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悪役令嬢モノの王子に転生したので知識チートで令嬢たちを幸せにします  作者: 鳴島悠希


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第40話 黒き封印、残響の血

消えたはずの孔の跡には、黒く染まった封印だけが残されていた。


城の中心、心柱が失われたその場所に、吸い込まれるような深い暗色がぽっかりと口を開けていた。

それはあまりにも不自然で、禍々しく、それでいて静かすぎた。


呆然と立ち尽くしていたヴァリスの耳に、鋭く割り込むような声が響いた。


「レイナーーーっ!」


ミリアの悲鳴。


振り返るより早く、彼女の姿が視界を駆け抜け、黒い封印の前へ飛び込んでいく。


「返してよ……! レイナを……返してぇっ!」


彼女の拳に光が集まる。

神聖魔法(ディバインアーツ)の術式を纏い、燃えるような光に変わったそれが、迷いなく黒い封印へと叩き込まれた。


鈍い音が響く。けれど、封印は微動だにしない。


「どうして……効かないの……! こんな……こんなの……っ!」


繰り返し、拳を打ちつける。

拳が裂け、血がにじみ、滴が飛び散る。


そのひとしずくが、ヴァリスの頬に生ぬるく当たった。


ようやく、世界に音が戻ってくる。


「やめるんだ、ミリア!」


咄嗟に駆け寄って彼女の肩を抱き留める。


だがミリアは止まらなかった。ヴァリスの腕の中でなお、振り払うように暴れながら、封印に向かって叫び続ける。


「レイナぁ……お願い……返ってきてよ……っ!」


その様子を見かねたのか、ミリアの父、エルフェイン公爵が前に出てくる。


「ミリアを連れていってくれ」


短く、冷静な命令。それだけで数人の騎士たちが動いた。


丁寧に、けれど確実にミリアを押さえ、封印から引き離していく。


「離して……! 離してよ……!」


ミリアの叫びが遠ざかっていく。

その場には、誰も動かぬ静寂だけが残った。


ヴァリスの目が無意識に向いた先には、座り込む父・アルスの姿があった。


普段なら、誰よりも早く動き、指示を出すはずの人が。

その隣には、母・ミナもいた。

二人とも、まるで息をするのも忘れてしまったかのように、膝を折り、うつむいたまま動かない。


場を支配していた歓声も、祝福も、今はただ遠い幻のようにしか感じられなかった。


「……殿下」


掠れた声が、封印の前から聞こえた。


アグレイア侯、レイナの父ライヴェールが、ゆっくりとその黒へ手を伸ばしていた。

指先は触れそうで、触れない。

その手が震えているのが、遠目にも分かった。


「レイナは……どうなったのですか、殿下」


それは、父としての言葉だった。


「……わかりません」


ヴァリスの返答も、ただ、正直なものだった。


「ただ……レイナはあんな姿になる直前……“お母様”と……そう言っていました」


ライヴェールの顔色が、見る間に変わっていく。


「母……ローラのことを?」


その呟きと同時に、目を見開いたかと思えば、今度は苦悶の色が浮かぶ。


「アグレイア侯!」


ヴァリスが肩に手をかけると、ライヴェールはわずかに視線を下げ、そっと首を横に振った。


「申し訳ありません、殿下……少し、気持ちの整理をして参ります。後ほど、お伺いします……」


それだけを言い残し、侯は静かにその場を去っていった。


その後ろ姿に、追いすがることもできなかった。


「……殿下」


エルフェイン公爵の声が、低く会場に響く。


「ここで起きたことは、当面は口外無用といたします。……よろしいですね」


ヴァリスは小さく頷いた。今は、なにも考えられない。


* * *


控室に戻ったヴァリスは、深く椅子に腰掛けていた。


(落ち着け。焦るな……)


そう自分に言い聞かせる。


でも、頭の中はぐちゃぐちゃだった。


(……図書塔。幼い日のあの時……)


“アルヴェリアの地下には、神代の遺構がある”


レイナがそう言った。


そして、その言葉を聞いた当時の自分は、なぜか“それは原作で見た”と、そう思った記憶がある。


“未解析の魔導構造”“物語終盤に現れる敵勢力の拠点”――


だがそんな設定は、フェリル……園田優子の書いた『王冠と純潔の檻』には存在しない。

彼女自身がそう言っていた。


(じゃあ、あれは……何だった?)


理解が追いつかない。


レイナの変貌した姿が脳裏をよぎる。

黒い翼。額に浮かぶ角。かの魔神ビブロスを凌ぐ魔神の威容。


あまりにも禍々しくも美しい姿。


(レイナ……君は……)


頭を抱える。

心が、落ち着かない。


「入りますね」


控室の扉がノックされ、フェリルが入ってきた。


「王子、レイナ姉様に何が起きたのか、教えて」


彼女の表情は冷静だった。


その顔を見て、フェリルがミリアのように取り乱していないことへの安堵と、それに対する理不尽な怒りが同時に湧く。


(……なんで、そんなに冷静なんだ)


フェリルは、静かに歩み寄り、ヴァリスの足元で膝をついた。


「何があったのか、話してください」


その声は、強く、けれど優しかった。


ヴァリスは、震える唇を開き、全てを語った。

レイナとの直前の会話。図書塔の記憶。そして、あの時思った“原作の記憶”。


「フェリル、いや……園田優子。君が書いた『王冠と純潔の檻』に、王都の地下の遺構で敵が現れる、そんな話はあったのか?」


「……それは、無い」


即答だった。


「前にも言った通り、私の物語には魔法も、最後の敵も出てこない。ただ、人の名前が少し重なっていただけで……」


ヴァリスは、ますますわからなくなる。


(だったら、なぜ……)


「でも」と、フェリルが言葉を続けた。


「ローラ様は、レイナ姉様が一歳にもならない頃に亡くなったはず。なのに、姉様はローラ様のことを語っていたの?」


その指摘に、ヴァリスの思考が止まった。


(……確かに。レイナの方こそ、おかしい)


「フェリル、憶測でもいい。今の状況を“物語”として見たとき、どんな可能性がある?」


そもそも彼女の書いた『王冠と純潔の檻』とこの世界で起きている状況にどんな因果があるかはわからない。それでも今のフェリルであれば、自分よりも遥かに今の状況について冷静に考えることができるはず。


先日、父アルスから聞かされたレイナの母、ローラに纏わる過去の話についてもフェリルへ話す。


少し黙った後、彼女は答えた。


「……婚約破棄。その後の王子と、別の女性との結婚……レイナ姉様よりも、ローラ様の方が“悪役令嬢”としての条件を満たしている」


「……」


「そして、悪役令嬢の物語には、王子への意趣返しがつきもの……もし、それが終わってなかったのだとしたら……」


レイナの魔神化。それがローラの遺志だったとしたら。


戴冠の場で、レイナがヴァリスを殺す。

それは、アルスとミナへの最大の報復になる。


「でも……」


フェリルは、そこで力強く言い切った。


「レイナ姉様は、それを拒絶した」


確かに普段のレイナですら、ヴァリスを害することは難しくなく、まして魔神としてのあの威容を見せたレイナであれば、呆然と立ち尽くすヴァリスを殺すことなど造作も無いことだったはず。


あの言葉。

“お母様の思うようにはさせません”


それは、ローラの意志から逃れた言葉だったに違いない。でも、今この場にレイナは居ない。


「……しっかりして」


フェリルがヴァリスの顔を両手で包み込む。


「私の知るレイナ姉様なら、本当にどうにもならないと考えていたなら、あの場で自害してもおかしくなかった」


その言葉は、胸に鋭く刺さった。


けれど、そうなっていない。


「だから、きっと……姉様は、貴方を待ってる」


「……」


「転生者にして賢王ヴァリスは、伊達じゃないでしょ?」


彼女の笑顔が、揺れる心にまっすぐ届く。


普段の儚げにも見えるフェリルからは想像もできない力強い眼差し。同じ転生者としての信頼。


「絶対に助けるの!」


そのフェリルの言葉にヴァリスは、力強く頷いた。


「……ああ、絶対に。レイナを、連れ戻す」


そう、心に誓った。


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