ジゼルの才能ーsideエリオット
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ジゼルの進捗はどうだ?」
夜の十時を過ぎて帰宅すると、玄関でトマスとアリアに出迎えられた。エリオットは魔法師のローブを脱ぎながら、「ただいま」も言わずに彼らに尋ねる。
「付け焼き刃でございますが、本番までには何とか形になりましょう。今は参列される貴族の名前と顔を覚えておられます」
本番まであと三日。ジゼルがこの家に来て四日経つ。たった四日のうちに、彼女は侍女たちの心を掴み、当初感じた空気の悪さは随分と落ち着いた。アリアから「為政者とはなんぞや」をよくわかっている方だと言われて、侍女との会話の一部始終を聞かせてもらった。
エリオットが母を毛嫌いしていることはジゼルに伝えていない。彼女にはそうなってほしくなくあんな風に言ってしまったが、先日のやり取りを自分なりに咀嚼して、どうあるべきか考えたらしい。
「そうか。ジゼルの明日の予定は?」
「午前はマナーレッスン、午後は普段着の作成です。ラベル商会のナタリエ夫人とお打ち合わせになります」
「わかった。ーーわたしも出よう」
「かしこまりました」
「昼食と夕食は家で摂る。そのつもりで準備をしておいてくれ」
エリオットは二人を下がらせて自室に入る。ジゼルとはまだ表向きは結婚していないので、隣の部屋は空だ。あと数日もすれば隣に越してくるだろう。
(ーーまた、ホットケーキを作ってくれるだろうか)
エリオットはシャツのボタンを外し、寛ぎながら隣の部屋に繋がる扉を開ける。イザベラ好みにしていた部屋は、ジゼルの雰囲気に合わせ華やかさよりも落ち着きのある空間になっていた。壁紙や家具等もジゼルの好みからアリアが手配したようで、なるほど彼女の雰囲気によく似合っている。
(ーー頬に土をつけた、あの純粋な目を見た時から、なぜか気になって仕方ないんだ)
エリオットは隣に繋がる扉を閉めて、戸棚から開封済みの酒の瓶を取り出した。グラスに手を翳して少量の氷を作る。そこに酒を注いで、ジゼルと同じようなハチミツ色の液体を少しだけ口に含む。
「ーー純粋、臆病、なのに変なところで強くて、目が離せない面白い人だ」
エリオットを見て逃げようとするし、まったく自分には関係ないとばかりに目を逸らす。
まともなドレスひとつも用意できないことに文句を言うこともなく、恥ずかしそうに振る舞うものの、諦めが滲んでいた。
気になって、ホースター子爵家の経済状況を確認してみれば、書類上では余裕がありそうだった。領地を見て回った際も、領民たちが楽しげに仕事に精を出し、暗い顔をした女性も子どもも見かけなかったので、貧乏という割にはそれほどでもないのかと思っていたのだが。
(ーー義妹と義弟はそこそこいい服を着ていたな)
ジゼルは自分に無頓着なので、あまり気にしているようには見えなかったが、義母や義弟妹たちは上質な布で服を作っていた。華やかさはないものの、ジゼルと比べるといいものだとわかる。彼女は亡き母の残した洋服をリメイクして着たりしていたようで、新しいものを誂えている様子はなかった。
「家族想い、鈍感、健気で真面目。そういう人間こそワリを食うんだ」
きっと彼女は貴族社会に向かない。けれど、自分がその世界に無理に引っ張ってきてしまったのだから、できる限り毒牙から守って傷つかないようにしてやりたい。
「でもそうだな。踏み潰されても起き上がってくるところを見てみたいとも思う」
何とも不思議な魅力を持つ女性だ。エリオットはホットケーキを食べた翌朝、侍女たちに「いつもより顔が浮腫んでいます」と言われてしどろもどろになっていた彼女を思い出して、クスッと笑った。
***
「ーー若きアクスバンご当主様、お初にお目にかかります。ラベル商会のナタリエ・ラベルでございます。そして娘の」
「ケティ・ラベルです。どうぞ、ケティとお呼びください」
ラベル商会は、この国一番の老舗のブティックだ。ドレスだけでなく、貴族女性の普段着から下着までを扱い、品揃えは国内一を謳っている。エレスティナはドレスに特化しているが、ラベル商会は複数のブランドを持っているので、ゼロから百まで全て揃う。
「エリオット・アクスバンだ。祖母の時代では世話になっていたと聞いている」
「ええ。大奥様には大変よくしていただきました。また、再びこうしてお呼びだていただけたこと大変光栄でございます」
ナタリエは口元に深い皺を作って頬を緩めた。ケティは会釈する。
「ナタリエ夫人、ケティ。彼女はジゼル。わたしの妻になる女性だ。ジゼル、服のことなら彼女たちに何でも聞くといい。アクスバンは昔から世話になっている商会だ」
少し緊張した背中に手で支えると、彼女は緊張した面持ちで復習したばかりのカーテンシーを披露した。
「ジゼル・ホースターです。本日はお忙しい中ご足労いただきまして、ありがとうございます」
「ご丁寧なご挨拶、ありがとう存じます。わたくし共一同、精一杯お手伝いさせていただきますゆえ、なんなりとお申し付けください」
春らしいペールグリーンの裾が揺れる。ナタリエの言葉を聞き、蜂蜜色の瞳が安堵したように微笑んだ。
「今日はジゼルの普段着を十着ほどお願いしたい。これから夏になるので、夏物も一緒に頼まれてくれるか?」
「じゅ、十着もいらないです! 三着ぐらいで」
「毎日着るのだろう? ドレスより多く持っておく方がいいのではないか?」
ジゼルは少し悩んで「それもそうか」と頷く。
「自作した服があるんだな?」
「あ、はい。お恥ずかしいですが……」
彼女は「コルセット」が大変苦手らしく、来客もなくパーティーのない日はコルセットを着けずに生活したいと言った。エリオットはコルセットがどれほど苦しいのかわからないが、腰を支えた時の硬い感触はわかるので、それなら柔らかい肌の方がいいという至極健全な煩悩を優先して彼女の願いを二つ返事で承諾した。
「では、それを見せていただけますか?」
ナタリエはにっこりと微笑み、ケティとアリアを伴って応接室に入っていく。
さすがにエリオットはついていくことはできないので、仕方なく、仕事をしながら彼女たちを待つことにした。ーーが。
「これはすごいです! 画期的ですわ!!!」
ややして、ケティの興奮した声にエリオットは扉の方を見た。ジゼルの「あー、引っ張らないでください」とか「そんなところまで恥ずかしいです……」という恥じらう声が聞こえて心臓がバクバクとしてしまう。
「きちんと、ここを支えて、こうすれば」
「わ! すごい! 巨乳になった!!」
「奥様は元々肉付きがいい方ですよ」
「そうなんです! ケティ殿からも仰ってください。奥様は本当にダイヤの原石なんです。なのに、ご自身にとても無頓着なんです」
「まぁ〜! それは旦那様への冒涜というものです」
「どこが冒涜しているの!? え、待って、あんっ、ちょっと……!! ゴッドハンドすぎる……!」
エリオットは書類を眺めたままの格好でフリーズしていた。いったい部屋の奥でなにがなされているのか、気が気でない。女性ばかり集まっているはずなのに、会話から破廉恥さが伝わってきて、居心地が悪くなってしまった。
「トマス。わたしはいるべき場所を間違えたのか?」
「そうでございますね。でも、ここで席を外されても気になりますでしょう?」
何がエリオットへの冒涜なのかわからない。ジゼルが自分に無頓着であることのどこが冒涜しているのか。
(ーーたしかに、綺麗か汚いかで言えば、綺麗であってほしい。が、ジゼルにはあの素朴さと純粋さを忘れないでほしいのだが)
笑っているのに笑っていない目。揚げ足を取る会話。貴族の世界では足の引っ張り合いやマウントの取り合いは日常茶飯事で、その技術を磨かないとやっていけない。なので、自然と身に付くものだ。
だが、ジゼルは二十年生きているのに、まったくそれに染まっていない。考え方がとてもクリーンで、そんな純粋無垢な彼女にエリオットはとても惹かれている。
(真っ白で汚れのない彼女を汚してしまいたい、という欲望はあるが)
きっと男なら誰もが持つ加虐心。美しく咲いた花を自らの手で手折ってしまいたいという欲はある。
そして、それは必ずしも自分でなければならず、彼女の喜びにつながるものでなければならない。
(ーー初夜は不要だと言ったが、しくじったな)
たった数日、彼女と過ごしただけで日に日に彼女への想いが強くなる。
朝の食事の時間が楽しみになり、帰宅後一番に彼女の様子を確認するのがエリオットの日課だ。
ホットケーキの翌日に「結婚式まで我慢します」と悔しそうに溢していたが、結婚式が終わればまた料理を作ってくれるかもしれない。
そのことを楽しみにしていると、げっそりとした様子のジゼルと艶々した顔のアリア、ケティ、ナタリエが部屋から出てきた。
「エリオット様、ご相談がございます」
「なんだ?」
ケティのニコニコした顔に熱が籠る。エリオットはやや頬を引き攣らせながら続きを促した。
「ジゼル様のブランドを立ち上げてもよろしいでしょうか」




