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悪役令嬢モノの王子に転生したので知識チートで令嬢たちを幸せにします  作者: 鳴島悠希


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第39話 銀のティアラと母の願い

──静かで、白い朝だった。


王城の奥。式の段取りが記された札がいくつも掲げられ、回廊を行き交う人々の足音や、裾を整える音、花飾りを留める針の音が重なっている。まるで、今日という特別な日を押し出していくかのように。


その控室。


白の礼服に身を包んだヴァリスは、落ち着かない様子で椅子から立ったり、また座ったり。襟元に手をやり、腰のあたりを触ってみたり、深呼吸をしては吐き出すを繰り返している。


「新郎さん、深呼吸〜。ね? 一緒に数える? いーち、にー、さーん♪」


ミリアが楽しげな声でからかうように笑う。けれど、その声にはどこか優しさがにじんでいた。まるで、張り詰めた空気をほどく魔法みたいだった。


「王子、胸飾りが……ほんの少しだけ曲がっています。はい、これで大丈夫です」


今度はフェリルが静かに整えてくれる。その控えめで丁寧な所作に、ヴァリスは思わず照れくさそうに小さく礼を返す。


そして──


彼の視線が止まったのは、部屋の奥。


純白のウェディングドレスに身を包み、静かに立つレイナの姿だった。


光を柔らかく弾くベール越しの微笑。その姿はまるで、物語に登場する“真の王妃”のようで。


「ヴァリス。今日は長い一日になりますわね」


レイナの言葉に、少しだけ空気が緩んだ。


けれど、それと同時に、その言葉の奥にある意味を感じ取った者も、いたかもしれない。


* * *


コン、コン。


控えめなノックの音が控室に響く。


扉が開き、近侍に導かれて一人の女性が姿を見せた。


黒髪を後ろで束ね、年齢を感じさせない柔らかな雰囲気。けれど、その立ち居振る舞いは静かに気品をたたえていた。


「……母上?」


ヴァリスの呟きと同時に、場の空気が変わる。


それまで朗らかだったミリアの表情が僅かに引き締まり、フェリルは思わず息を呑んでいた。


ミナ。


ヴァリスの母にして、現王妃。


だが、黒髪を束ね、快活そうな、その雰囲気は「王妃」というより武王アルスにとっての「戦友」という言葉の方がしっくり来る女性だった。


ミナはレイナの前に進み出ると、丁寧な淑女の礼を取った。


そして、そっと両手に抱えていた白布をほどく。


現れたのは、繊細な装飾が施された銀のティアラ──アルヴェリア王家に代々伝わる、王妃だけが身に着けるとされる冠だったが、ヴァリスは、母がそのティアラを身につけているところを見たことが無かった。


「わたしには、そのティアラは重すぎたの。やっと、本当にこの冠に相応しい方に渡すことができたわ」


ミナの手からティアラを受け取ったレイナは、そのまま動けなくなった。


どこか、呆然としたように。


そして──


「レイナちゃん……いえ、レイナ様。息子を……ヴァリスを、よろしくお願いします」


その瞬間、レイナの瞳から、音もなく涙が零れ落ちた。


それはあまりにも静かで、そして、本人ですら、泣いていることに気づいていないかのような涙だった。


「ほら、レイナ。お化粧が取れちゃうわよ」


「姉様、時間までには直しますから……だいじょうぶ、です」


フェリルが優しくハンカチを差し出し、ミリアがそっと微笑んだ。


ヴァリスは、胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じていた。


(……こんな泣き方をするのを初めて見た)


泣いているのに声はなく、瞼も閉じない。ただ、透明な雫だけが、頬を伝っていた。


不器用すぎる泣き方。


父アルスから彼女の母、ローラの話を聞いてしまったからだろうか、どうしても張り詰めていた何かを感じさせるものがあった。


そんな彼女を見ていると、心に自然と願いが浮かんでくる。

何があっても、どんなことがあっても──幸せにしなければならない。


(……貴女の娘は、俺が必ず幸せにしてみせる)


父から聞いた亡きレイナの母、ローラに向け、心の中で静かに誓う。


* * *


扉が再び開き、二人はゆっくりと会場へと進む。


白い光が差し込む城の中心部。誓いの儀式が行われる場所には、アルヴェリアの貴族と騎士たちが集まっていた。


二人の姿が現れた瞬間、まるで何かが弾けたように、歓声が上がる。


「賢王ヴァリス万歳!」


気が早い若い騎士たちの声に、ヴァリスが苦笑する。


そして、レイナがその場に姿を見せた瞬間──さらに大きな歓声が城を包んだ。


「戦女神レイナ様だ……!」


「魔神を退けた守護の女神!」


その声に、レイナはただ、微笑んで応える。


もはや、国の象徴として、武王アルスに次ぐ、いや、もしかすると、その彼よりもその名を轟かせていたかもしれない。


静かに、粛々と、儀式が始まる。


アルヴェリア城の中心にそびえる巨大な石柱。城を支えるその石柱は建国時より鎮座しており、国を支える象徴として儀礼に長年、用いられてきた。


その柱に手を当て、誓いを行うことで、王と王妃は“国を支える者”として認められる。


レイナが、そっと手を伸ばす。


ヴァリスも、彼女と同じように手を当てる。


そして、その瞬間──


「……ああ、やはり。今、この時、この場を選ぶのね、お母様」


小さく、けれど確かに耳に届いたその声に、ヴァリスは驚いてレイナを見た。


「レイナ……?」


彼女は微笑んでいた。


けれど、その瞳は、どこか遠くを見ているようで。


「ヴァリス。初めて、わたくしたちが共に過ごした日のことを、覚えていますか?」


「えっ……急にどうしたんだ?」


戸惑うヴァリスの頭に、かつての記憶──幼い日。図書塔をふたりで訪れた日のこと。

幼いレイナと自分の会話したときの記憶が蘇る。


---


「ヴァリス。今日の講義、わたくしが出題しますわ」


金髪を揺らし、レイナが宣言する。


「“アルヴェリアの地下には、神代の遺構がある”という噂。信じる?」


恐らく覚えたばかりの話なのだろう、偉そうな仕草がまた可愛らしい。


……原作の記憶に、確かにあった。


廃都市の遺跡。そこには未解析の魔導構造があり、物語終盤で敵勢力が拠点とする場所。


---


確かにそんな会話をレイナと交わして、そう考えたことを思い出した。しかし……


(……何故、忘れていた? それに、そんな話、原作にはない)


ヴァリスは混乱する。今の今まで、レイナとそのような会話をしたことすら忘れていた事実にも。


フェリル、園村優子が書いた「王冠と純潔の檻」に、廃都市の遺跡も、物語終盤で登場する敵勢力なんて類の話も無い。フェリルとも、それは確認している。


(なのに……どうして、あのとき俺は……原作の記憶に、確かにあった……などと考えた?)


ヴァリスの困惑を間近で目にするも、レイナの様子は変わらない。


問いを投げておきながらも、ヴァリスから、その答えを聞くつもりを感じられない様子の彼女。


──そして。


レイナが柱に触れた手が、黒く染まり始めた。


ヴァリスは思わず彼女を抱き寄せる。


会場がざわつき始める。段取りにない異変。


「……待ってくれ、レイナ。何をしようとしているんだ」


「……ああ、お母様。貴女の思うようにはなりません。させません。ヴァリスは……わたくしのモノです」


抱き寄せるヴァリスの耳元で囁くような声だった。


次の瞬間──白いドレスの背中から、黒い片翼が広がる。


その禍々しい気配に、会場から悲鳴が上がった。


「……なんだこれは」


ヴァリスは震える声で呟く。


だが、レイナは静かに言った。


「……モリガン。今は、わたくしはお母様と話をしています。静まりなさい」


その声と同時に、翼が消え、瘴気も薄れていく。


ヴァリスが安堵しかけた瞬間。


「ああ、哀れなお母様……ミナ様に……ヴァリスを産んだあの御方に貴女が敵うことは何一つ無いと言うのに……」


その言葉と同時に、今度はレイナの背に両翼が広がり、瘴気が一気に会場を包んだ。


ヴァリスの手が弾かれ、レイナの姿が宙に浮かぶ。


「……あ、あぁ……」


ヴァリスは自分の呻く声がどこか他人事のように聞こえる。


目の前のこの光景は、なんだというのか。


瘴気に包まれた白い祝福のウェディングドレスは、漆黒と血のような赤が混じった鎧に変わり、その手には、かつての魔神ビブロスが携えた双剣よりも禍々しさを感じる黒い大剣。そして、背に広がる黒い翼。頭上には銀のティアラではなく、瘴気を放つ角が浮かび、異形の気配が彼女を包んでいた。


それは、ベルテアでのビブロスをゆうに凌ぐ“格”だった。


レイナは、力なく座り込むヴァリスを一瞥すると、そのまま石柱に触れ、次の瞬間、城が揺れ、光とともに石柱が消えた。


アルヴェリアの象徴だった石柱は消え、そこに残ったのは、深く、闇のような孔──


そして、彼女、レイナの姿は、そこにはすでに存在していなかった。


挿絵(By みてみん)

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