第17話 出会い
ー智幸視点ー
どうかしてる。
俺はガキよりガキなのか。
たかが名前、されど名前。
大好きな直己に初めて名前で呼ばれただけで、こんなにも胸が熱くなるなんて。
◇
「なあなあ、今年の看護学科にS高校出身のミスコンの女子がいるんだよ!」
「マジか、誰か紹介してもらえねぇかな」
「笠原って奴、女子全員と仲良いらしいぞ。あいつに頼むか?」
「おい智幸、お前も勉強ばっかしてないで、可愛い子と遊べよ」
「あ? あぁ……」
美園に医学書をひったくられ、俺は肩をすくめた。
医者になりたくてこの道を選んだわけじゃない。
曾祖父が創設した片倉医院。
祖父は名誉理事長、父は現理事長、従兄弟は院長。看護師も親戚だらけ。
地域密着型で黒字経営、駅近で利便性も良い。
二十四時間三百六十五日、身内だからこそできる訪問対応。そんな“家業”に、俺は最初から組み込まれていた。
両親は常に病院。俺は姉と叔母に育てられた。
「両親が医療系だからって、なんでわたしまで同じ道に行かなきゃならないのよ!」
姉の口癖は、今でも耳に残っている。
俺は逆に、母に進路を決められた。
医療大学へのストレート切符。
裏口じゃないにしろ、入った時点で“戻る場所”は決まっていた。
つまらない。自分の意思なんて、どこにもない。
美園たちの話を聞き流しながら、看護学科の奴らと仲良くしておけば、将来うちに引き抜けるかもな──なんて、冷めたことを考えていた。
「笠原和仁くん? 俺、美園祐也。こっちが竹山慎吾と、片倉智幸」
「ああ、噂の医学部エース三人じゃないっすか! いやあ、こんなところで話せるなんて超嬉しいっす」
笠原は人懐っこい笑顔で手を振った。
その輪の中に、俺はただ“片倉家の跡取り”として立っていた。
俺たち三人──美園、竹山、そして俺は、T大学医学部の成績上位を独占していた。
切磋琢磨する仲間であり、良きライバルでもある。
そのせいか、他学科の学生にも名前だけは妙に知られていた。
先々月の試験でも、知らない学部の奴に突然声をかけられたくらいだ。
そんな中、初対面で看護学科という違う場所にいるのに、距離感ゼロで話しかけてきたのが笠原だった。
社交的で、話がトントン拍子に進むタイプ。
気づけば笠原のグループと定期的に飲んだり遊んだりするようになっていた。
特に、美園と竹山は合コンに飢えていたので、
「笠原様々!」と拝む勢いだった。
俺はというと──
どうせ表面上だけ仲良くして、LINE交換して終わりだろうと冷めていた。
だから携帯すら出さなかった。
それなのに、奥手な美園が突然、看護学科の女子も交えた飲み会をセッティングしたと聞いて驚いた。
(……付き合いは大事だしな)
正直、騒ぐのは好きじゃないが、重い腰を上げて参加した。
「智幸、なんで隅っこでちびちび飲んでんだよ。こっち来いって!」
「明後日、叔父貴にセンター呼び出しされてんだよ。復習しなきゃなんねぇ」
呼び出しは事実だが──
集まってきた女子たちは、ほぼ全員が“実家”と“給料”の話ばかり。
確かに片倉医院は有名だ。
だが俺が今すぐ継ぐわけじゃないし、そんな話を初対面で聞かれても困る。
(……こいつら、金のことしか見てねぇな)
鬱陶しくなって、自然と輪から離れた。
「さすが片倉医院の御曹司は違うねぇ。叔父さん、外科科長だったっけ?」
「多分来年部長に昇格すんじゃねぇかな。論文が評価されて取材も来てるし」
「いいなぁ、お前ん家は。頭のいい人間ばっかで」
そんな会話を聞き流していると──
「こんばんは、初めまして。隣いいですか?」
また女子か、と眉をひそめたが、隣に座ったのは看護学科の男だった。
「あ……女子の方が良かったですよね。すいません。俺、医学部の話を聞きたくて」
「いや、女は疲れたから丁度いい。俺は片倉智幸」
「はじめまして。矢木直己と申します。笠原がこういう場好きで……またお声かけたらよろしくお願いします」
「美園と竹山が喜ぶから、また行くんじゃねぇかな」
直己は丁寧すぎるほど丁寧だった。
まるで実家の病院の看護師みたいな、壁の厚い話し方。
「……先生は?」
「先生?」
「あ、ごめんなさい……片倉さんはいらっしゃらないのですか?」
その“他人行儀”が、なぜか妙に気に障った。
「悪い、タメ口にしてくれないか?」
「えっ……」
初対面で言うには無茶だと分かっている。
でも、こいつに距離を置かれるのは嫌だった。
女に馴れ馴れしくされるのは苦手だが、同性で、同世代で、しかも真面目そうな男に壁を作られると──
壊したくなる。
「医学部も看護学科も関係ねぇだろ。同じ道だし、もっと仲良くしようぜ」
「……あ、あり……がとう」
差し出した手を、直己はしっかり握り返した。
どうやら、俺はまだ嫌われてはいないらしい。
「よろしくな、矢木」
「こちらこそ。片倉のように頼れそうな人と、いつか一緒に仕事ができる日を楽しみにしているよ」
その笑顔を見た瞬間──
胸が跳ねた。
高校の頃から真弥一筋で、
他の男も女も目に入らなかった俺が。
あの一瞬で、
俺は、矢木直己という一人の男に恋をした。




