ファッジ領へ
お待たせしました。投稿再開します。
また、お祝いのお言葉もありがとうございました。
マイペース更新予定ですがお付き合いいただけますと幸いです。
ガタゴトと揺れる馬車の中。ジゼルはエリオットに横抱きにされ、ぎゅむぎゅむ抱きしめられていた。
広めの馬車とはいえど、馬車は馬車だ。おまけに完全包囲されているので逃げ場はない。
アクスバン領の問題が発覚し、早一週間。
エリオットは寝る間も惜しみ、文字通り飛び回っていた。
早朝に魔法省に行き、午後を過ぎて領地に戻る。
時々ジゼルをピックアップするために顔を見せてくれるが、ジゼルが寝る前に寝室にはおらず、朝起きた時はわずかに名残だけがあるだけだ。
散歩をしながら、エリオットの鍛錬する様子を見ることも、ゆっくりと朝食を摂る時間もない。ジゼルも自ずと寂しさを感じ、甘んじて夫の抱き枕になっていた。
「当主様、まもなく到着します」
御者席に座るマーカスから声がかかる。
振り向いたナンシーと一瞬目が合ったが、なぜか同情の目を向けられた。
マーカスに至っては見て見ぬふりだ。
エリオットはジゼルの首筋に顔を埋めたまま「わかった」と返事をする。
おかげで首筋に、ふわっと温かな息がかかりくすぐったい。
思わず身動ぎすれば「もう少しだけ」と腕に力がこめられた。
エリオットに馬車移動の楽しさを教えてしまったジゼルは少し後悔している。
(ファッジ領が近くてよかったけど……)
本日は、かつてアクスバン領で衛兵長をしていたガラウ・ファッジに会うことを目的に、アクスバン領の南に隣接しているファッジ領にお邪魔していた。彼は衛兵長を退職後、自領に戻っているらしい。
ファッジ領は比較的温暖な地域で羊やヤギの育成に力を入れていた。羊肉、羊毛、ヤギ革製品だ。ファッジ領のヤギ革の靴は、それこそ貴族御用達でもある。
また、温かい場所でしか育たないフルーツも多いようだ。ジゼルがアクスバン家に嫁いで、時々見かけるバナナやマンゴーはすべてファッジ産だという。これまではあまり食への興味が薄かったエリオットも、ジゼルのおかげで食に興味を持つようになった。朝食は天気の良い日は庭で、時間をかけて会話を楽しみながら摂るのも日常になってきたところだ。
このところひとり朝ごはんが続いているが、早く元の生活に戻ればいいと思う。
(他にも美味しいものや珍しいものがあればいいな……)
ジゼルの口元が自然とゆるむ。
今度はふわふわパンケーキの上に、ファッジ領産のフルーツをたくさんのせるのもいいかもしれない。もしくはマンゴーを使ったゼリーやケーキも美味しいだろう。
「……楽しそうだな」
不服そうな声が咎める。淡紫色の双眸が子どものように拗ねていた。
「……そうですね。エリオット様とこうしてお出かけできるので、楽しいみたいです」
ジゼルの素直な言葉が意外だったのか、エリオットが目を丸くする。そして嬉しそうに目元を和らげ、甘えるように頬をすり寄せる。
「みたい、じゃなくて〝楽しい〟だろ」
「はい」
「これが仕事ではなければもっとよかったが」
馬車が速度を落としていく。
アクスバン領の南に馬車ごと転移して、約二時間。
のんびりするにはちょうどいい長さだった。
「では、早く解決して元の生活に戻りましょう! またふわふわのパンケーキ、作りますから」
「……そうだな」
エリオットはニヤリと笑ってジゼルのこめかみに唇を押し付ける。
そして、馬車の扉が開くと同時に表情をキリリと引き締めた。
***
「なにしに来たんですかい。この老耄にまだ用があるんですかい」
ガラウ・ファッジはエリオットとジゼルの訪問にあまり歓迎の姿勢を見せなかった。
むしろ挑発的な笑みを浮かべての出迎えだ。しかも、部屋ではなく彼は牧場の門番という仕事中なので、案内されたのは外。彼は地べたに座り、エリオットを見上げていた。
エリオットは、服が汚れるのも気にせずその場に座りこみあぐらをかく。
そして、軽く頭を下げた。
「アクスバン領に戻ってきてもらえないだろうか」
「ハッ。自分で追い出しておいてなんだそれは? 次は年寄りを安い賃金で働かせようってか」
「メェェェェ〜」と愛らしく気の抜ける声がした。タイミングが合いすぎる。思わず笑いそうになったジゼルだが、唇をぎゅむっと引き結んだ。エリオットは涼しげな顔でガラウを見つめている。マーカスもまた動じていなかった。ナンシーだけが横目でジゼルの様子に気づいて呆れた視線を寄越す。ジゼルの視界には、白いふわふわの毛を持つ羊の後を子羊がトコトコと歩いていた。
「わたしはガラウ殿を解雇したつもりはない。ーーだが、兄があなたの誇りを踏み躙ったのはたしかだろう。すまなかった」
喧嘩腰だったガラウは肩透かしを食らったような顔をした。エリオットが簡単に二度も頭を下げたからだ。しかも平民に。ガラウは前男爵の三男。今は兄が領主だが、彼自身に爵位はない。
「ハァ……。そこまでされちゃ、怒るのも怒れねーでしょうが」
ガラウがやれやれと肩を落とす。
「待遇に関しては相談させてもらいたい。あと、なにがあってガラウ殿が退職されたのか、他の衛兵たちはどこに行ったのか、知っていることを教えてもらいたい」
エリオットの切羽詰まった様子にガラウは訝しんだ。そして徐々に驚きを顕にする。
「……まさか」
アクスバン侯爵家の兄弟仲が冷えていることは有名なことだ。ガラウはようやく領地でなにが起きていると察したらしい。
「……いったいなにが起きてるんですかい?」
「簡単に言えば、治安が悪くなった。浮浪者が増え、衛兵たちはほとんど入れ替わっている。使途不明金もある」
「使徒不明金……」
「書類上の使徒と実際の使徒が異なっていて、今その流れを追いかけているところだ」
エリオットはジゼルを気にせず話し始めた。
ガラウはジゼルの存在が気になったらしく、ちらっとジゼルを見る。エリオットが紹介してくれないので、いつまで経ってもジゼルはこのままだ。
「……エリオット様」
ジゼルがエリオットに呼びかけると彼は渋々紹介してくれた。
「そうだ。ガラウ殿、紹介しよう。ーー妻のジゼルだ」
「初めまして、ジゼルと申します。この位置から失礼します」
さすがにジゼルはワンピースで地べたに座るような真似はしない。ただ敬意を称して帽子は脱いで軽く頭を下げた。ガラウもまたジゼルに頭を下げる。
「ガラウ・ファッジです。今は羊のお守り役です」
「長くアクスバン領でご尽力してくださっている方だと夫から聞いております。この度はご迷惑おかけしたこと心よりお詫びいたします」
「や、やめてくだせーよ! ご夫人は関係ないですって」
「それでも、事実は事実です。アクスバン領を元に戻したい。いえ、できましたら以前より豊かにしたいのです。代替わりしたから落ちぶれたなんて言わせません。ーーそのためにもあなたの力が必要なのです」
「ジゼル?」
ジゼルはじっとガラウを見つめた。彼はジゼルを見つめ返し口元を緩める
「肝の座った奥様だねぇ」
「〝図太く生きる〟がモットーです」
「ハハハハッ! 面白いお嬢さんだ」
日に焼けた顔がくしゃっと潰れる。衛兵をしていただけあり彼はがたいはいい。声も大きくの太いが怖さは感じられなかった。ジゼルの父親より年上だろうが、少年らしさも合わせ持つチャーミングなおじさまだ。
「助けていただけますか? もちろんお礼は弾みます! あ、夫と要相談ですが」
「ここで〝ノー〟と言えるほど薄情ではないですよ。まぁ、情もありますし。俺にとっちゃ、あちらの方がもう居心地がよかったんでね」
ガラウは苦笑する。ジゼルは目を輝かせた。そしてすぐに牧草地をのんびり歩く白いもふもふたちに視線を向ける。
「ガラウ殿、羊さんたちを見せてもらえませんか?」
「ジゼル?」
「大丈夫ですよ。羊は上の前歯がないので噛まれても痛くありません」
「噛まれる前提なのか? そういう問題ではないのだが……」
ふんす、ふんすと鼻息を荒くしているジゼルにエリオットは呆れた目を向ける。
そんなジゼルにガラウがカカと笑っていると、ひとりの青年がガラウを呼びにきた。
「ーー失礼します。おじさん…って、こ、侯爵様!?」
「おう、ケイン。どうした?」
「ど、どうしたって」
ケインという青年は地べたに座り込んだエリオットを見て狼狽えている。
「こ、こんな暑くて汚いところではなくお部屋に」
「構わない。それより、見たことのある顔だな」
エリオットは淡紫色の双眸を細める。ケインは表情を強張らせ、片膝をついた。
「ーーご挨拶が遅れました。わたくし、ケイン・ファッジと申します。かつて、イザベラ・スマジェク伯爵令嬢の護衛をしておりました」
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