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相棒  作者: 蒼龍 葵
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第18話 友達にも戻れない


 医学部と看護学科ではキャンパスの棟も時間割も違う。

 直己と顔を合わせられるのは、月に一度あればいい方だった。


 それでも、会えた日は妙に嬉しくて、俺はそのたびに自分の感情を誤魔化していた。

 


 ある日の昼休み。

 中庭で直己がひとり弁当を広げているのを見つけた。


(矢木だ……声、かけてみようかな)


 そう思って歩き出した瞬間、直己の横に笠原が立った。


「直己〜! 今日の午後の実習、資料持ってきたぞ!」

「ありがとう、笠原。助かるよ」


 直己が向けた笑顔は、俺が見たことのないほど柔らかかった。

 胸がざわつく。


(……笠原には、あんな顔するんだな)


 笠原は看護学科で一番顔が広い。直己と同じ学科で、毎日顔を合わせられる距離にいる。

 俺にはない“日常の近さ”を、あいつは持っている。

 その事実が、妙に胸に刺さった。

 だから、笠原が看護学科のマドンナ──彩香と付き合い始めたと聞いた時、俺は他人事なのにほっとした。


(これで……矢木と話す機会が少しは増えるかもしれない)


 そんな淡い期待すら抱いた。

 だが、現実はもっと面倒だった。

 彩香は笠原と付き合っているはずなのに、なぜか俺にも近づいてきたのだ。


「智幸くんの方が魅力的よ。ねぇ、連絡先教えて?」


 冗談じゃない。彩香は俺の家柄と金にしか興味がない目をしていた。


(……こういう女が一番嫌いだ)


 適当に距離を置いていたはずが、

 気づけば“付き合っている”ことにされ、

 そして一方的に振られた。

 その後、彩香は俺の悪口を好き勝手に吹聴した。


「片倉ってさ、実は◯◯らしいよ」

「全然ダメだったって彩香が言ってた」

「見た目ワイルドなのに残念過ぎる〜」

「勉強一筋だから、仕方ないのかなあ」


 事実無根の噂が勝手に広がっていく。

 くだらない。腹も立たない。

 ただ、関わった自分が馬鹿みたいだった。


 そして──その噂が落ち着いた頃だった。


「そういえば、直己って最近彩香と一緒にいるよな」


 美園の何気ない一言で、胸が冷たくなる。


(……まさか)


 信じたくなかった。でも、事実だった。

 直己が、彩香と付き合い始めた。

 胸の奥が、ずきりと痛んだ。


 笠原に向ける笑顔を見た時よりも、

 彩香に近づかれた時よりも、

 ずっと深く、鋭く。


(……なんで、あいつなんだよ)


 言葉にならない感情が、静かに胸の底へ沈んでいった。


 直己と彩香が付き合い始めてから、俺たちはほとんど会わなくなった。

 医学部と看護学科ではもともと接点が少ない。

 それでも以前は、月に一度くらいは顔を合わせていた。

 だが、彩香と付き合い始めてからは──

 その“月一”すら消えた。


 中庭で見かけても、直己の隣には必ず彩香がいた。


(……もう、俺の入る隙なんてねぇな)


 そう思うたび、胸の奥がじわりと痛んだ。



 ある日、直己から珍しく連絡が来た。


『話したいことがある』


 思わず胸が跳ねた。

 久しぶりに会える嬉しさが先に立った。

 だが──直己の口から出たのは、予想もしなかった言葉だった。


「彩香って、前にお前とも付き合ってたんだよな」

「ああ」


 直己は苦しそうに笑った。


「知ってた。噂も……全部」


 胸がざわつく。

 その笑みは、笑っているはずなのに、どこか泣き出しそうで。

 直己が言っている“噂”が何なのか、すぐに察した。


 彩香が、直己以外の男と遊んでいること。

 智幸の名前も、その中に含まれていること。

 さらに、大学の金持ち連中にまで声をかけているという、あの嫌な話。

 直己は全部知っていた。

 知っていて、それでも彼女を信じようとしていたのだ。


「……あいつは詐欺師だ。男を金としか見てねぇよ」


 言った瞬間、直己の表情が固まった。


「……片倉、そんな言い方……」

「事実だろ。あいつは──」

「やめろよ!」


 直己が怒鳴った。驚くほど強い声だった。


「彩香を悪く言うな。お前にそんなこと言われたくない!」

「直己──」

「もういい!」


 背を向けて歩き去る直己を、俺は追いかけられなかった。


 ──それから、完全に連絡が途絶えた。


 直己は看護学科を先に卒業し、医療センターへ就職したと風の噂で聞いた。

 俺は医学部の残り二年間を、空っぽな心で過ごした。

 講義を受けても、実習に出ても、何をしても心に色がつかない。


(……直己に嫌われたまま、終わるのか)


 その思いだけが、ずっと胸の奥に沈んでいた。



 医療センターに研修医として配属されて数日。

 胸部外科のフロアは慌ただしく、俺は毎日必死に走り回っていた。


 そんなある朝──

 ナースステーションでカルテを確認していると、聞き慣れた声が背後から飛んできた。


「片倉先生、回診お願いします」


 振り返ると、そこに直己がいた。

 二年ぶりの再会だった。

 けれど直己の表情は、驚きでも懐かしさでもなく、ただの“業務上の顔”だった。


(……そうか。俺はもう、ただの研修医の一人か)


 直己は必要最低限の説明だけして、すぐに別の看護師へ指示を出しに行ってしまった。

 その背中は、二年前よりずっと大人びていて、

 そして──俺から遠かった。

 回診中も、直己は徹底して“業務の距離”を守った。

 必要な情報だけを淡々と。視線も、声も、温度がない。

 まるで俺が“過去の知り合い”であることすらなかったかのように。


(……矢木、そんなに俺が嫌いか)


 胸の奥がじわじわと痛む。

 俺は、あいつが好きだった女の本性を暴露した。

 直己を守りたかった。傷ついてほしくなかった。

 なのに──その結果がこれか。


(……俺は、あいつにとって大切な友人にもなれないのか)


 直己は俺を避けているわけではない。

 ただ、徹底して“距離”を置いている。

 それが余計に苦しかった。


 回診が終わり、ナースステーションに戻ると、直己は看護師たちと淡々と業務の話をしていた。


 俺が近づくと、直己は一瞬だけ目を合わせたが、すぐに視線を逸らした。

 その一瞬の冷たさが、胸に深く刺さる。


(俺は、お前の何を壊したんだろうな)


 二年前のあの日、俺は直己のためだと思って言った。

 あの女は結婚詐欺師だ、金しか見ていないと。

 でも直己は、彩香を悪く言うなと怒った。

 そして連絡を絶った。


(……俺は、どうすればよかったんだ)


 答えは出ないまま、俺はただ、直己の背中を見つめるしかなかった。


 友達に戻りたい。

 でも、戻れない。


 その現実だけが、静かに胸を締めつけていた。

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