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悪役令嬢モノの王子に転生したので知識チートで令嬢たちを幸せにします  作者: 鳴島悠希


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第35話 帰都の夜、三日月の寝台

半月が過ぎた。ビブロスの黒い霧は途絶え、石畳に残った煤は、朝露で薄くなっていた。ザイラント教国の監察官が祭壇に跪き、白の聖印に祈祷を込めると、空気が一瞬、沈黙を孕んだ。残滓なし——その結論は、封蝋とともに聖堂の鐘楼に届けられた。


聖戦は、中止された。鐘は鳴らない。人々は息を吐き、肩を落とした。


布告はその日のうちに掲げられた。アルヴェリア王国はベルテア平定の完了を宣言し、治安維持のためアグレイア侯爵を中核とした駐屯騎士団を残す。主力部隊と民政中枢は王都へ還る。


ロズハイム公は、技師団を率いて現地に残ると申し出た。精霊力を用いた地形安定の術式と、仮設都市の整備計画——“戦後”が始まるその日から、既に彼の懐には青写真があった。


本来、ヴァリスは自ら復興指揮の先頭に立つ覚悟でいた。戦場に足を踏み入れた以上、その結末と責任を見届ける義務があると信じていたし、民の嘆きと希望をこの手で掬い上げねばならないと考えていた。特に、貴族たちの壊滅により政治的中枢を失ったベルテアには、外からの秩序が不可欠であり、その象徴としての自身の存在を必要とされていると自覚していた。


だが、撤収式の最後——


瓦礫越しの空を見上げながら、ロズハイム公は穏やかに、それでいて確かな声で口を開く。


「殿下の目に——私では不足ですかな?」


「……そんなことは、あり得ません」


「ならばお任せを。私は“造る”ことしかできませんが、再びこの地に生を宿すこともまた、戦と並ぶ務めです。そして殿下には……いま必要な人々の傍におられるべき時間があるでしょう。剣を取り、癒やしを授け、誰よりも苦しみに目を向けた者には——少しばかりの静寂が必要です」


それは、押しつけがましくも、過剰にへりくだったものでもなかった。互いに職務と誇りを理解し合う者としての、純粋な信頼と男気の提示。


ヴァリスは目を伏せ、言葉を持たずに深く頭を垂れた。


剣を振るい、癒やし、支え続けた三人に与えられた、ただ一夜の静寂。その価値を、彼は知っていた。


王都の門は、冬の名残を孕んだ風に揺れた。朝の光を受けて、青い旗が高く翻る。


石造りの門前に、フェリルが立っていた。濃紺の外套の下、いつもより丁寧に編まれた髪。深く礼をしてから、頬を少し染めて言う。


「お帰りなさいませ、殿下」


その声に、戦場の緊張が少しほどけた。


入浴、軽い食事。薬草を溶かした湯が疲れた皮膚を撫で、蜂蜜入りのパンとスープが、戦塵を洗うように胃へ落ちる。


寝室。青の薄布が窓を覆い、三日月が静かに光を差し込み、寝台の白が静けさを取り戻していた。


ヴァリスは外套を脱ぎ、肩で息をついた。長椅子に腰を下ろし、地図を思い浮かべる。


ベルテア——今や王都の塔は灰に埋もれ、生き残った貴族たちは家格も影響力も失っていた。逃げ延びた者は数えるほど。その顔ぶれに「暫定政権」を託すのは、もはや空論だった。


かつて王都に来た穏健派の代表者。あの男が、述べた願い——「民の為の政治を」——それを、自国主義の建前で退けたのは他ならぬ自分。


あれから、彼らは理想を貫き、貴族を討ち、自らをも焼いて、結果として貴族だけでなく、民も害して国を滅ぼした。


今、残されたものは——責任だけだ。


“ノブリス・オブリージュ”。本来の意味が、骨に沁みる。


アルヴェリアが併呑し、民を救い、復旧を率いる。それ以外の選択肢は、もうない。


周辺国家への牽制。かつてなら慎重を期して否定したその言葉も、今や現実的だ。エルフの森都シルヴァ=ハルナとの盟約。精霊アモンと世界樹によるインフラ整備。地形生成戦術の実戦投入。古代と精霊の魔導複合——城塞構築(フォートクラフト)の有用性。


ただし、この城塞構築(フォートクラフト)を現時点で完璧に使いこなせるのは、バルムート公をおいて他にないというのが現実であった。


術式の展開位置・タイミング・安定化条件のすべてに高水準の判断と技巧が求められる。


ゆえに、ヴァリスはこれを王国騎士団の士官教練課程に新設すべきと提案し、バルムート公にも直々の教導役を依頼する方針を固めていた。


「まだこの老骨を使うおつもりですな」——そう嘯く姿が目に浮かぶものの、きっと笑って請け負ってくれるに違いない。


王国の軍備を、守りから“築く力”へと移行させる第一歩として、それは確かな道筋となるだろう。


これだけの要素があれば、他国が不意を突いて来たとしても、大きな被害を出さずに正面から跳ね返せる。


ヴァリスの中で、慎重だった意志が、確信へと形を変えた。


そんなことを考えるうちに眠気が、決意を包むように訪れた。


* * *


薄闇の中、ふと寝台の感触に違和感を覚えたヴァリスが目を開けると、隣にはレイナ、ミリア、フェリルの姿があった。


肩を寄せ合い、ひとつの静寂に身を委ねるように、彼女たちはすでにヴァリスの寝台に潜り込んでいた。


「何を……君たち……」


困惑に口を開いたヴァリスに、ミリアが悪戯っぽく微笑む。

「なーんか、最近、いろいろ考え込んでるみたいだから、考える余力と体力と精力を無くしちゃおうかなって」


レイナは言葉少なに、けれど力強い眼差しで彼を見つめる。

「そのほうがきっとぐっすりと心安らかにお眠りになられますわ」


最後にフェリルが、照れたように唇をかみしめながらも、はっきりと告げる。

「……どう考えてもこの状況は自業自得だからね?王子サマ」


ヴァリスは思わずその姿勢のまま後ずさる。

「ま、待って!三人同時は無理!つーか、ミリア!いきなり強化魔法(バフ)を使おうとしてんじゃねえよ!それ、元気になるけど、その元気がどっから来てるか、わからないから怖いんだよ!」


 ヴァリスの叫びもむなしく、三日月の差し込む光に照らされた寝室の夜は更けていった。



* * *


寄り添って眠る中、ヴァリスが目を開けるとレイナが少し身体を起こして部屋に差し込む三日月を見ていた。

その美しい横顔と、どこか遠くに行きそうな雰囲気にヴァリスは戸惑いながらも、そんなヴァリスに気が付くとレイナは、いつもの慈愛に満ちた顔でヴァリスの頭を胸に抱える。


「……愛していますわ。ヴァリス。どうかわたくしを貴方に刻み込んで」


柔らかなぬくもりに包まれながら、ヴァリスはそのまま意識を手放すのだった。


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