地獄まで
桃原桜──私のお姉ちゃんはとても頭が良い。
しかし、その頭の良さを発揮できるのは主に勉学であり、学力。
つまるところ、日常生活においては、さほど賢い印象を抱かれない人間であり、むしろポンコツ気味である。
ただ、その頭脳を自分のために使った時のみ、常人では考えようもない成果を上げることもしばしばである。
そして運悪く、その『天才』が今発揮されようとしていた。
「本当に、さっきのキスが事故だと言うのなら、同じシチュエーションでもう一度再現すれば、同じ結果になるわよね?」
お姉ちゃんは天才だった。
さっきのをもう一度再現できる。つまり──
「私はもう一度、湊にぃにキスしてもらえる」
今日ほどお姉ちゃんを尊敬した日はない。
もし、事故を再現した際に、同じ結果にならなければ、お姉ちゃんは湊にぃに強姦魔のレッテルを貼り付けるはずだ。
つまり、湊にぃに残る選択肢は、私にキスをする事だけ。
「お姉ちゃんは天才、お姉ちゃん最高、お姉ちゃん万歳!」
私はお姉ちゃんを褒めちぎる。
今後一生有り得ない機会だと思うから、今のうちにたくさん褒めておこ──
「何言ってるのよ。次は私と柊のポジションをチェンジするに決まってるでしょ? アホなのかしら」
──桃原桜は自分の為にのみ『天才』を発揮する。
「お姉ちゃんの事、嫌いになりそう」
天国から地獄に落とされた気分だ。
今の今まで自然と上がっていた口角が急に重くなったように感じる。
幸せな気持ちが黒く染まっていく。
「物事を捉えるためには視点の変化が重要なのよ」
得意気な顔。
期待に充ちた瞳。
「んっ」
「っ! 危ないわね!」
私が投げたクッションを弾き落としたお姉ちゃんは見るからに機嫌が良さそう。
「とりあえず、湊のところに行くわよ」
「その事前の情報含めて、ぜーんぶ話してもらうからね」
むっつりスケベが階段を上っていく。
「本当にお姉ちゃんが湊にぃとキスする事になったらイヤだなぁ」
湊にぃはガードが硬いので、あまり心配はしていない。
しかし、相手はお姉ちゃんだ。
普段は硬い湊にぃはお姉ちゃん相手には豆腐だ。
湊にぃの本能にはお姉ちゃんを傷つけたくないという気持ちが根付いている。
──それだけ、昔のお姉ちゃんの周りの環境が悪かったという事でもあるが。
出来ることなら、湊にぃには私とのキスをできるだけ引きずって欲しかった。
お姉ちゃんに塗り替えて欲しくない。
私も気が乗らないせいで重くなった足を引きずって階段を上る。
「さっきの事故を再現することに決まったわ」
「……そう」
「湊が扉を開ける担当になったわ……」
「そう!」
私は今日、世界で一番幸せです。




