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なるほど




「ふむ、これが孤独か……」


 恥ずかしがらず、包み隠さず言葉にすれば、これは確実に迷子というやつだろう。

 一人先走るエマを追いかけた結果、彼女を見失った挙句、他のメンバー達ともはぐれてしまった。

 

「とりあえず、りんご飴を買おうかな」


 まずは落ち着くことだ。

 ここで闇雲に走り回って探したとしても、余計に距離が離れてしまう恐れがある。

 甘いものを食べて、心を落ち着かせれば、きっと平気だ。きっと大丈夫。大丈夫。


「おじさん、この一番大きいやつ下さい」


「あいよー400円なー」


 僕は財布から500円玉を手渡し、お釣りを貰う。

 

 それにしても混んでるなあ。

 僕はきょろきょろ辺りを見渡してみるけれど、やはりみんなは見つからない。


 あー。迷子かあ。


 いや。待てよ?


「もしかして、僕じゃなくて、僕以外の全員が迷子になったのでは!?」


 そうだ。

 多分そういう事だ。まったく。ほんと、しっかりして欲しいぜ。


 ただ、僕は非常に落ち着いていた。

 もし僕が小説の主人公とかだったなら、この後散々迷子になった挙句、花火大会終了直前とかに合流して最後の一発をみんなで見る、みたいな展開になっていたのだろうけれど、これは現実だ。


 僕はスマートフォンなるものを持っているので、例え迷子になろうとも、直ぐに合流が可能なのだ。

 ふふんっと、息をひとつ。僕はポケットからスマホを取り出す。

 桜から届いた大量の着信に、思わず目を丸くしながらも通話ボタンを押した。


「桜、今どこ? 急にいなくなるんだもん。ビックリしちゃったよ」


「ぶん殴るわよ」


「……ごめん」


 怒られた。

 いや、分かってた。ごめん。今のは僕が悪いな。


「で、今どこよ」


「えっと。りんご飴屋さん?」


「どこの? りんご飴屋さんなんて至る所にあるわよ。他にもっと目印になりそうなものはないの?」


「うーんと、あっ、近くに橋があるから、そこで待っ──」



 ……。



「あれ? もしもし? もしもーし? ……。充電が切れてやがる」


 とっても困った。

 これじゃ電話もできないじゃんかよ。

 

 とりあえず、橋まで向かうことにした僕は人混みを掻き分け早足で歩く。

 見知らぬ土地で独りぼっちというのはなんだか心細いものだ。

 ただ、視界に映る景色はどこか懐かしくも感じる。昔はよく、こうして桜と柊とお祭りに来たものだ。

 柊なんかはお小遣いを全部チョコバナナに使ったりしてたっけ。


「ははっ。……はあ」


 そういえば彼女は──桜は、引越し前、最後に行った夏祭りを覚えているだろうか。それほど規模は大きくなかったけれど、近所の子供たちが大勢集まる夏祭りのことを。



 その日は僕と桜の2人で遊び周った。


 中学生に入りたてというのは、まあなんと言うか多感なお年頃で、男女がふたりきりで遊びに行けば、からかいの対象になるわけで。

 結局、祭りでたまたま遭った同級生と取っ組み合いの喧嘩になってほとんど遊ぶ間もなく帰ることになってしまったのだ。


 今となっては呆れてしまうような、思い出話。

 けど、当時の僕は──恥ずかしかったんだろうな。

 実際、僕は桜のことが好きだったわけだし。

 あれからもう。だいぶ時間が流れたように感じる。


 今の桜は昔よりずっと堂々としていて、そして綺麗になった。

 対して、僕はどうだろう。僕はいつまで迷い続けるのだろう。


「いつまで……」

 

 独りで燻り続けるのだろう……。


「何黄昏てんのよ」

 

 不意に、背後から声がかかる。随分と慣れ親しんだ声だ。

 振り返った先にいたのは、あの頃から随分と成長した桜の姿。背筋も伸びて、僕なんかの支えを必要とせずとも、自らの足で立つ、桜の姿だった。


「……何? あんまりジロジロ見られるのは好きじゃないの」


「ああ、いや、ごめん」


 髪で顔を隠した桜は直ぐに踵を返して「みんなと合流するから」と、歩き始めた。

 どうやら、桜はひとりで僕を迎えに来てくれたらしい。他のみんなはエマの方かな。

 

「というかアンタなんで電話出なかったのよ」


「あー、電源落ちた」


「湊、アンタそんなにポンコツだったかしら」


 いやあ、どうなんだろうか。

 迷子にもなったし、反論しづらい。


「ほら、手!」


 と。桜はそう言って左手を差し出した。

 言うまでもなく、その手は繋ぐためのものだ。

 もしかして僕、子供扱いされてる?

 ただ、再び迷子にでもなったらシャレにならないので、ここは大人しく繋いでおく。


 この手の感触も随分と慣れ親しんだものだ。

 ただ昔と大きく違うのは、今は彼女が僕の手を引いてくれているということ。

 桜を導くのが僕の役割だと思っていたけれど、それももう必要がないということなのだろう。


 桜はいつも僕の後ろをついて歩いていた。

 彼女はそんな過去を忌み嫌うけれど。

 でもな、桜。君が後ろで支えてくれたから、いつだって僕は前に転ぶことができたんだぜ?


 僕にとっても、君は支えだったんだよ。


「花火まであとどれくらい?」


「20分といったところね。みんな買うもの買ったら土手の方に向かうそうだから、そこで合流ね」


 どうやら時間の余裕はあまりないらしい。

 普通に歩けば10分も掛からずに着く距離らしいが、この人混みだともう少し掛かるかもしれない。

 

 僕は桜に導かれるように歩き続け、やがて、さっきとは違う、別の橋の上にたどり着いた。


「ああ、間に合わなかったのか」


 丁度半分ほど渡り歩いたところで1つ目の花火が上がる。夜空に咲く大輪の輝きは下を流れる川の水面にまで反射し、辺りを明るく照らした。


「綺麗だ……」


 月並みなセリフかもしれない。

 けれど、ただただ、そう感じた。


「ねえ、湊」と。いつの間にかこちらに向き直った桜が僕に声をかける。その顔はどこか真剣なようで、花火よりもよっぽど目を奪われるようだった。


「覚えてる? 私たちが最後に夏祭りに行った日のこと」


「ああ。覚えてるよ。丁度さっき、思い出してた」


 あの日も、少し遠くで花火が上がったのだ。

 喧嘩して、ボロボロになって、母親にしこたま怒られたあと、祭りからの帰り道で桜と一緒に見たのを覚えている。


「桜の方こそよく覚えてたね。君は過去のことなんて全部忘れたいと思ってるんじゃないかって。そんな気がしてたけど」


「たしかに、私は過去と決別したわ。出来ることならば、高校に上がってからの1年も含めて、諸々無かったことにしたいところね」


 いつも不敵な桜にしては珍しく、顔を顰めてそんなことを言った。


「だけど。それでも、嫌なことばかりじゃなかったわ。大事な思い出だって、大切な記憶だってちゃんとある」


「そっか。その大事な思い出の中に僕との思い出を入れてくれたのは光栄だな」


 なんて。僕は笑う。

 そんな僕を見て、さも当然の如く──


「当たり前じゃない。だって私、湊のことずっと好きだったもの」


 彼女は何の前触れもなく、突然に告げた。


「嘘。本当は今でも好き」


「それは……」


 知っていた。

 本当は知っていた。

 知っていたけれど、今言うとは。

 さすがに不意打ち。思わず硬直する。

 ただ、本人の口から言葉にされるというのは、驚きと共に大きな安心感を僕に与えた。

 きっと僕は未だに心の中で「桜に嫌われているのではないか」という不安があったのだろう。

 いつの間にか、僕は桜との関係に臆病になっていたから。


「そっか。……そっか、ありがとう。凄く嬉しいよ」


 思わず笑みが零れた僕を見た桜は一瞬目を見開く。

 しかし、やがては真剣な顔つきに戻り、桜は言葉を連ねた。


「付き合って欲しいとか、湊がどう考えたか聞かせて欲しいとか、そういうのはないわ。むしろ言わないで。せっかくの楽しい思い出を汚したいわけじゃないの。私がこれまで湊にしてきたことを思えば、返事も大体わかるから。……ただ。ただ、いつか大人になった時、今日の楽しかった思い出と共に私のことを思い出してくれたら嬉しいの。それだけで、私は満足。本当にずっと貴方が好きだったわ。だからありがとう。これまでありがとう。それだけよ」


 きっとこの言葉は彼女にとっての決別の意志だ。

 過去との。己との。そして僕との。

 そうして、前を向いて彼女は歩み出すのだろう。


 まったく。好きだって言ったくせに。僕は振られた気分だよ。


「やっぱり。前に進めていないのは僕だけみたいだ」

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