穏やかな日常
「奥様、ラベル商会の皆様がお見えになりました」
「ありがとう。すぐ行くわ」
「ええー、もう行っちゃうの?」
「言ったでしょう? 午後から約束があるって」
グイドが侯爵家に来てはや三日。彼は午前中は勉強し、午後から剣や乗馬を習っているらしい。
昼食と夕食は一緒にとるが、結婚前の時と同じく日中を一緒に過ごすことはなかった。
「今日は乗馬でしょう? 頑張ってね」
「はぁい」
少々不貞腐れた声を出したものの、乗馬はグイドが楽しみにしているレッスンのひとつだ。子爵家の財政では馬を持つこともなく、また剣を教えられる人もいなかったので楽しいのだろう。表情は楽しげだ。
「お待たせしてしまったわね」
「いいえ。滅相もございません。わたくし共の方こそ、楽しみで早く到着してしまいましたので」
応接室に向かうと、ナタリエ夫人とケティがジゼルを見るなり立ち上がって一礼した。
本日は、フィードバック会だ。参加者はサンプルを試着してくれたアクスバン家の侍女一同。
彼女たちもワクワクとした表情で部屋に集まってくる。ちなみにケティもナタリエ夫人も被験者のひとりだ。
「ーーでは、皆さんの感想を伺いましょう。その後に具体的な改修点をあげます」
ケティがその場を仕切る。本日はブラとショーツの感想をフィードバックしてもらう会だ。
当初、ショーツはビキニタイプ型のみだったが、いきなり下着の丈が短くなると心許ないという方も多かったので、ガードルタイプで丈の長さをいくつか準備した。前世でいうボクサータイプのものもある。
「わたくしはブラとロングタイプのガードルを使用しておりました。その、気のせいかもしれませんが、少しお尻が引き上がったように思います」
「はい! わたしもロングタイプを使っていますがスタイルが良くなったように」
「ですよね!」
「ええ!」
「わたしは、ブラとビキニタイプのものでしたが、夫にとても喜ばれました。とっても盛り上がって」
「きゃー!!」
「わたしも恋人に”それを着けるのは僕の前だけだよ”って言われました」
惚気話も混ざる中、話の軌道を修正しつつ、商品の修繕案を挙げていく。耐久性についてはまだ正確な数字が出ていないのでなんとも言えないが、貴族仕様のものに関して言えば十分な仕上がりだった。
「あとは、実際に商品化してブラッシュアップしていくのがいいわね」
「ええ」
「こちらでも専属の針子を選別しております。また、平民たちのよい仕事にもなりそうです」
専属の針子は貴族御用達のものを作る人たちだ。デザイン性に富んだものやレース等の高価な素材を使うので、彼女たちに任せることにしている。一方平民たちには、内職のひとつにどうかと思った。
今はどれも試験的に試しているので、まだ結果がすぐに出ていないが、アリアの口ぶりから感触はよさそうだ。
「実は、また新作があるんですけど」
「新作ですか?」
「ええ」
ジゼルは次にスポーツブラタイプの下着とカップ付きの下着を紹介した。ナイトブラとして使用するのもいいし、年齢を重ねてブラやコルセットが辛い人にもカップ付きの下着は使いやすいだろう。
「なるほど。内側のここにカップを入れるのですね」
「ええ。ある程度カップがしっかりしていれば、きちんと収まると思います」
カップの大きさや形はまたサンプルを作って使用感をフィードバックして貰えばいい。これらのメイン層は貴族ではないが、貴族用でカップ付きのナイトウェアを作ってもいいかもしれない。
(誰だって寝る時は楽ちんがいいよね。でもスタイル維持はしたい)
現在のナイトウェアにスタイル維持を考えたデザインはない。ジゼルが普段使っているものは少し厚手の布で作られたワンピース型のものだ。男性はシャツとズボンというシンプルなスタイル。
(これって、もしや男性用にスウェットを作ればいいのでは? あ、もしくはボクサーパンツかトランクスの方がいい?)
いいこと思いついたかも! という顔をしていたジゼルを見逃すはずのないケティ。ジゼルは紙とペンを持って嬉々としてデザインを描く。侍女たちが顔を赤らめていることに気づかないまま、男性用の下着についてケティと真面目にディスカッションした。
***
「今日も有意義な一日だったそうだな」
「はい、わかりますか?」
就寝前にエリオットとホットミルクを飲むのが日常になりつつあるこの頃。会話は本日の「あれした」「これした」の共有である。特に面白いことはないのに、エリオットはいつも真面目に楽しそうにジゼルの話に耳を傾けてくれる。
「あぁ。表情が生き生きとしている」
「ナタリエ夫人とケティと話すのは楽しいですし、とても刺激的です」
この国での女性の地位はそれほど高くない。そんな中、商売人として第一線を突っ走っているのが彼女たちだ。家の理解があるといえど、誰も彼もが彼女たちのようにできるわけではなかった。
現に、義母は彼女の兄より商才があると言われていたのに、貧乏領地に嫁がされている。今は裏から掌握しようとしているらしいが、どれほど彼女が手を出しているのか現在調査中だ。
「そうか。ジゼルにいい影響があればそれはよかった」
「はい。実家にいた時より充実しています」
好きな料理はあまりできていないが、ジゼルが珍しいものを作るので調理場は好きに使わせてもらえる。
今日だってグイドにねだられて、グラタンを作ったばかりだ。ちなみに昨夜はナポリタンで、エリオットも大変気に入ってくれた。作った食事はすべて料理長に叩き込んだので次回からすぐに作れるだろう。
「わたしもジゼルが来てから毎日が楽しい」
「そ、そうですか」
「こうしてあなたと毎晩話す時間が楽しみなんだ」
外ではあまり表情の変わらないエリオットだが、ジゼルと二人きりになると随分と柔らかさを纏う。彼を知らない人から見ればそれほど変わりがないかもしれないが、ジゼルには目に見えて大きな変化だ。
「……わたしも、この時間がとても楽しいです」
心沸き立つような楽しさとは違うが、安心してホッとくつろげる時間だ。それがあるのとないのでは全然違うと思う。
「ーーでは、そろそろいいと思うがどうだ?」
「え?」
「わたしたちの初夜だ」
「あ、」
手を取られ、手首の内側に唇を寄せられる。誘うような目を向けられてジゼルは顔を赤くした。
「ま、まだ! まだだめです! まだ三日しか経ってない」
「じゃあ、あと何日待てばいい?」
「え、えっと」
「こういうのは時間じゃないと思うが?」
わかっている。わかっているが、裸を見せる勇気がない。エリオットの前では誰だって見劣りするかもしれないが、それでももう少し時間が欲しい。心の準備をする時間が。
「う、あの、えっと」
「まぁいい。我慢したらした分、その時はひとしおだろう」
「ひえっ」
「それに、あなたが作ったブラ?というものも見たいしな」
見せてくれるだろう? と当たり前のように言われてジゼルは困惑する。
一度「見せる」と言った手前今更「見せない」とは言えなかった。
「は、はい。でも、まだ、出来上がってないので!」
サンプルは上々だが商品として完成していない。商品になるのはレースやフリル、リボンがついたもっとかわいいものだ。
「じゃあ、出来上がったら見せてくれ。約束だ」
「は、はい」
そんな日が来てほしいような来てほしくないような気持ちになりながら、顔を真っ赤にしてジゼルは頷いた。




