兄弟喧嘩と炊き出し
エリオットがトマスと共に宿に戻ってきたのは、夕食を終えた頃だった。ロイは張り詰めていた糸が切れたのか、風呂に入り夕食をとった後すぐに寝てしまった。コニーは未だ余談が許されない状況だが、顔色は少し良くなったと医師から報告があり、ジゼルは胸を撫で下ろした。
「エリオット様」
「遅くなってすまなかった。変わりはないか?」
「はい、わたしは大丈夫です」
ジゼルは一度宿に入って以降、ずっと宿にいた。
ロイとコニーのことが気になったし、夕暮れに下手に歩き回るのはよくないとナンシーとマーカスに止められたからだ。
「先ほど、孤児院に行ってきた」
「え?! なにかわかりましたか?」
エリオットは転移で王都の屋敷に戻ると、自領の報告書を確認しながらトマスに情報を共有した。その後、トマスと共に転移で戻ってくるとその足で孤児院に赴いたという。
「兄が代替わりして、数ヶ月で運営費は削減された。今は当時の1/10ほどらしい」
「なんてこと……!!」
孤児院の院長は、五十代半ばのふくよかな女性だった。父から代替わりした際、エリオットは孤児院を訪ねている。おおらかでよく笑う印象だったが、随分と痩せて疲労の色が濃く滲んでいた、と眉間の皺を深くした。
院長曰く、子どもたちは限られた食料を取り合うようになり、やがて「ここにいても食べられない」と悟った子どもたちが勝手に出て行ったという。
院長自身も満足に食べさせてあげられないことが分かっていたため、彼らのことを見て見ぬふりをしてきたのだそうだ。
「明日、アリアたちも合流させて、街で炊き出しを行う。ーー匂いに釣られた子どもたちが寄ってくるだろう。彼らには、きちんと事情を説明した後、孤児院に戻るよう促すつもりだ」
この状況を解決できるまで、エリオットは私財を投げ打って必要な資金を渡す算段のようだ。金銭で渡して、盗みに入られると困るので、決まった商会から食材を届けさせるようトマスが動いている。
「お義兄様には」
「まだ会っていない。証拠を叩きつけてやろうと思ってな」
エリオットは獰猛な笑みを見せながら息巻いた。
「トマスには私と共に屋敷に来てもらう。ーージゼル」
「はい」
「せっかくの新婚旅行を台無しにしてすまないが、こういう状況だ。ジゼルは」
「わたしにも手伝わせてください」
いくら両親の仲が悪くても、エリオットは弟としてスティーブを慕っているように見えた。そして信頼もしていたんだと思う。だからこそ、彼は今、とても怒っている。
エリオットは、たぶんジゼルを屋敷に戻したいと考えているのだろう。スティーブが何を企んでいるのか分からない今、ジゼルがひとり行動するのは危ない。それに、かつての領地とは違い、治安が悪化しているようだ。言わずもがな、王都の屋敷の方が安全だ。
「料理ならお手伝いできますし、炊き出しは力になれます。それに、グイドたちの面倒を見ていたので、孤児院のお手伝いも」
それでもジゼルはエリオットの傍にいたい。
傍にいるだけで何ができるかは分からないが、ジゼルは彼の妻だ。エリオットが望んでくれる限り、ずっと〝アクスバン〟を名乗り続ける。
楽しいことも苦しいことも分かち合う。ーーそれが家族だ。
「……わかった。マーカス、必ずジゼルに付いてくれ」
「はっ」
「ナンシーも頼む。ジゼルがひとり突っ走らないように」
「お任せください」
ジゼルの思いが通じたのか、エリオットは呆れたように嘆息し、それでも認めてくれた。
ただし当然護衛付きだ。マーカスとナンシーはエリオットに頭を下げる。
「しばらく単独で動くことになる。ーージゼル。今夜はもう、外から出ないように。明日の炊き出しは頼んだ」
「はい」
エリオットは他にやることがあるといい、すぐにトマスを連れて宿を出て行った。その夜は皆が寝静まった頃に帰ってきて、朝は早くにアリアたちを連れて宿にやってきた。
ジゼルは起きて朝食を取っていたが、いつもその席にいるエリオットがいない。
彼はジゼルの部屋に顔を出すと、疲労の色を濃く滲ませた顔で謝罪した。
「ジゼル、すまない。今日もひとりにしてしまうが」
「いえ、それはかまいません。それよりエリオット様の方が」
「わたしは慣れている。問題いらない」
きっとあまり寝ていないはずだ。彼の目の下にはうっすらと隈ができていた。
本来なら、今日を含めあと三日で休暇が終わるので、できればその間に解決したいのだろう。一週間も職場を空けた上、いくら自領の問題とは言え長く休むことは憚れる。
「それに早く解決して、ゆっくりジゼルと続きを楽しみたい」
「も、もう! エリオット様」
悪戯な唇が首筋に押し付けられる。ジゼルは肩を押し返して頬を膨らませた。
人が本気で心配しているのに……! と言いたいところであるが、冗談を言えるぐらい元気な証拠だ。
エリオットはクスッと笑うと、今度は唇にキスをして部屋を出て行った。
「たくさんあるので、ちゃんと順番に並んでください」
「押さないでください。割り込みも禁止です」
ジゼルたちは、宿の厨房を借り、大量のスープを作った。昼前にロイと出会った広場にいき、そこで炊き出しを行う。
始めこそ、怪訝そうに見ていた人たちは、匂いに釣られて出てきた子どもたちが美味しそうに食べている様子を見て、列に並び始めた。
鍋はあっという間にひとつ、ふたつ空になり、近くで野菜や肉を売っている露店からも材料を買って、新たに作り直す。
そうして、鍋を五回ほど空にする頃、衛兵たちがぞろぞろと近づいてきた。
彼らは、ジゼルの隣にいたマーカスら王都のアクスバン家に勤める騎士たちに気づき、ハッとして足を止める。
広場には剣呑な雰囲気が伝わり、ジゼルはナンシーに連れられてその場から距離を取った。
「何用だ?」
「我らはアクスバン家に従事する衛兵だ。広場で許可のないことが行われていると聞いて参った」
「この炊き出しはエリオット様自ら指揮されている。そなたたちは通常通りの職務に励むがいい」
「ですが、ここは我々の管轄。他所者こそ口出しはやめていただこうか」
「我々はエリオット様から何も聞かされていない」
「おかしいですね。今朝、エリオット様とトマス様が直々にお屋敷に向かわれましたが、そこからあなたたちに情報が降りてきていない、と?」
「なんだと?!」
一触即発の気配の中、ジゼルは表情を引き締める。
「衛兵さん、お名前は?」
訝しむ彼に向かって、マーカスは尖った声を出した。
「このお方は、ジゼル・アクスバン侯爵夫人だ。名を名乗りたまえ」
「……ダリスと申す」
「ではダリスさん。この件は一旦預からせてください。あなたたちはエリオット様を信用できないかもしれませんが、彼もまたこの状況に納得できていません。ーー領主代行はお兄様がされていることはご存じで?」
「……はい。スティーブ様のお考えが=エリオット様のお考えだと」
ダリスは困惑気味にジゼルを見つめ返す。彼らもまさか、二人の間で情報の齟齬があったとは考えていなかったのだろう。
「意図的か意図的ではないか、正直わかりません。ただ、エリオット様個人のお心を代弁させていただくと、我々の認識していた内容と大きな齟齬があり、非常に戸惑っております」
「……なんと」
「もし、詳しい情報をお持ちの方がいらっしゃるのでしたら、いつからこんな風になったのか、色々と教えていただきたいのですが」
ジゼルは顔を見合わせている衛兵たちにもう一声出す。
「ご協力していただいた方には、わたくしからエリオット様にきちんとその内容とお名前を報告いたします。問題解決後には褒美も検討されるかと」
飴は大事です




