信頼の失墜ー③〈sideエリオット〉
少々仕事が立て込んでいるので、更新頻度が下がります。すみません・・・。
新商品の感想をもらい、ついでに秋冬の新作についてエリオットはアーノルドに頭出しをした。
彼はいい客になってくれそうなので、要望も聞いておく。エリオットは会議に参加するだけで、実際に商品の企画や開発に携わることはないが、それとなくジゼルに言っておけば、新しい物を作ってくれるかもしれない。
「それはそうと、オッズ・ゴランドについてだが、彼は昨年末で騎士団を辞している。理由は、伯爵領を手伝うためだそうだが……」
この部屋に入った際、先にオッズ・ゴランドについて尋ねた。アーノルドは近くにいた側近にオッズのことを調べさせており、今しがた報告書が届いた。アクスバン家にも諜報員がいる。王家とそれほど差のない情報だと思うが果たして。
「ーーあの男にそんな甲斐性があるとは思えんがな」
アーノルドは手元の報告書を読みながら目を細めた。その報告書を手渡され、エリオットも視線を流す。
想定していた通り、アクスバン家の諜報員からもたらされた情報とそれほどの差はない。
だが、王城でのトラブル内容等はさすがに把握できなかった。
「薬伯も大変だろうな」
ゴランド伯爵は別名薬伯と呼ばれている。その領地は、薬草の育成に最適な土地で、国に卸す薬草の約七割をこの地で育てていた。
「優秀な後継がいるのが幸いだが」
オッズの兄は、後継とということもあり、貴族学院を卒業後大学に進学し、より専門的に薬学を学んだ。大学では薬草の品種改良や、生産量が少なくなっている薬草を増やす研究をしていたらしい。彼は、稀代の天才と言われており、日々新しい薬を作っているようだ。
そんな兄とは違い、オッズは騎士学院に行くと騎士団に所属した。近衛騎士は主に王城の警備にあたるが、小さなものから大きなものまで、定期的にトラブルを起こしていたらしい。
「わたしも彼とは、それほど面識があるわけではないが、優秀な兄を持つがゆえに拗らせているような話はを聞いていた。近衛でも一部から煙たがられていたらしい」
「なるほど。兄上と何かしら共鳴する部分があったのですね」
オッズは元から学ぶことが苦手らしく剣を嗜む時間のほうが長かった。加えて兄弟で比較されることも多かったのだろう。 表面上ではうまく取り繕っているが、兄弟仲も父親との関係性も冷えているとのことだった。
「スティーブが叔母上の傀儡でなければな」
アーノルドの一言に、エリオットが紅茶を啜る手を止める。にやにやしている従兄弟を一瞥し、溜息を吐き出した。
「まだジゼル夫人と会わせていないのだろう?」
「あぁ。あの人に会わせたら、ジゼルが毒されてしまいますから」
「そうか? むしろ無意識にふん付けてしまいそうだけどな、彼女なら」
それはそれで滑稽だろう。王族の矜持もクソもない。
アーノルドの言う通り、そんなジゼルを見てみたい気もするが、母に近寄るだけでジゼルの優しい気が汚されてしまう気がする。
あのふわふわ〜とおひさまのような笑顔が陰ったり引き攣ったりするのは見たくなかった。
「とりあえず、屋敷に戻ります。ーーまた、なにか分かったら教えてください」
「分かった。王には報告をしておく」
エリオットはようやく椅子から立ち上がる。
少し話し過ぎたか、と首を左右に傾けた。ポキポキと小気味良い音を聞きながら息を吐き出す。
「エリオット」
部屋を出ようとすると、引き止められた。エリオットは足を止めて振り返る。
「ーー大事なものがなにか、考えろ。お前はもう、一人じゃない」
「……」
「無意識にスティーブやアンジェリカ叔母さまを守ろうとするなよ。ーー大事なものはなんだ?」
幼い頃、なぜ母に嫌われているのかエリオットは分からなかった。兄には、褒めたり笑いかけたりするのに、自分にはそれがない。近づこうとすると侍女にやんわりと止められる。エリオットを見る目はいつも冷たくて、怖かった。
年を重ねて大人の事情を理解するようになれば、母がどうして自分に対してアタリが強いのか理解した。
そして、きっと一生母はエリオットに笑いかけてくれないことも察する。
兄の頭を撫でる手が、抱きしめてもらうぬくもりが羨ましかった。
そして、心のどこかできっと諦めていた。
ーー誰かに愛されることを。
ーー下心も打算もなく、心から笑いかけてもらえることを。
ーーぬくもりを分かち合い、抱きしめ合うことを。
ずっと、ずっと欲していた。
それをくれたのは、突然目の前に現れた、一風変わった下級貴族のご令嬢だ。
爵位や肩書きに目の色を変えるわけでもなく、またエリオット自身に期待することもない。ただ事実を受け入れる素直さと謙虚さ持ち、ちゃっかりと自分の意思を通そうとする図太さが心地よかった。
頬に土がついていても気にもしないのに、結婚して数ヶ月経った今も顔を近づけるだけで挙動不審になるのも見ていて愉快だ。
ーーエリオット様
高過ぎず、低すぎない柔らかい声が頭の中で響いた。
はちみつ色の瞳が自分を見て「ふふふ」と笑っている。
当たり前のように人に与えようとする妻は、多くを望まない。
劇団を始めたいと言い出した時は驚いたが、きっと彼女なら、ジゼルなら、うまく丸く収めてしまう気がする。
ーーホットケーキ作りますか?
自分には無頓着。なのに周囲には優しくて甘いジゼル。
ナンシーの件だって、エリオットは当初専属にしたいという妻のお願いに首を横に振った。
けれどアリアの助言もあり、今ナンシーは、ジゼルの一番の信者だ。侯爵家出身ということもあり、礼儀やマナーを彼女から学んでいる。侍女ではあるが、家族の一員のように扱うジゼルに、あの無駄にプライドの高いナンシーも、妹の世話を焼く姉のようだった。
ーー来年はお庭で苺狩りをしましょう!
彼女が来て、屋敷の中が明るくなった。温かくて、優しい空気に笑顔が増えた。
おやつの種類も増えて、食事が楽しみになった。
そして、毎晩彼女を抱きしめて眠るのが、エリオットの至福の時だ。
(ーーーージゼル)
凍えた心が柔らかくほぐれていく。それはいつもジゼルが優しく抱きしめてくれるから。
力を込めすぎると折れてしまいそうなほど、薄い身体なのに、自分には一生敵わないぐらい大きくて優しい。そして彼女はいつも前向きで、エリオットに安らぎをくれる。
初めて作ってくれたホットケーキも、バターの香る口付けも、熱に溺れた夜も。
エリオットにいろんな初めてをくれたのは、ジゼルだった。
ずっと欲しくて、でも〝欲しい〟といえなかった〝愛〟を、彼女は与えてくれた。
お日様のように笑う彼女の笑顔を失いたくない。
一瞬でも、曇らせたり、翳らせたりしたくなかった。
「分かったなら行っていい。こちらはうまくやっておくから、早く片付けてこい。礼はふわふわのパンケーキで許す。もちろんジゼル夫人の手作りで」
わずかに揺らいだ淡紫色の瞳を、アーノルドは見逃さなかった。小さな子どもに諭すような口調と同情を含んだ眼差しを向ける。そして従兄弟の励ましという名の軽口に、エリオットは口元を緩めた。
「妻の手料理は夫の特権だ。ーー兄上も妃殿下に作って貰えばいい」
寂しさを押し殺した冷めた瞳はいつの間にか、優しさに溢れていた。
ただでさえ威圧感があるのに、表情が乏しいせいで恐れ怖がられていたものの、ジゼルと結婚して以降、声をかけてくれる部下が増えた。
「いいだろ? 協力してやってんだから」
「ダメだ。それは譲らん」
「子どもか!」
「似たようなもんだ」
それもこれも、全部ジゼルのおかげ。
ここにはいない妻を想い、エリオットは王城を後にした。
活動報告にも書きましたが、「消去法で選ばれた花嫁ですが、旦那様がとても甘いです。」が書籍化の運びとなりました。
皆様のおかげです。本当にありがとうございます!
引き続き、楽しんでいただけるように精進しますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
活動報告:https://syosetu.com/userblog/list/




