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悪役令嬢モノの王子に転生したので知識チートで令嬢たちを幸せにします  作者: 鳴島悠希


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第29話 精霊の円環

春の雨が上がった翌朝、最初の作業はエヴァレット領の峠から始まった。


風が通る斜面の上に、鳶職人たちが足場を組んでいく。朝露を吸った木材がきしむ音に混じって、鉄具の打音が規則的に響いていた。新設される鐘楼の支柱は、世界樹から引かれる風系の補助要石が接続される拠点のひとつとなる予定だった。


慎重に積まれる材木の隙間から、若い職人が頭を覗かせる。


「おい、図面持ってきたか?」


「あるある、ヴァリス王子直筆のやつだぞ。風の通り道まで全部描かれてる」


羊皮紙に描かれた風の流線図を見た年長の職人が、髭を撫でながら呟いた。


「……まるで風の骨格みたいだな。人間のやることじゃねぇ」


風の流れを受ける尾根に要石を埋設するため、地盤の補強が始まる。術者が整流陣の骨格を刻み、遮断と分岐の術式を整えていく。風の通り道に逆らわぬよう、あくまで自然の“流れ”に寄り添う設計だ。



同じ頃、王都近郊では、湧水田に面した水車小屋が朝から賑わっていた。


初夏の陽光が差し込み、朝露を残す畦道に子どもたちの歓声が跳ねる。新しく設けられた観測陣の台座には、青白い霊光の糸が常に脈打っていた。


「この針、動いてるよ!」

「昨日の夕方よりも高いとこにある!」

「それ、川の流れが増えたからだってさ」


水車の主である壮年の男が、子どもたちを軽く脇に退けながら観測装置を覗き込んだ。


「これが精霊の流れを測るってやつだ。目には見えねぇけど、水の精——ウンディーネの“通り道”がこの針に触れると動くんだ。急に跳ねたら……お前たち、逃げろよ?」


「えぇぇっ!?」と、少年たちは目を見開いて笑い声を上げた。



鍛冶場では、火系の補助要石の接続に向けて、炉の再設計が進んでいた。


赤々と燃える鉄と汗の匂いが充満する中、職人たちは炎と対話するようにして作業していた。


新たに導入された導霊石を扱う若い弟子が、炭埃まみれの顔で親方に尋ねた。


「親方、火の息が変わった気がします」


「そうだ、これは“精霊の息”だ。俺たちが吹く空気とは違う。重さがあって、芯に届く」


親方は炉の中に視線を落とし、そっと呟くように続けた。


「これはサラマンダーの息だ。火の精。導霊石を通すことで、あいつが少しだけ俺たちに肩を貸してくれてる」


灰色の導霊石がゆっくりと赤く光り、その脈動に合わせて炉が静かに呼吸を始める。


「火を育てるってのは、こういうことだ」



森の奥深く。朝の陽が届かぬ静寂の中、フェリルはマリーとともに瞑想をしていた。


湿り気を含んだ空気と、かすかに香る樹皮の匂い。足元の土はわずかにぬかるみ、精霊の気配があたり一面に満ちていた。


「……流す、止めずに……流す」


小さな声で何度も繰り返しながら、フェリルは掌を開いた。


その上に、かすかに火の糸が揺れる。ふっと風が通り、糸は水へと変わり、土がその輪郭をなぞるように振動する。木の上から舞い降りた葉が、彼女の肩先でふわりと踊った。


「今のは良い流れでした」


マリーの静かな声が、空気を震わせた。


フェリルは息を大きく吐き、目を細めたまま呟いた。


「……小さい頃から助けてくれてたコマちゃん……アモンがこんな力を持っていたなんて」


「アモンは、ただの精霊力の塊ではありません。火のサラマンダー、水のウンディーネ、風のシルフ、地のノーム。それぞれの精霊を無限に生み出す、渦巻く混沌精霊」


マリーはフェリルの隣に膝をつき、両手を組んだ。


「けど、正直言って私も驚いています。私が聞いていたアモンはもっと獰猛な印象、姿かたちは伝説の魔獣ベヒーモスと酷似していると。とても強い精霊力を感じますが、とても暴走するようには見えない」


フェリルはゆっくりと頷いた。


「きっと王子がコマちゃんを災害ではなく、みんなの助けに変えてくれると思う。その時にしっかり、それに応えられるようにがんばらないと」


* * *


そして季節は巡り、補助要石の施工も全て終わった。空の色が冴え、風の匂いが変わったその日。世界樹の前には、王都と森都から招かれた者たちが静かに集まっていた。


ヴァリスは整流陣の魔力反応を確認しながら、フェリルの背に視線を送る。フェリルの顔には、緊張と決意が同時に浮かんでいた。マリーがその肩にそっと手を置くと、フェリルは深く頷いた。


「フェリル、いいか」


「うん。始めるね」


フェリルは大地に膝をつき、静かに目を閉じる。掌を伏せて大地に添えたまま、深く呼吸を整えていく。魔力の鼓動が内から外へと広がり、周囲の空気が微かに震えた。


次の瞬間、大地が低く唸り、空気が凪いだ。


静けさの中に現れたのは、巨大な影だった。世界樹の根を中心に、光と影が重なり、そこに一体の獣が立つ。


淡く燐光を帯びた毛並み。鋭い双眸。アモンの真の姿である、狛犬にも似た巨大な精霊獣が、その巨体をフェリルの前に伏せるようにして現れた。


その存在感は圧倒的でありながら、どこか神聖な安らぎを孕んでいた。


マリーは一歩下がり、術式の位相を調整し始める。ヴァリスも陣に向き直り、古代魔法(アーカイブアーツ)で整流の構造を展開する。風、地、水、火——四属性すべての出力先を確認し、補助要石との接続を開く。


「始動……お願いします」


ヴァリスの合図とともに、フェリルが両手を掲げる。その掌から、赤と青の光が螺旋を描いて天へと立ち上る。火と水、二つの属性が最も活性化している証だった。


アモンが低く唸り、その身体から風の奔流が吹き上がる。地がうねり、根が響き、陣の底から光が脈打ち始めた。


整流陣が発光し、十二の補助要石が一斉に共鳴を始める。


王都近郊では、湧水田の水車が静かに回転を始めた。峠の鐘楼では風が鐘を鳴らし、鍛冶場では炉に火が灯る。南部の石灰窯では、白い煙がゆっくりと上がりはじめ、作業員たちがそれを見上げて歓声を上げた。


「動いた……! 本当に、動いたぞ!」


アルヴェリアの魔術師とエルフの精霊使いが一組となった観測班の報告が次々と陣に届く。


「各補助要石、出力安定中!」

「世界樹の根脈、負荷なし!」

「位相ずれ、ゼロで同調維持!」


ヴァリスは記録用の孤独の記録者ソリタリウス・スクリプタに口述を送る。


「世界樹精霊網、補助要石十二基による分散負荷。同期成功。……精霊力の流通は開始された」


一息ついて振り返ると、フェリルがゆっくりとベヒーモスの鼻面を撫でていた。その目には、確かな安堵が浮かんでいた。


マリーは少し離れた場所で静かに手を組み、風に吹かれながらその様子を見守る。

その傍らにはミシェルが穏やかな顔で佇んでいた。


その光景を見届けながら、ヴァリスは静かに呟く。


「……長かった。だけど、これで多くの問題が一気に解決したな」


アモンの力は、世界樹を通して、シルヴァ=ハルナとアルヴェリアを繋いだ。

一つの心臓ではなく、十二の拍動によって生きる新たな循環系へと変貌を遂げたのだ。


森と街が、光と風が、水と土が、ひとつの環をなして回り始めた。


それは、かつて精霊と人とが共に歩もうとした古の記憶が、再びかたちとなった瞬間だった。


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