ホースター子爵家の現状(sideエリオット)
「ーーおかえりなさいませ、旦那様」
王太后とのお茶会後仕事を終えて、帰宅したエリオットは屋敷が賑やかなことに気がついた。いつもより早い帰宅にトマスは驚きつつも、にこやかに出迎える。
「ジゼルは?」
「厨房です。グイド様がいらっしゃいまして」
「なんだって?」
トマス曰く、王都に向かう馬車に乗せてもらい、ジゼルに会いにここまで来たらしい。
「奥様の手料理が食べたいという理由です。ホースター子爵にはすでに早馬を出しております」
姉の手料理が食べたいだけで、無謀にも屋敷を抜け出したと聞いてエリオットは頭を抱えた。今ホースター子爵家は渦中の一族だ。グイドを攫って脅すことなど造作もないだろう。よく無事だったものだ。
エリオットは嘆息しながら声のする方に向かった。ふわっと鼻腔を擽る油の匂いがする。空腹の胃には刺激的で、食欲をそそるものだ。野太い声がジゼルをベタ褒めし、まだ幼さの残る声が得意げに自慢していた。
「そうだよ。ジゼ姉はすごいんだ!」
「そうですな〜! いやぁ、こんな調理法があるんですね」
「それはどんな調理法だ」
エリオットは躊躇うことなく厨房を覗く。普通、屋敷の主人が厨房を覗くことなどほとんどない。
ジゼルが出入りすることに慣れてきた料理人たちだが、滅多に顔を合わせない当主が直々に顔を出したことに驚いた。
「え、エリオット様! お帰りなさい! お出迎えもできず申し訳ございません」
「構わない」
グイドはサッとジゼルの影に隠れる。自分がなにをしでかしたか、きちんとわかっているようだ。
「……食事をしたら、屋敷に送ろう」
「嫌です」
「グイド。お父様たちが心配しているでしょう?」
「でも、美味しくないんだもん」
これまで食事を作っていたジゼルが突然いなくなったことで、現在侍女が作ってくれているらしい。
だが、彼女は控えめにいっても料理が上手ではないようだ。
「新しい料理人を派遣しよう」
「その人は姉様と同じものが作れますか?」
「グイド」
「姉様が結婚したのはいいことだけど、変になったんだ。いっぱい手紙が来るし、お母様やエレ姉はお茶会で忙しくしてるし。僕もよくわからないけど、何回か連れて行かれて……。剣も乗馬も習っていないっていったら大笑いされた。勉強はちょっとだけ勝ってたけど、たぶん」
無理矢理連れて行かれたお茶会で嫌な目に遭い、優しく慰めてくれるジゼルがいなくなって彼は悲しくなったようだ。ホースター子爵家の立ち位置が大きく変わり、環境まで変わってしまったのだろう。
「お祖父様やお婆様もよく来るようになったし」
ドレスや装飾品やと大量に持ってきてはどの家とどう繋がるかなんていう話をしているらしい。父親は無関心を貫いているのは、彼らからたくさんお金を借りているからだそうだ。
「僕は貧乏でも、ジゼ姉がいる時の生活の方がよかった」
グイドが涙を堪えながらエリオットを睨みつける。
八歳にしては幼いと思ってしまうが、甘やかされて育ったのなら、このようなものだろう。もしくは、父親に似て、権力には興味はなく平和で穏やかに田舎で引きこもっているのが似合っているのかもしれない。
「……わかった。その件はわたしが請け負う。だから、安心しなさい」
「……本当ですか?」
「あぁ。その代わり、家族が心配しているから食事を済ませたら帰るように」
グイドは「嫌だ」と首を横にふる。
「解決するまで帰らない」
「グイド」
「ダメだよ、侯爵様。僕を送っていくと、その魔法を使って何かしてもらおうって母様は考えるから。そうやってあの人、全部ジゼ姉に色々と押し付けてた。ジゼ姉は嫌な顔せずになんでもやってくれたけど、母様ってそういう人だよ」
甘えん坊だと思っていたら、意外とちゃんと見ているところは見ているらしい。ジゼルは本当に気づいていなかったらしく目を丸くしていた。
「ーーわかった。ここで話すことではなかったな。すまないな、皆。先に食事にしよう。二人も準備をしなさい」
エリオットはやれやれと溜息を吐き出しながら、自室に戻る。
「化け猫の皮が剥がれたか」
ホースター子爵の隣で控えめに微笑む彼女を思い出して表情を歪めた。
***
「……これは、うまいな」
「そうでしょう? ジゼ姉のご飯に慣れると他の人のご飯は食べられないよ」
豚肉を油で揚げたというトンカツはサクサクでジューシーでとても美味い。グイドが自慢げに胸を張っているが、たしかにこんな食事を毎日食べていれば舌が肥えるだろう。
「いえ、これは食材が美味しいだけです。子爵家ではこんな綺麗な色のお肉はあまり見かけませんし」
それでもグイドは「ジゼ姉が作るものはなんでも美味しい」と嬉しそうに頬張っている。口元に狐色の衣をくっつけて小さな口を大きく開いて肉を齧っていた。貴族のマナーとしてはよくないが、これは上品に食べるよりもがっついて食べる方が美味しく食べられるだろう。
「お塩に飽きたら、こちらのソースをかけてみてください。また違った味になります」
「僕のおすすめはソースとマヨをかけるの」
「アクセントはこちらの、マスタードをどうぞ。少しだけつけてください」
ひとつの料理にいくつもの食べ方があることに驚いた。エリオットは黒っぽいソースというものをかけてみる。
「……うまいな。また違った、複雑なのに深みのある不思議な味だ」
これまでいろんな料理を食べてきたが、違ったジャンルで味わい深い。グイドはエリオットの反応を見て、満足げに頷いた。
「味変だいじ」
「あじへん?」
「味を変えて食べることです。飽きが来ないので最後まで美味しく食べられます」
ジゼルの説明に納得する。たしかにいくつもの食べ方があると美味しく楽しめる。
口直しにスープを啜ると、これもまたいつものスープと違って驚いた。見た目はいつもと変わらないが味が全く違う。
「お口にあいますか?」
「あ、あぁ。とても濃厚だな」
「はい。野菜で出汁をとったコンソメスープです」
「僕、このスープが好き。ホッとするし、美味しいから」
グイドにとって、ジゼルの料理が安心をもたらすのだろう。理由があるとはいえ、ジゼルを拐うように連れてきたことに少し罪悪感を抱く。




