第33話 南境動員—灯と軌条
教国への使節団が王都を発ってから、すでに七日が経っていた。エルフェイン公とミリアが帰国し、教国の最終的な反応が明らかになるまで、おおよそ二か月。だが、その間にも救える命、築ける備えはある。
ヴァリスは王城の地図室で、国境線をなぞりながら深く息をついた。王の親征準備は着々と進められ、アグレイア侯の下では従軍体制と民政班の再編が急ピッチで行われている。
その流れの中で、ヴァリスは自身の役目を明確に見据えていた。
「まず、灯を点けよう」
* * *
荒れた南境の大地に、光の帯が一本、静かに伸びていく。整地された地面には、フェリルとともに運び込んだ臨時要石が等間隔に並び、古代魔法で刻まれた整流陣がゆるやかに輝きを放っていた。
要石は本来、世界樹と連動する霊脈に根差した巨大なものだが、臨時要石は“分岐”と“導管”に特化した簡易版で、輸送と設置を前提にヴァリスが設計した。各地の地脈を“流し込み”ではなく、“通すだけ”の構造にすることで、過負荷のリスクを抑えている。
フェリルが要石に手を触れ、アモンの力を呼び出す。彼女の肩が小さく震えた直後、導霊陣が淡く光り、その連なりが夜の荒野を照らし出す。
「よし……これで第一灯だ」
ヴァリスはひとつ息を吐き、光に引き寄せられてくる難民たちの列を見つめた。乱れていた列は自然と整い、恐怖や混乱で泣き叫んでいた子どもたちも、灯の温もりに目を細めている。
「まず示すべきは力じゃない。秩序だ。道だ」
* * *
フェリルが供給するアモンの精霊力は、単なる光にとどまらなかった。給湯や浄水、医療用の簡易設備へも流され、夜間でも温水の供給が可能となっていた。
「フェリル、大丈夫か?」
「うん。アモンの力、今は流すだけだから負担は少ないよ」
彼女はやや疲れた表情ながらも、誇らしげに笑う。
彼女の力が、人々を導いている。
* * *
難民キャンプの設営は、光の帯に沿うように進められた。受付、検疫、配給、診療所、そして母子専用区画。ヴァリスの設計したレイアウトは、ただ並べるのではなく、混乱を避けるために人の流れが自然と制御されるよう配慮されていた。
「名簿は家族単位で記録。離散者は“探し札”に登録して掲示、再会の機会を最大限確保する」
現場の民政官の指示が飛ぶ。石灰を使った衛生消毒、湯を供給する配湯所、止血と治癒を行う簡易治療所。森都から派遣された治癒師たちが、淡々と人々の対応にあたっていた。
ヴァリスは一つひとつを見回りながら、小さく頷いた。人々の顔に少しずつ安心が戻っている。武器の持ち込み、売買、宗教対立、賭博——混乱の原因になりかねない行動は全て掲示され、巡察隊が見回りを続けている。
「“見える秩序”は、それだけで抑止になる」
ヴァリスは呟いた。
* * *
補給線を繋ぐための鍵となるのが、試作段階にあった新たな輸送手段——精霊“蒸気機関車”だった。
そもそも、この構想の原型は、ヴァリスがかつて読んだ現代世界の蒸気機関の仕組みを思い出しながら、自身の知識と魔法技術を融合させて生まれたものだ。
火の精霊を使って金属製の炉を加熱し、水の精霊で蒸気を常に一定の圧力で維持する。その蒸気でピストンを動かし、車輪を回すというシステム。ヴァリスはこれを“精霊循環加熱圧駆動方式”と仮称していた。
「燃焼と加熱は火精、蒸気生成は水精。制御は古代魔法で行う。蒸気圧の暴走を防ぐ逃し弁には、過圧時に自動で発動する安全陣を付ける。問題は、構造と材料だな」
研究初期、ヴァリスは小規模な蒸気ボイラーの爆裂実験を何度も繰り返し、圧力の限界や安全装置の構成を煮詰めていった。
レールには導霊石を練り込んだ砂鉄と、土の精霊により圧密した路盤を使用。整備や修復は、精霊魔法の精霊との“会話”によって迅速に行える仕組みが整った。
「輸送は“繋ぎ”、軍は“留め”、民は“積む”。列車はその背骨になる」
ヴァリスはそう確信し、開発責任者の精霊技師に試験運用を命じた。
* * *
そして、初運転の日が来た。
機関車は低く汽笛を鳴らしながら、白い蒸気を上げてゆっくりと走り出した。配湯用の給湯車も連結されており、その背には食料、薬、幕舎材、衣類、そして子どもたちのための木製玩具と絵本が積まれていた。
夜の闇を裂いて走るその姿に、人々は静かに手を合わせ、子どもたちは目を輝かせて見上げていた。
「剣よりも、まず届けるものがある。それが、国というものだ」
ヴァリスはその列車の後ろ姿を見送った。
* * *
精霊列車の安定供給が見込めたことで、民間連携を含む“灯”作戦が本格稼働した。
登録、配給、就業へとつなぐ三段階のフロー。適性がある者は鍛冶、縫製、木工などの作業に就かされ、労働には対価を支払う。
「一時的な“保護対象”から、“社会の一部”へ。そこまでやって初めて支援と呼べる」
ヴァリスはロズハイム公と視線を交わし、静かに頷いた。
未成年や母子は優先保護の対象となり、孤児たちは森都や王都の義塾へ。宗教や文化の違いで争いが起きぬよう、神殿関係者と市民代表による調停委員会も結成された。
民間商人による買い叩きには、臨時取引所を設けて標準価格を掲示し、抑制を図る。夜泣きが多い幼児区画には、回廊楽士と読み聞かせ師を配置した。
「心にまで光を届ける。そういう設計じゃないと、これは続かない」
ヴァリスは自分の手帳に、その言葉を走り書いた。
* * *
王都の朝は静かで、けれどどこか張り詰めた空気に包まれていた。
正門前の広場には、騎士団の第一梯団が既に集結しており、蒼銀の鎧が朝の光を反射して整列している。その最前列、ひときわ眩しく輝く鎧姿が一人。
レイナだった。
彼女は王族に連なる者としてだけではなく、将たる威厳と覚悟を纏い、整然とした騎士たちの中心に立っている。
彼女の全身を包む蒼の鎧は、重厚さと美しさを兼ね備え、腰には女性が用いるとは想像しがたい大剣が帯びられていた。
その隣には、紅のインナーの上に純白の法衣を重ねた少女。ミリア。
彼女はどこか普段より神妙な面持ちで、それでも肩にかかる金の紐飾りと胸元の聖印が、その場に立つ理由を雄弁に語っていた。
ヴァリスはその二人を見つめながら、心の奥で小さなため息をついた。
本心を言えば、彼女たちを戦場になど送りたくはなかった。
けれどアルヴェリアにおいて"戦乙女"と称えられるレイナの存在は、騎士団の士気に大きく影響する。
さらにいえばアルヴェリア最強の戦士である武王アルスの愛弟子でもある彼女は、戦闘力としても多くの騎士たちよりも高い実力を持つ、アルヴェリアの最高戦力の一人でもあった。
騎士たちにとって"戦乙女"がともに剣を執るという事実は、何よりも強い支えとなる。実際、整列する騎士たちの目には、敬意と誇りが宿っていた。
そしてミリア。
彼女の持つ神聖魔法の癒しは、当人が「死んでなければなんとかする」との言に誇張は一つも無く、もはや戦術資源であり、戦場において彼女一人がもたらす影響は計り知れない。
場合によっては、レイナや武王アルス自身の命をも救うことに繋がる以上、彼女が赴かない選択肢はなかった。
「……ふたりとも、どうか無理はしないでくれ」
その一言に、ヴァリスのすべての想いが詰まっていた。
レイナは口元をゆるめ、ほんの僅かに柔らかい表情を浮かべた。
「大丈夫です。こういう時のために培ってきた力ですから。わたくしも、ちゃんと帰ってきますわ」
隣でミリアがいたずらっぽく笑う。
「ヴァリスくんは、それよりもあたしたちが戻った後のことを心配したほうがいいと思うよ。ちゃんと体力と精力を養っておいてね♡」
「おまえな……」
苦笑混じりにヴァリスが返すと、ミリアは得意げに胸を張った。
「大丈夫。あたし、伊達に教国で“聖女様”やってたわけじゃないから。聖戦なんて使わせない。絶対に」
ミリアは先ほどまでと打って変わって真剣な表情でそう呟く。
そのやり取りを見ていたフェリルが、たまらず駆け寄った。
「うぅ……レイナ姉様、ミリア様……!」
彼女は両腕を広げて、二人にしがみついた。涙をこぼしながら、懇願するように言葉を絞り出す。
「お願い、無事に……絶対、無事に帰ってきて……」
レイナがそっとフェリルの背を撫で、ミリアもふわりと腕を回してその涙を受け止めた。
ヴァリスは、そんな三人の姿を見つめながら、心の奥底で静かに誓った。
——必ず支える。たとえ、どんな戦場であっても。
だがその一方で、彼女たちと共に前に立てない自分の無力さを噛みしめずにはいられなかった。
父・アルスは“武王”と称されるほどの剣士であり、実際、国の最前線に立ち続けてきた。対して自分はどうか。
剣の腕は、人並み。いや、騎士団の中では平均にも及ばないと自覚している。もちろん武勇だけが王ではなく、実際に王太子として民の幸福のため、武器を持つよりも貢献してきたとの自負はある。
それでも——
もし万が一、レイナやミリアが戻ってこないような事態が起きたとき、その場にいるだけの力を持ちえなかったことを後悔してしまう時が来るのではないだろうか。
得意とする古代魔法。それは補助や構築、記録といった分野を専門にヴァリスは使ってきたが、冒険者たちにも広く普及する汎用魔法であり、戦闘における魔法も多く存在する。
後悔しないために出来ることは始めるべきだろう。
「……俺は彼女たちを幸せにする為ならどんな手だって使って見せる」
そう呟いて、ヴァリスは背筋を伸ばした。
戦の行く末に何が待つかは分からない。
だが、今、信じるべき人たちの背を、確かに見送るために——
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