SS:エリオット・アクスバンは全力で甘えることにした(総合&ジャンル別1位記念)
皆さんのおかげで、総合&ジャンル別1位をいただきました。ありがとうございます!
「もっと甘々なお話しを読みたい」というお声をいただいたので、公開いたします。
束の間のひとときとなりますように…。
「ジゼルは?」
「執務室にいらっしゃいます」
仕事を終えて急ぎ自宅に戻るとトマスが恭しく出迎えてくれた。通常なら王城を出る前に「今から帰る」と一報を入れ、馬車に乗って帰宅するので少なくとも使用人たちは準備をする時間がある。
だが、エリオットは魔法で文字通り飛んで帰ってくるし大袈裟な出迎えは昔から不要としていた。よっていつも少ない面々で当主の帰りを出迎えているのだが、そこに最愛の妻の姿が見えずエリオットは少し落胆した。
「夕食は?」
「七時に予定しております」
「わかった」
ジゼルはエリオットが初めて手に入れた大事な人だ。ただの”エリオット”という人間と向き合ってくれる稀有な存在でもある。肩書きも生まれも気にせず、真正面から受け止めてくれる人。
だからか、彼女の前だけはどんな自分でもさらけ出せた。
エリオットは着替えもせず、ジゼルの執務室に直行すると扉を三回ノックした。そして返事が聞こえる前に自分で扉を開ける。
「え、エリオット様?!」
「ただいま、ジゼル」
ジゼルが「お出迎えもせずにすみません」と慌てて駆け寄ってきた。その小動物のような仕草も、エリオットの帰宅にわずかに喜色を滲ませた蜂蜜色の瞳もーーすべて愛おしい。
「ど、どうかされました?」
「いや。ーージゼルに会いたかっただけだ」
駆け寄ってきた妻を腕の中に閉じ込める。表情の変化に乏しいエリオットが唯一ジゼルだけに見せる柔らかい眼差しにジゼルもまた頬を綻ばせた。
「朝も会いましたよ?」
「昼は会ってないだろう?」
「今会ってます」
腕の中で小さくなりながら、ジゼルがかわいらしく唇を尖らせる。
名実共に夫婦になった夜「唇の感覚がないです!」とジゼルに怒られるぐらい貪った薄紅色の果実。少し乾燥気味のそれに不意打ちを喰らわすようにそっと触れる。
温かく柔らかなものがびくりと震える。下唇に軽く歯を立てるとじわりと唾液が滲んだ。その甘さに酔いしれながら二度三度角度を変えてぬくもりを重ねる。
「……もう」
「なんだ?」
「び、びっくりするじゃないですかっ」
真っ赤になった耳が、無理矢理つり上がった目尻が、エリオットを喜ばせる。
口では非難しているものの、その顔は「びっくりしたけど嬉しい」と書いていた。
「キスしてほしかったんじゃないのか?」
「ち、違います!」
「でも、こうなっていたぞ?」
エリオットはジゼルを真似て唇を突き出した。するとジゼルがムキになって否定する。
「なってませんっ」
「なってた」
「なってない」
恨みがましい目を向けるジゼルにエリオットは眉尻を下げた。
「そうか。なら俺の見間違いか」
「そうです」
「じゃあ、しばらくキスはやめておくことにする」
「え?」
ジゼルは驚いたように目を丸くする。
「ジゼルがねだってくれるからキスをした。でも違ったならしばらくキスはできないな」
「そ、そんな」
「ジゼルがねだってくれたらいつだってしてやるぞ?」
エリオットは顔を真っ赤にして口をハクハクさせている妻を見下ろして嫣然と微笑む。ジゼルはエリオットの言葉ひとつに落ち込んだり喜んだりするので見ていて楽しい。ついつい意地悪してしまいたくなるのは、かわいいと思っている証拠だ。
そして素直に落胆を表したジゼルはエリオットのニヤニヤする顔を見て「しまった!」と言わんばかりに顔を隠した。エリオットの胸に。
(〜〜っ、かわいいやつめ…!!)
「どうした? ねだってくれないのか」
「〜〜〜っ」
「ねだってくれないなら、こちらからねだるが?」
剥き出しになった耳朶に唇を寄せながら甘く囁く。白く折れそうな首がじわじわと朱色に染まった。その首筋にエリオットも顔を埋めて唇を窄める。わざとリップ音を立てると華奢な肩が大袈裟に跳ねた。
「ーーいいか?」
「!!!」
「ジゼルがねだってくれるなら、我慢するが?」
恥じらいの色を滲ませた蜂蜜色の瞳がエリオットを見て、そっと目を逸らす。
妻の素肌に触れたのはまだたった一度しかない。だけど、彼女が動きやすいワンピースを好み、コルセットを嫌ってくれているおかげで、薄い布越しに彼女の体温を感じられる。
そのぬくもりを抱いているだけで、心が落ち着く。気持ちが安らぐ。ジゼルのぬくもりと香りに包まれていると自分がただの普通の男だということをまざまざと突きつけられてしまう。
それがなんだか少しだけ嬉しい。魔法省の大臣でもなく、侯爵家の当主でもない自分を受け入れてもらえているようで。
「が、我慢はしなくていいです」
か細く弱々しい声が紡がれる。逸らされた視線がエリオットを窺うように見上げて、また恥ずかしげに俯いた。
「我慢は、その、身体に、よくありませんので」
「……そうか」
「はい」
「なら、夕食を後回しにしても?」
ジゼルは「え、それは困る」と一瞬戸惑いを見せたが、熱を帯びた眼差しにじっくりと見つめられて断りきれないと悟ったのだろう、力なく頷いた。
「では、そのように伝えておこう」
エリオットは近くにいた侍女に伝言を頼むとジゼルを抱き上げて寝室に向かった。
ジゼルは突然抱き上げられたことに驚き、そのままの体勢で寝室まで運ばれたことにもっと驚きを見せた。ジタバタともがく様子を見てエリオットは強硬手段をとる。転移だ。
家の中で魔力を使うとトマスが何事かとやってくるので普段はあまり使わないが。
(致し方ない。許せ、トマス)
「まだお風呂にも入ってませんけど!」
「どうせあとで入るだろう?」
エリオットはあれこれと言い訳がましい唇を塞ぎながら、ジゼルをベッドに押し倒す。
その夜、我慢しなくていいという妻の言葉を武器にしてエリオットは全力で甘えた。
***
「もう、これからはちゃんと夕食をとってからにしてください」
「それは約束できないな」
翌朝、ジゼルが目を覚ましたのはいつもの朝食の時間だった。「なんかお腹すいた」と目が覚めて、そういえば、夕食を食べ損ねたと思い出す。
しかも昨夜は大好きなナポリタンだったというではないか。グイルの一件があり、いくつかレシピを教えたせいかでアクスバン侯爵家の夕食でも振る舞われることが増えていた。
(ナポリタン、食べたかった…)
がっくりと項垂れていると、いつもなら起きて鍛錬しているはずの夫が今朝はのんびりしていた。
ジゼルが起きたことに気づいた彼が「朝食にしよう」と朗らかに言う。
食べ物の恨みは恐ろしいのだ。文句のひとつぐらい言ってやりたかったが、侍女達が寝室に入ってきたことでなにも言えなかった。
「ナポリタンを食べ損ねたんです」
「そうだったか。なら今夜作って貰えばいい」
新鮮なフルーツに舌鼓を打ちながら、お腹に優しいスープを飲んでホッと息を吐く。心が満たされた頃、ジゼルは思い出したように不満をこぼした。
それを聞いたエリオットがなんでもないことのように言う。彼もまたナポリタンが好きだ。わずかな表情の変化と声のトーンで後悔が滲んでいた。少しやり込めた気がして胸がすく。
「だが、ジゼル。貴族なら結婚後一ヶ月は蜜月だ。そのことは知っているだろう?」
「こほっこほっ」
初夜は不要、後継も不要だと聞いて油断していたせいかジゼルはまったく気にもしていなかった。
今になってカウンターパンチを喰らい盛大にむせる。おまけに本来ならすでに蜜月が終了しているが、アクスバン夫妻はそもそも始まってもいない。
「だからって、夕食なしは…」
「できれば、今からでもじっくりとジゼルを愛でて甘やかしたいんだが」
淡紫の瞳が妖しく細くなる。ジゼルはあわあわと両手を振って否定した。
「ああああの、それはその、難しいです! 商会の設立とブランドの設立がありますし、新商品も目白押しなので…!」
醜聞になるのは避けたいが今から一ヶ月も蜜月を過ごすのは正直難しい。店のオープン日はすでに決定しており、休んでいる暇はなかった。
「じゃあ三日だ」
「え?」
「アクスバンの別荘がある。そこに旅行しないか?」
エリオットの提案にジゼルは胸を弾ませた。旅行なんていつ以来だろうか。
思い出せる範囲では遡って大学生の頃だ。友人とバスツアーで日帰り旅をしたぐらい。
当然この世界に転生して旅行なんてしたことがない。領地から学院に通うため王都に来る時も旅行という感覚はなかった。あれはただの移動だ。
「……いいんですか?」
「あぁ。遅くなったが新婚旅行だ」
「嬉しいです」
ジゼルがパーっと目を輝かせて喜ぶとエリオットも目元を和らげた。自分だけに見せてくれる優しい笑顔に心臓がキューっと締め付けられる。
「予定の調整ができないかラベル商会に相談します」
「あぁ。わたしが頼もう。その方が早い」
「いや、でも、あの」
「なんだ?」
エリオットのことだ。きっと「新婚旅行に行くから予定の調整をしたい」とかなんとかいうのだろう。馬鹿正直に予定など伝えてしまうとケティから満面の笑みで新商品の透け透けランジェリーを渡されるのが目に見えている。
「わたしが自分で伝えますので」
「そうか?」
「はい、大丈夫です。お任せください」
後日、透け透けランジェリーの存在を知ったエリオットから「どうして教えてくれなかったのか」と盛大に嘆かれてしまうことになる。以来、彼はラベル商会との新商品打ち合わせ会議に必ず参加するようになるのはまた別のお話。
普段キリッとビシッとしている人が好きな人の前で子供っぽくなるのは可愛いですよね。幼い頃あまり甘えられなかったエリオットなので、ジゼルに全力で甘えています。笑




