信頼の失墜ー①〈sideエリオット〉
少し時間軸が戻ります。
兄のスティーブとは4歳違う。
父はエリオットが銀髪・淡紫眼を持っていたこと、魔力量の多さで後継に決めた。
とはいえ、スティーブもアクスバン侯爵家の嫡男として、教育を受け学んでいる。学院での成績は優秀だったし、王城勤めもしていた。
あまり話した記憶はなく、兄個人をよく知っているわけではないが、優秀な方だと思う。
だからこそ、父が急逝した際エリオットは迷うことなく片方の重荷を兄に託した。
魔法省の大臣と領主を同時に遂行するのは無理だ。肩書は領主代行ではあるものの、数年兄の運用を見て問題なければ正式に任せることも考えていた、のだが。
ジゼルがマーカスと共にロイの家を訪れていた頃、エリオットは王都の屋敷に戻っていた。突然の家主の戻りに従業員一同は何かあったのだと察する。
「トマス、領地報告書を見せてほしい」
「報告書ですか?」
「実は」
エリオットは執務室に向かいながらトマスに領地で今起きていることを説明した。
「大きな変化ではない。だが、衛兵たちの顔ぶれは私の知らないものばかりだ。この後、ガラウ殿を尋ねようと思う」
ガラウとは、父の時代から領都の治安維持に努めてくれている兵士だ。男爵家の三男で、腕を認められてアクスバン領で長年働いている。
「承知しました」
「そのあとは孤児院にいく。必要な物資を手配したい」
「承知しました。こちらが月次報告書です」
エリオットは毎月目を通す報告書を改めて確認する。
まず、農業・生産状況の確認。
ここには収穫高や生産状況を始め、作付け面積や耕作状況の報告がまとめられていた。
次に建築物の修繕や新設の記録だ。
道の補正及び橋などの建設修繕の状況が記録されている。
治安軍事関連には、領家で起きた争いごとや事件等が記されている。
本来なら、ジゼルが子どもに菓子を奪われたことも衛兵を通じて報告すれば、ここに記載されるはずだ。報告が上がってくるとしたら来月のことになるが、父がいた頃と最近とでは記載内容がそれほど変わらない。時々、盗みや喧嘩の報告があるぐらいだが、浮浪者が増えており、トラブルが起きているような報告はない。
財務状況も大きな変動はなく、数字の上で見る限りうまく回っていると思っていた。実際、ジゼルがあの街を見てあまり疑問を感じない程度に街に大きな変化はない。
(だが、俺の知らないところで、勝手に弄り回されるのは気に食わないな)
兄はかつて王城で勤めていた実績がある。
その実績を頼り、父の死後彼に領地を託した。本来なら兄が当主なので、それを奪ってしまったという後めたさもあったのかもしれない。
だけど、魔法省の大臣まで務めた上領地経営は手が回らない。
実際父の時代はトマスが手伝っていた。エリオットの代になり、トマスの後継で、父方の縁遠の親戚でもあるまだ二十代半ばのクグスを代官として立て、兄と共に領地を任せていたのだが。
(ーーこれは、孤児院だけではすまなさそうだな)
バーモンという青年はいかにも平民だ。あの時ざっと見渡した限り貴族はいなかった。
父の代にはそれなりに貴族出身の者がいたし、雇用をしてきた。
だが、たまたま見なかっただけというにはなんだか怪しい。
この報告書を見る限り人件費の支出額に変わりがなく、どれだけ抜かれているんだ、と考え始めると頭が痛くなってきた。
(これは、ホースター子爵に大きな顔はできないな)
エリオットは苦虫を噛み潰したような顔をする。
現在ホースター子爵領では、立て直しのためにアクスバン家から数名人を派遣していた。だが、彼らにはこちらに戻ってきてもらいたいぐらいだ。
「……旦那様、少しおやすみになられては?」
「いや」
「では、お茶を一杯でも」
「……そうだな」
数時間前まで、ジゼルの柔らかい太ももの上で寝転がっていたバツだろうか。
それとも、昨夜妻が嫌がるぐらい泣かせてしまったことが問題だったのだろうか。
もしくは、せっかくの温泉宿なのにあまり温泉を堪能させてあげられなかったことが問題だったのだろうか。
(いや。むしろ早く気づいてよかったのだ。もっと言えば、直接兄から受け取っておけば)
エリオットが領地に顔を出すだけでも抑止力になっていたはずだ。だが、面倒くさがって報告書は配達方式にしてしまった。
エリオットは茶を啜りながら、これからやるべきことを考える。茶を飲み干した頃には、いつものエリオットが戻っていた。
「なんだって? ガラウがいない?!」
「え、あ、はい。たしか半年ほど前に退職されたと聞きました」
詰め所に行くと、休憩中だったらしいバーモンがエリオットを見てしきりに頭を下げていた。彼に話を聞いていると、責任者が変わっているという。
「では今、誰が隊長を?」
「ーー私です」
そこへ、息を弾ませてどんぐり色の髪の男が入ってきた。体格がよく、言葉遣いから貴族とわかる。
「お前は?」
「元近衛騎士隊、副隊長オッズ・ゴランドと申します。ゴランド伯爵家の次男です」
エリオットは目を眇める。ゴランド伯爵領はアクスバン領の西側に接する領地だ。ただ、その隣の国との関係性が怪しく、アーノルドが密かに調査を続けている。
「……どういった経緯でここにきた?」
「スティーブ様とは王城勤めの際、懇意にさせていただきました。わたしの実家が隣ということもあり、ガラウ殿の後釜として腕を奮ってほしいと」
「ほう。兄上はなにか勘違いしているようだな」
淡紫色の双眸が愉しげに笑う。まるでへびに睨まれたように、彼らはピシリと固まった。
「ちなみにガラウ殿はどうして退職を?」
「年齢的な問題だと聞きました。私が来た時にはすでにいらっしゃらなかったので詳しいことはわかりかねます」
夏の暑さを吹き飛ばすように、詰め所に薄い膜がはる。それは硬く冷たく、冷気を生み出した。さすがにオッズは顔を引き攣らせる。バーモンは泣きそうだった。
「衛兵たちの名簿はあるか?」
「ありません」
「ほぅ。では誰が管理している?」
(色々と誤魔化すために、隠し持っているのか? それとも野放しなのか)
「ガラウ殿から仕事を引き継いでないのなら、お前は誰に教わりいったい何をしている? 近衛の副隊長と領地の衛兵は同じではないぞ?」
「私は、街の見回りを主にしています。まだ、着任して歴が浅くアクスバン領のことは何も分かっていないので」
引き攣らせる顔に、美しい顔を近づける。エリオットの圧力にオッズの顔色は次第に悪くなった。バーモンの悲痛なうめき声が漏れて、エリオットはその圧を解く。
「バーモン」
「は、はい!」
「お前はアクスバン領の者か?」
「は、はい!」
「ではお前に任務をやろう」
バーモンが仰反るようにして姿勢をただす。エリオットの迫力に涙を滲ませながら唇を噛み締めた。
「ゴランド殿に仕事を教えてもらえ」
「へ?」
「は?」
「お前を次期副隊長に任命する。副隊長とは隊長の補佐だ。領地を知らないという彼の役に立てるだろう」
「そ、そんな…!わたしは平民で」
「役職手当が出て給料が上がるぞ? それとも領主の命は聞けないか?」
「い、いえ! やらせていただきます!」
90度に身体を折り曲げて任務を請け負ったバーモンを見て、オッズが唖然とする。
「というわけだ、ゴランド殿。バーモンを副隊長とした。手が回らないところを補完してくれるだろう」
「……はっ」
「この後、この件は私から兄上に説明する。ゴランド殿は衛兵たちに報告を、行ってよし」
「……はっ」
オッズは一礼し、詰め所を出ていく。エリオットはトマスに目配せし、彼もまた詰め所を出て行った。
「バーモン」
「は、はい!」
「始めの仕事は衛兵たちの名簿を作ってくれ。で、入隊時期と出身地だ」
「……すみません、俺、いや、わたしは読み書きができなくて」
バーモンが顔色を悪くしながら俯く。エリオットはひとつ頷いた。
「今給料はいくらもらっている」
「はえ? え、え? 給料ですか?」
「あぁ」
「金貨二枚です」
「……ふむ」
平民なら一ヶ月で大銀貨八枚〜金貨一枚あれば十分生活できる。そこに、金貨二枚とくれば飛びつくのも理解できた。
(だが、以前は金貨五枚だった)
加えて、文字の読み書きが最低限でき、犯罪歴がないというのが入隊の最低条件だった。
バーモンのように、文字の読み書きができないならば、そもそも入隊試験の受験資格もない。
(その金はどこに流れたのか、かつて働いてくれていた者たちはどこに行ったのか)
これは想像以上に大変なことになったな、とエリオットは頭を抱えた。




