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【書籍化決定】消去法で選ばれた花嫁ですが、旦那様がとても甘いです。  作者: 七海心春
アクスバン侯爵家

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元婚約者の現状

 

 ケインはクラスにひとりいる、爽やかな好青年のような顔立ちだった。護衛騎士ということで背は高く細身であるものの引き締まっている。今はラフな装いのせいで街にいる兄ちゃん感が強いが、身のこなしや動き方は訓練された人のそれだ。


(……それより、スマジェク伯爵令嬢って)


 ジゼルはハッとしてエリオットを窺う。つまり、ケインはエリオットの元婚約者の護衛騎士。顔を見たことあるのは当然だ。


(まさかの修羅場……?! 元カレと今カレがバチバチになるやつ……?!)


 ただその場合、取り合うのはジゼルではない。イザベラだ。フィクションとしてなら許せるが、リアルだと悲しい。もしそうなったら、ジゼルひとり馬車に乗って王都に帰ろうと思う。


「……なるほど、それで見た顔だったのだな」

「はっ。閣下におかれましては」

「いい。その件はもう済んだことだ。わたしは納得しているし、むしろジゼルに出会えてよかったと心から思っている」


 ジゼルの先走った妄想はエリオットの穏やかな声に抱きしめられてしまった。

 そして、ふわっと弛んだ淡紫はジゼルを見て微笑んでいる。


 ジゼルは居た堪れなくなり、帽子のつばをそっと下げた。ナンシーから視線が飛んできたが気にしてる余裕はない。


「今日はガラウ殿に用が合ってきたんだ。もてなしは不要だ」

「ですが」

「ケインよ。この方はそれを気にする方ではない。ーー知っているだろう?」


 ケインは現当主の次男。つまりガラウとは叔父と甥の関係だ。

 そこで、ジゼルはふっと思い出す。


 イザベラは一度王都のアクスバンの屋敷に突撃してきたことがある。

 ーーその際、溜まっていた鬱憤を吐き出して……


(そうよ。護衛騎士とまとまるって話だったような……)


 貴族の女性なら、ある年齢までに結婚できなかった場合、また訳ありで貰い手がいない場合は修道院に入ることが通例だ。ジゼルは家を出たら働こうと思っていたし、また働いても許される身分だった。最近では女性の社会進出も緩やかに増加しているが、それでもまだ頭の固い人は多い。


 だから、イザベラの意向に沿った婚姻が整ったようでよかった、と思ったのだ。

 すべては彼女から始まったことだが、ジゼルはそれほどイザベラを嫌いになれない。彼女の鬱憤を聞けば、エリオットにも非はあるし、彼の母親にも思うところはあった。


 ただ、イザベラの名前を聞き、少しばかり罪悪感を感じるのは、彼女が手にするはずの未来をジゼルが受け取ってしまったからだろう。もちろん返すつもりは微塵もないが、それとこれとは別物である。


「それと、奥方が牧場を見学したいと。ケイン、案内してやってくれ」

「牧場の見学、ですか?」


 ケインは片膝をついたまま、不思議そうに目を瞬かせる。


「はい。先ほど可愛らしい子羊を見かけまして。できましたらもう少し近くで。許していただけるならお触りしたいです」

「「……お触り」」

「当主様よ、面白い奥方だな」


 声を揃えて疑問を浮かべたのは、夫とケイン。そしてクツクツ肩を揺らしているのはガラウだ。


「ナンシー。動物は大丈夫ですか?」

「まったく大丈夫ではございません」

(だよねー)


 ナンシーは目に見えて表情を強張らせている。


「マーカスは?」

「わたしは平気です」


 ナンシーは連れていくが、少し離れた場所で止まってもらうことにする。

 その段取りを話していると、ケインが躊躇いがちに尋ねてきた。


「……侯爵夫人。わたしのような立場でこのようなお願いは控えるべきではありますが、お話しを聞いていただけないでしょうか」

「なんでしょう」

「もし、可能であればイザベラに案内させてもらえないでしょうか」

「イザベラ様、ですか?」

「えぇ……。実は」


 イザベラはスマジェク伯爵家の末娘だ。蝶よ花よと育てられ、またエリオットの婚約者になったこともあり、いつでも注目の的だった。しかし、エリオットのツレない態度や将来の不安を憂い、エリオットの母親に相談した。彼女のアドバイスもあり、いつも傍にいて優しく話を聞いてくれる護衛騎士と共に、結婚式の一ヶ月前に逃げた。


「先ほど侯爵様が仰ってくださったように、わたしもイザベラと一緒になれたことは、この上ない幸福です。いけないとわかっていながら、彼女とこのまま逃げ切れないかとあの時は思いましたから」


 ケインは苦く笑う。そして、その想いはイザベラも同じだろう。


「ただ、所詮は平民です。伯爵様には温情をいただきましたが、まだ世間は賑わっていたので次の職場を……というのは無理がありました。ほとぼりが冷めたらまた、と思っているのですが、貴族令嬢としての生活しか知らない彼女は徐々に塞ぎ込みまして。彼女も馴染もうと頑張ってくれているのですが……」


 ケインの母や祖母は表向き歓迎の意を示しているが、伯爵家のご令嬢を持て余している状態だと言う。


「危険ではないか?」

「今は自分が平民であることを理解しています。侯爵夫人に危害を加えないと約束いたします」


 エリオットの懸念をケインは否定する。

 心配そうに窺う夫にジゼルは小さく頷いた。



 ***


 ケインに連れてこられたイザベラは最後に会った時よりずいぶん痩せて見えた。髪に艶はなくなり、肌も荒れている。彼女はエリオットとジゼルの姿に驚きつつも、ジゼルのために牧場を案内してくれた。


 「わー、かわいいですね」


 そして今、晴れやかな青空の下、よく随分遠くまで見渡せる平地にいる。羊たちは思い思いに過ごしているが、ジゼルの手元にはまだ生後一ヶ月の仔羊がメェメェと鳴きながら餌を食べていた。寄り添う親たちもはじめはジゼルたちに警戒心を見せたが、餌をくれるとわかると気を許したのか子どもを好きにさせている。中にはぴょこぴょこ飛び跳ねて遊びに出掛けては戻ってくる子もいて、羊にも性格が色々あるんだなと思ったジゼルだった。


 ほのぼのとした気持ちで手のひらから伝わる感触やぬくもりに目尻を下げていると、ジゼルより二、三歩離れてその様子を眺めていたイザベラに尋ねられた。


「……怖くはないの、ですか?」

「ええ。にゅるっとしますけどね」


 ジゼルはイザベラを振り返る。イザベラの後ろにはナンシーとマーカスが控えており、好奇心旺盛な仔羊が彼らの元に向かっていった。イザベラはびくりと硬直し、ナンシーは顔を引き攣らせる。


 仔羊はナンシーたちに向かって「メェエエ」と甘えた声で鳴く。トコトコと近寄っていくと、ナンシーは一歩後退る。ナンシーが逃げれば逃げるほど、仔羊は遊んでくれると思ったのか、ナンシーに擦り寄っていった。尚、マーカスはじっと動かなかったので、興味をなくしたらしい。


 「ふふふ。ナンシーは人気者ですね」

 

 ジゼルの呑気な言葉にイザベラが呆れた目を向ける。


「イザベラ様は毛刈りに参加されましたか?」

「毛刈り、ですか?」

「はい。羊の毛を刈るイベントです」


 大抵は春から初夏にかけて羊の毛を刈るらしい。この子たちを見ていると、すでに毛を刈られているのはわかる。


(羊毛って毛糸になるのよね……)


 ラベル商会から秋冬の新作はどうしましょうか、という問い合わせがあった。

 先日夏物の新作を出したばかりなのに気が早い。だけど、前世の記憶を手繰り寄せれば、お盆過ぎにはもうコートの予約発売が始まるブランドもあったぐらいだ。


 それを考えるとけして遅くない。むしろ今から新作を考えるのは遅いぐらいだ。

 売り上げを考えるとある程度数がいる。


(この羊毛でなにかできないかしら……)


 ジゼルが意識を別のところに向けていると、か細く小さく切なげな声が溢れた。


「……わたく、わたしは、おにもつですから。たとえそんなイベントがあっても出られません」

「おにもつ?」

「はい。お義母様もお祖母様もなにもしなくていいと言います。……わたしはなにかしたいのですが、できることが少なく……」


 白魚のような指先は乾燥し、綺麗に整えられていた爪は深爪になっていた。きっと慣れない道具を使い、自分で切ったのだろう。


 その指先を隠すように彼女は拳を握る。


「ケインに嫁ぐと決めたので、覚悟はできていました。けど、〝なにもしなくていい〟と言われるとどうすればいいのかもわからなくて……」

「……そう、ですか」


 イザベラがまだ伯爵家の身分のままであれば、その言葉通り〝なにもしなくていい〟でよかった。

 しかし、ファッジ男爵の次男に嫁ぐことになる。ケインの兄は次期ファッジ男爵であるものの、ケインに爵位はない。ーーつまり、イザベラは平民だ。


 平民に〝なにもしなくていい〟は死活問題でもある。

 ケインの稼ぎが豊であればそれでも問題ないが、現実は二人とも実家で持て余されている状態だろう。

 ケインの話ぶりから、家族仲がそれほど悪くなさそうではあるが、だからと言って他所のお嬢さんに手を出されて、万が一難癖つけられたら困る……。といったところだろうか。


(最低限フォローしなさいよ、と言いたいけどこればかりはね……)


 ジゼルが言葉を探していると、イザベラは自重気味に笑った。


「自業自得なの。笑ってちょうだい」

「いえ、まったく笑えませんけど!」


 ジゼルはスッと立ち上がるとイザベラに近づいた。そして真剣な顔で彼女の手をそっと握りしめる。


「……イザベラ様はなにが得意ですか?」

「……なにが、得意?」

「はい。もしよかったら一緒に働きませんか?」



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