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【書籍化決定】消去法で選ばれた花嫁ですが、旦那様がとても甘いです。  作者: 七海心春
アクスバン侯爵家

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良い人材は確保MUSTです

 

 

 アクスバン商会は常に人を募集している。

 イザベラは貴族として教養や礼儀作法は身についているし、学院も卒業済み。

 貴族相手に渡り合える貴重な人材になるだろう。 


「〝なにかしたい〟その気持ちはとても大切です。せっかく自由になれたのでしたら、好きなことをするべきだと思いますわ」

「……自由?」


 イザベラはアーモンド型の目をパチパチと瞬く。ジゼルは困惑を隠しきれていない彼女ににっこり笑った。


「ええ、自由です! これまでは〝スマジェク伯爵の娘〟〝エリオット・アクスバンの婚約者〟という重積があったと思います。しかし、イザベラ様はケイン様と添い遂げる決心をなさいました。失うものもあったと思いますが、重積からの解放でもあります」

「……解放」

「ええ、そうです。ようやく〝イザベラ〟としての人生を歩めるんです」

「……!」

「楽しいことばかりですよ」


 イザベラはハッとして探るようにジゼルの目を見つめた。不安の中に浮かんだわずかな希望。しかしまだ、未知なる世界への恐怖が勝っている。ジゼルはその恐怖を少しでも取り除いてやりたくて、新たに提案する。


「もしよかったらケイン様も一緒に」

「……ケインも?」

「はい! あ、同じ職場というわけにはいかないかもしれませんが、アクスバンはちょっと色々とありまして、たぶん人はほしいはずなんです」


 エリオットの騎士は定員オーバーかもしれないが、屋敷の警護や領地の衛兵、もしくは劇団員の護衛をしてもらうのもいいかもしれない。


(学院を出られているなら、商会の裏方でもいいですしね……)


 ジゼルは彼の適性がなんなのかあとでじっくり観察しようと決める。


「もし王都に戻りにくいようでしたらアクスバン領で働くのもいいですし」


 フリージア2号店はアクスバン領で出す予定だ。アクスバンはターミナル駅のような役割を果たしているので、貴族の訪れもあるだろう。イザベラなら適切に捌けるはずだ。


「……あなたって」


 半ば呆然と話を聞いていたイザベラの顔がくしゃりと歪む。薄紅色の唇が微かに震えた。なにかを堪えるようにキュッと引き結ばれる。だけどそれに失敗して、か細い息が漏れてしまう。


「……へんな、ひとね」


 長いまつ毛が力尽きるように閉じられる。華奢な肩が小刻みに揺れた。

 じわりと滲んだ涙が痩せた頬を濡らす。細い顎を伝い、青々とした草にぽとりと落ちた。


「ふっ、うぅうっ……」


 イザベラのことは正直よく知らない。だけど、悪い人ではないと思っていた。

 迂闊なところや考えが甘いところはあるかもしれないが、鳥籠に閉じ込めて育てた18歳の女の子なら、知らなくて当然なことばかりだ。


 突然生きる世界が変わってしまい、常識が通じない。腫れ物扱いされて、きっとずっと心細くて寂しかっただろう。


「イザベラ様、今日までよく頑張りましたね」

「……! っ、う、うわーんっ」

「大丈夫ですよ。ここには羊しかいませんから」


 感情を見せるのは貴族令嬢としていけないことだ。しかし、彼女は平民。ジゼルもまだ貴族になりきれていない。


 だから構わない。

 たくさん泣いて、たくさん苦しい思いを吐き出せばいい。

 明日から前を向いて生きるために。


 ジゼルは俯いてしゃくりあげるイザベラをそっと抱きしめる。

 彼女は小さな背中を丸めて、気が済むまで泣いた。




 ***



「ひどい顔のままですが、お許しください」

「いえ。とてもチャーミングですよ」


 まだ目は赤くて瞼が少し腫れているものの、イザベラはスッキリした様子だった。

 三人は場所を牧草地から、木陰のある場所に移動する。そこには木で作られたテーブルセットがあり、ナンシーが紅茶を淹れてくれた。

 少し離れた場所にマーカスもおり、ジゼルはイザベラと向き合って座っている。


 「なにもないのですが、よろしければ」


 そう言ってイザベラは小さな籠を置いた。中には赤茶色の乾燥した木の実が入っている。


 「これは、ファッジ領でよく取れる木の実です。甘いので領民には好まれています」

 「木の実?」

 「はい。デーツです」


 (デーツ?!)


 デーツとは、ナツメヤシの実のことだ。前世ではスーパーフードのひとつだった。


 「これがよく取れるのですか?」

 「はい。ですので、大人から子どもまでおやつに食べます」


 ジゼルはナンシーが毒味しようとするのを制し、一粒取って口の中に入れた。

 しっかりとした甘みが口の中に広がる。実は肉厚で濃厚だ。

 

 「……美味しいですね。それに一粒で満足感もあります」

 「えぇ。この地に来てよかったことのひとつは、フルーツが安価で美味しく食べられることです。王都に出ているファッジ領の果物はどれも高価ですから」

 「イザベラ様は他にどんな果物がお好きですか? あ、おすすめがあれば教えてください。お土産に買って帰りますので」

 

 つい前のめりで尋ねたジゼルにイザベラは目をぱちくりとさせる。

 そして、どこか寂しげに笑った。

 

「ジゼル様。わたくしに敬語は不要です。また、今後は〝イザベラ〟とお呼びください」

「……そうね。気をつけなきゃ」

「ジゼル様は気を抜くとすぐに戻りますからね」

「だって、イザベラ様はイザベラ様なんですもの」


 ジゼルは頬を膨らませる。今は平民になろうと頑張っているが、十八年間貴族の子女として生きていたものは、身体から滲み出ている。いくら素材の悪い服を着ていても、指先があれて、髪がパサついても、ジゼルよりもよっぽど貴族らしい女性だ。


「街の方に行けば、色々とお店があります。ファッジ領はフルーツの他、羊肉、羊毛、ヤギ革製品、ミルクも特産品ですわ」

「すごいわ! 自分で学ばれたの?」

「ええ。でも、ケインに嫁ぐなら当たり前のことです。……今のところあまりその知識を活かす術はありませんが……」


 街で働きたくても、イザベラはすでに顔が知られており「伯爵家のお嬢さんが働ける場所はないよ」と追い払われるのだそうだ。家では腫れ物扱い、外でも厄介払い。とても肩身が狭い。


「イザベラのできること、やりたいことを教えて。得意なこと好きなことでもいいわ」


 ジゼルが意気込んで尋ねると、イザベラは少し悩み、躊躇いがちに口を開く。


「……貴族の礼儀マナーはひと通り身についています。楽器、刺繍は得意です。フリージアも一度だけ行ったことがあります」


 買えなかったけど……、と残念そうにイザベラは俯く。


「よかった。やっぱり刺繍はできるのね」

「はい」

「なら、針子をやってみない?」

「……え?」

「あれ、誰でも作れるの。平民の方にもお願いして作ってもらっているわ」


 針子にはふたつの働き方が設けられている。

 まず、ひとつは月給制。これは基本的に貴族のオーダーメイド作品を作る働き方だ。

 もうひとつは成果報酬型。これは実店舗販売向けのもの。作れば作るほど、報酬は高くなる仕組みである。これにはランク制度も組み込まれており、技術力が上がれば、還元率も高くなっていく構造だ。


「事前に作り方の講習会に参加して、合格基準を満たせば、明日からでも働けるわ。成果報酬型だと家でもできるし、小さなお子さんのいるお母様にも喜ばれるの」


 その代わり、生地や素材等は商会負担になるので、汚したり失くしたりしたら弁償という形を取ってもらう。家だと集中できないという人のために、店舗近くにテナントを借りているので、そこで仕事をしてもらうのもいい。


 今はまだ、王都近辺で仕事を依頼しているが、今後はもっと広げていきたいとも考えている。


「イザベラなら目利きもできそうね」

「目利き?」

「ええ。この方にはこれが似合う、この人にはこれがいいかも…、とか、えーっとお店の店員さんみたいな役割なんだけど、肌や髪の色を見て、その人に合うものをコーディネートをするプロの人よ」


 この世界にはパーソナルカラー診断や骨格診断などはないが、そういうものを作っても面白いかもしれない。ラベル商会に協力してもらえるとデータは多く集まるのでよりいいものが作れそうだ。


「あとは、針子を指導する立場も似合いそう」


 これは教えるのが得意か不得意かによって変わってくるのでゴリ押しはしない。


「もちろん、始めは針子をして働くことに慣れてから、でいいわ。せっかくだからなにが適性なのか、なにが楽しいのか、探しながら考えましょう?」


 前世では当たり前にあった異動スタイル。ジゼルもうろ覚えの記憶の中で、いくつかの部署を渡り歩いたことを覚えている。同じ会社の中でも部署が違うと全然違う仕事をしている感覚にもなるし、新しい自分に出会えるので、それはそれでいい方法だと思っていた。


 それにイザベラはうまくハマったらバリキャリになりそうな気配がある。あらゆる場所で経験を積ませれば、ジゼルよりもよほど敏腕な経営者になるだろう。もし子どもが産まれても乳母やケインに任せて、どんどん社会に出ていくかもしれない。


 「……探しながら、考える?」

 「ええ。〝イザベラ〟が自分らしく、その能力を最大限に活用できる方法を考えて、選ぶの」


 今は人生の底かもしれないけど、彼女ならきっと新しい舞台でも活躍できるだろう。まったく違う環境で、知らない場所で、彼女はひとりで頑張ろうとする胆力がある。


 「……選ぶ」

 「そうよ。明るい未来は自分で選ぶの」


 だからこそ、ジゼルは彼女のためになにかしたいと思うのかもしれない。 

 このまま踏み潰されてしまうのを見ていられなかった。




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