。
彼女はずっと僕を気遣っていたのか。
その為に耐えて。耐え続けて。それで──
「ねえ湊にぃ。お姉ちゃん『強くなった』でしょ」
嗚呼。何だよそれ。
桜は……。桜はずっと我慢してきたのか。
泣き虫で。臆病で。いつも鼻を啜りながら僕の後ろを着いてきたあいつが──勇気を振り絞って伝えてくれたんだな。
「僕は、桜を傷付けていたか?」
「さあ。でも、大切だと思う人ほど傷付けてしまう。人間、そんなものだよ」
そうだな。
そうなのかもしれない。
「お姉ちゃんは強くなったよね。……今なら、ちゃんと湊にぃとも向き合えると思うよ。だから伝えてあげて欲しい。湊にぃの想いを」
「想い?」
「ん。だって湊にぃ、自分のことは全然喋ってくれないもん。お姉ちゃんも、それには私だって本当はもっと湊にぃのこと知りたい。ねえ、湊にぃが好きなのは今のお姉ちゃん? 昔のお姉ちゃん? それとも、た・わ・し?」
どうしてこの流れでたわしが出てきたのかは分からないが、そろそろ僕も桜との関係に決着をつけるべきだろう。
泣かせるかもしれない。傷付けるかもしれない。
でも。僕は桜を本気で大切に思っているのだから。
お読み頂きありがとうございます。
今週中には完結予定です。




