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悪役令嬢モノの王子に転生したので知識チートで令嬢たちを幸せにします  作者: 鳴島悠希


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第10話 繋がりという名の防壁

王都に戻って数日。

王宮の最奥、執務室の扉が静かに閉ざされると同時に、ヴァリスはようやく一人の時間を得た。


机の上には、王国全土を記した地図と、各村ごとの進捗表が広げられている。

朱印で記された印は、王都近郊から南境へ向けて帯のように連なっていた。


それは、公衆浴場と公娼制度の導入が進められている地域。


――王太子ヴァリスが主導した新施策の最前線だ。


これまで王都で実証された効果――公衆衛生の改善、疾病率の低下、性犯罪の抑止と公的性風俗の管理による秩序安定。これらの成果を携え、いま南方の村々へと拡大されていた。


だが、今回の南方優先には、もう一つの切実な理由があった。


「……ベルテア王国」


地図の南端、境界線の外に記されたその名を、ヴァリスは唇の内でそっと呟いた。


三十年前のある事件をきっかけに王権に共に抗した貴族たちと民衆との間で内ゲバとも言える争いが頻発し、その政治的混乱と、それに伴う飢餓により国家機能が危ういベルテアでは、難民たちが周辺諸国へと流出していた。


もちろん隣国であるアルヴェリアには、当時、多くの難民が流入した。


アルヴェリア王国は中原の強国であり、隣国ベルテアとは比べものにならぬ安定と秩序を誇る。

加えて、軍事力を担う王国騎士団は大陸でも屈指と評され、当時は民を救うためという機運も確かにアルヴェリアにあったのだ。


しかし、五年前に外ならぬヴァリス自身の提言により、難民を流入させない政策を取ったのだ。


現在、アルヴェリア王国は、王太子ヴァリス自身の実績により、国力も大きく向上しているとして高く評価されている。

さらにミリア=エルフェイン――聖女とまで称えられた少女も存在し、各国の注目を一身に集めていた。


そんな状況下での無計画な難民の受け入れは、周辺国に『領土的野心』を疑われかねない。

そして何より、国境沿いに潜む難民の一部は、ベルテア貴族を打倒せんとする民衆派の影響を色濃く受けており、事実、野盗化しつつある集団も確認されていた。


それに、アルヴェリアで公娼制度が始まる前の暴力と搾取、違法売春による治安の悪化の中心にいたのは、ベルテアからの難民でもあった。

彼らが悪いわけではなく、馴染めない状況で生きるとなるとどうしてもそうなってしまうのだ。

だからこそ、安易な受け入れによる治安の悪化は避けられない。


さらに付け加えるとベルテアの貴族たちは民の流出に伴う国力低下とアルヴェリアへの併合を危惧し、一方の民衆派はアルヴェリア王国は、貴族たちの国で民衆が虐げられ、ベルテアを解放したら次はアルヴェリアであると息巻いているような有様だった。


そのような状況においてアルヴェリアに流入する難民のうち、本当の難民は果たしてどれぐらい居るのか。

とはいえ、国境線は果てしなく長く、すべてを騎士団で監視し、難民を遮断することは不可能。


「だからこそ……」


ヴァリスは赤線で囲まれた南方の村々に目を走らせる。


『村』という共同体に、情報網と結束を持たせる。

公衆浴場は、ただの衛生施設ではない。裸の付き合いが生む信頼と会話は、村人同士を結びつける最良の装置となる。

公娼館は、制度に守られた中で働く者たちが、客の素性を見抜き、異変を察する最前線ともなり、国に馴染めるかどうかの試金石ともなる。


「情報が人の間を巡る仕組みを、村の中に構築、いわば『ムラ社会化』を意図的に加速させる……。それが、馴染める者と馴染めない者を見抜き、出入りの状況を国に集約する」


これが、ヴァリスの導き出した答えだった。


このヴァリスの臆病とも言える難民抑制の施策は、若い騎士たちからの反発があった。

民を苦しめるベルテア王国の貴族を打倒し、民衆派を名乗る革命主義者たちも打倒し、アルヴェリアの威光の元、民を解放するべき、という意見も若い騎士を中心に多くあったのだ。


ヴァリスにとっては、それは共感できる感情だった。

苦しむ者を拒むこと。

彼らが命の危険があると知りながら、門戸を閉ざすこと。

若い騎士たちはこの国を誇りに思い、そして実際にそれに応えるだけのノブリス・オブリージュが貴族たちに根付いており、政治も安定している。


彼らは、この国の民になることは幸せであると信じているのだ。

それが“政策”という名で否定されうる理屈は、理解していても、納得はできないだろう。


まして騎士の中には、過去のベルテア王国からの難民二世が努力してなった者もいる。


――確かに今のアルヴェリアの戦力でベルテア王国に攻め入れば一定の成果は見込めるだろう。

おそらく戦争という意味では勝負にもならない。


だが、それでも、多くの人が、騎士たちだって少なからず死ぬことになる。

それに国力が上がったといっても無計画に併合できるほどの余力はなく、国境線もさらに伸びて、他国が動いたときに対応は難しくなるだろう。

それに無計画に受け入れた難民は、生きていくために不法に手を染めてしまうことも多い。


であれば、他国の難民と国民、命に差をつけなくてはいけない。

自分の決断で誰かを救い、誰かを見捨てる。その重みを噛み締めるように、ヴァリスは深く息を吐いた。


一方でヴァリスの考え、施策は王国における高級貴族、重鎮たちからは大いに支持を集めた。

ヴァリスが築いてきた信頼と、これまでの実績を差し引いても、国を守る、という一点において、この冷静さ、ある意味で冷徹さ、そして自責の対応は、経験豊かで老獪な貴族たちからも信頼を集めるにたる理由となったのだった。


「殿下」


その扉を、レイナが叩いたのはちょうどその時だった。


金糸の縫い込まれた濃藍のドレスに身を包み、堂々たる気品を纏いながらも、その瞳は柔らかく、彼だけを見ていた。


「騎士団の人員、手配は完了いたしました。各村に過不足なく、必要な連絡線の確保も済ませております」


「ありがとう、レイナ。……本当に君は、僕にとって――」


何かを続けようとした彼の言葉を、レイナはそっと手を重ねて止めた。

白く細い指が、彼の手を包む。


「殿下の為されていることに、私は心から賛同しております」


その声音は気丈で、揺らぎのない意志を感じさせた。


青い瞳がまっすぐに射抜いてくる。

レイナは、ヴァリスの手をそっと包んだまま、真っ直ぐに彼を見つめる。

ヴァリスはその言葉に頷きつつも、彼女の内にあるはずの痛みを想像せずにはいられなかった。


ベルテアの難民――本当に虐げられている者たちを、拒まざるを得ない。

万人に等しく慈しみを向けられる彼女にとって、この施策はきっと耐え難い矛盾を含んでいるはずだ。

まして若き騎士たちに「戦乙女ヴァリキュリア」と呼ばれるほど支持を集める彼女である。


それでもこうして何も言わず、率先して騎士団の手配を終え、こうして自ら支えに来てくれる。

その事実が、ヴァリスの胸を強く揺さぶった。


その声音に、感情が波紋のように広がる。

ヴァリスは、静かに彼女の手を握り返す。


「レイナ……ありがとう」


ふと、彼は微笑んだ。


「なんですの?」


「いや、少し幸せだなと思って」


「もう……」


彼女が膨れるように眉をひそめると、ヴァリスの手を引いたまま一歩、身体を寄せる。


そして、そっと唇を重ねた。


それは一瞬の優しさ。


けれど、ヴァリスが何かを言いかけたその瞬間――

もう一度、唇が重ねられた。


「……んっ……」


彼女の瞳が細められ、身体を密着させる。


だが、それ以上の描写は、この場では不要だった。


やがて唇が離れたとき、レイナは微笑みながら囁いた。


「そうやって私を誘うのであれば……今夜はお覚悟くださいまし」


くるりと踵を返し、羽のように裾を揺らしながら、彼女は部屋を出ていった。


残されたヴァリスは、しばし呆けたように立ち尽くしていたが、やがて机に目を戻す。


地図の上に指を滑らせ、国境沿いの村へと目を落としながら、ぽつりと呟いた。


「まずは出来ることを確実に……南へ向けて」


この熱を守るためにも、やるべきことをしなくてはならない、と心に誓うのだった。


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