ロイ&コニー兄妹
「痛い! 離せよ! さわんな、変態ジジィ!!」
「誰がジジィだ」
突然目の前に現れたエリオットを避けきれず、男の子は派手に転けた。そしてエリオットは容赦無く捕まえる。ジゼルは呆気に取られながらも、二人の元に慌てて駆け寄った。
「エリオット様」
「ジゼル、怪我はないか?」
「はい。わたしは……」
だが、男の子は転けた拍子にズボンが破れ、膝から血を流していた。
おまけに今はエリオットに腕を捻られている。先ほどのしおらしく潤んだ瞳はどこへやら、全身逆毛を立てて牙を剥いていた。
「離せよ! 離せ!」
「エリオット様、お菓子は無事でしたし、その」
「おい、小僧。離してもいいが訳を話せ。ーーお前は普段、孤児院にいるんじゃないのか?」
「孤児院? あんなところにいても死ぬだけさっ」
子どもは地面に体を押さえつけられながら、吠えるように叫ぶ。
その目はギラギラとしていて、飢えた獣のようだった。
「新しい領主は俺たちみたいな低俗な人間は全員処分したんだと! 運営費を削られて院長先生も金策に走ってるけど、全員養うことなんかできねえじゃん」
「……そんな」
ジゼルは思わずエリオットを横目で見る。彼は険しい顔をより険しくしていた。
「お前、名前は?」
「これ以上は情報料をもらわないと話さない」
エリオットは嘆息すると、駆けつけたマーカスにその子を突き出した。
「飯を食わせてやれ。あと着替えと。二時間後に宿に連れてこい」
「承知しました」
「おい小僧、飯を食わせてやる。その代わり、後でたっぷり喋ってもらうからな」
エリオットは淡紫色の双眸を細め、子どもを睨みつけた。その子は焦ったようにエリオットを引き止める。
「い、妹を助けてください! 俺がなんでも話すから」
「妹?」
「まだ、5歳なんだ。けど、最近全然飯を食わなくて。ずっと寝てばかりで……っ」
ギラついていた瞳には不安と恐れが湧き上がる。競り上がってきた涙が汚れた頬を伝った。
彼はロイと名乗り、領都の外れにある古びた小屋で妹と二人で生活しているという。十日ほど前から、妹が体調を崩し、金目になりそうなものを盗んで薬を買うお金を貯めていたらしい。
ジゼルはその場に膝を突くと、破れたズボンから見えた痛々しい傷にそっと手をあてた。妹が5歳と言ったが、彼もまた5歳程度にしか見えない。背は低く、足は棒切れのように細く、今にも折れそうだった。
「ヒール」
ジゼルの魔力量は少なく、あまり魔法は使えない。だけど、昔からよく異母弟グイルの怪我を水魔法を使って洗っていたら、擦り傷ぐらい治せるようになった。ほんの軽いものしか治してあげられないが。
「ロイ。わたしは、ジゼル。あなたの家に案内してくれるかしら? 妹さんを助けたいのよね?」
ロイはみるみるうちに傷が治っていく足元を見て目を丸くした。そして、ジゼルの問いかけにハッとすると涙を吹いて力強く頷く。今にも駆け出しそうになる彼をジゼルは引き止めた。
「エリオット様。こちらはお任せいただけないでしょうか。ロイの妹さんを連れて宿に向かいますから」
「……わかった。マーカス」
「はっ」
「ジゼルを守れ。医師を宿に寄越す」
「ーーしかし」
「わたしは一度王都に戻る。それまでジゼルを頼むぞ」
「……承知しました」
主人をひとりにしておけない、とマーカスは心配する。しかし、エリオットは一度転移で王都に戻るようだ。その際、トマスを含めて人を何人か連れてくるという。
「ロイ、待って」
ジゼルは掛け出すロイをマーカスと共に追いかける。ナンシーには先に宿で彼らを受け入れる準備をしてもらうことにした。
新婚旅行なので、最低限の人数で移動している。いざとなれば、エリオットが転移を使い王都の屋敷に戻ることができるためだ。ジゼルの指には、結婚式の翌日にもらった指輪もある。たとえ離れ離れになっても、ジゼルはひとりで屋敷に戻ることができる。
「コニー!」
そこは古びた小屋というより、小屋だったものがある、非常に危険な建物だった。今にも崩れ落ちそうな粗末な建物にロイの妹コニーはいた。すえた匂いにえづきそうになりながら、ジゼルはハンカチを出すのを我慢する。
「お、にぃちゃん」
「もう大丈夫だからな。よくなるから。だからもう少し頑張れよ」
季節は夏だ。ここは領都の中心部に比べると比較的影が多いが、じめじめとした空気は変わらない。
痩せこけて、起き上がる力もない5歳の子どもをマーカスがタオルで包んで抱き上げた。
ロイの家の周辺には、彼と同じように痩せこけた人が複数いた。皆目がぎょろっとしてじっとジゼルたちを見ている。しかし、マーカスが彼らを一瞥したことでその視線は外された。
(……勝てるとは思わないわよね……)
身長190センチほどあるマーカスは屈強な体付きをしている。
おまけにまだ20歳と若く体力もあり、いくら束になってかかっても彼らは勝てそうになかった。
ジゼルはマーカスから離れないように気をつけながら、ロイと共に宿に向かう。
宿にはエリオットが手配してくれた医師がちょうど駆けつけてくれたらしく、コニーの容態を見て眉を顰めた。
「できることはします。あとはこの子の体力次第です」
「お願いします!」
医師はロイを見て明言を避けたが、ジゼルはコニーを見た時からなんとなく状況を察していた。
きっとマーカスも同じだろう。ロイはそれ以上なにも言わなかったが、締められた扉の向こうを不安げに見つめる。
「ロイ、きみも一度綺麗に身体を洗って服を着替えましょう。そしてご飯を食べて、元気な姿をコニーに見せなくちゃ」
「……っ」
ロイは唇を噛み締めて小さく頷く。縋るように伸びてきた手をマーカスが遮ろうとした。しかし、ジゼルはマーカスを止め、小さな手をそっと握る。
「あ、あの、あり、ありがとう、ございました。お金は一生かけて返すから、妹を助けてください」
「あとでたくさん話してくれるんじゃないの?」
「でも、それで足りるかどうか」
ロイは薬が高価であることも、医師の診察を受けるにはある程度お金が必要なことも理解しているようだった。そして、今の自分にはその対価が足りないことも。
「子どもはそんなこと考えなくていいの。コニーを心配する気持ちはわかるけど、ロイはできることをやりましょう」
ジゼルが微笑むと、ロイは涙を拭いながら小さく頷いた。
妹のことが心配でたまらないが、その不安を飲み込もうとしている顔だ。
(こんな小さな子どもが、生きるために必死になっているなんて……)
ジゼルも報告書には目を通していたが、収支の状況がメインで街の状況についてそれほど記載がなかったことが気になっていた。エリオットの反応を見る限り、孤児院の運営予算はしっかり取っているはずだ。
ロイはナンシーに連れられて、浴室に向かう。
不安げな背中が振り返り、ジゼルに縋るような視線を向けた。
「美味しいご飯準備しておくから、行っておいで」
ロイはグッと何かを堪えるように顔を歪めて小さく頷く。
彼がいなくなった後、ジゼルは振り返って治療中のコニーのいる部屋の扉を見つめた。
「……頑張って」
「大丈夫です。彼女の手にはまだ力が残っていましたから」
抱き上げた時、マーカスの裾を掴む手は想像以上に力強かったという。
そして、小さな声で服が汚れてしまうことを詫びたらしい。
そんなことを病気の子どもに気遣わせてしまうなんて、ジゼルは悲しかった。
そして、今エリオットがどんな気持ちなのか考えるととても切ない。




