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第79話『七夕』

 七月七日土曜日。午後四時三十七分。


 束音宅にて。


「……何これ?」


 昼頃突然出かけた雅が帰ってきて、玄関の横に何やら植物を飾りはじめたのを見て、怪訝な顔をしたレーゼが呟いた。


 細い茎に、細長い葉っぱ。葉っぱの側面は触ると少しざらついており、レーゼはこんな植物は見たことが無い。


「笹っていうんです。今日、七夕だから」

「タナバタ?」

「あー、そっか。七夕は日本の文化だから、異世界には無いですよね。こっちの世界には、七夕伝説っていう神話にあやかって、七月七日に短冊に願い事を書いて笹に飾る風習があるんですよ」

「ふーん」


 あまり興味の湧かない様子のレーゼ。似たような行事はノースベルグにもあるが、幼少期より鍛錬に時間をつぎ込んでいたレーゼが積極的に参加することは無かった。参加することに特に意義も感じない。


 ただ、疑問が一つ。


「短冊を飾るだけなら、そんなに大きなササはいらないんじゃない? もっと小さいものは無かったの?」


 雅が持ってきた笹は、全長三メートルくらいもある。雅がどれだけ短冊を飾るつもりかは知らないが、大きな笹に短冊がちょこっとしか飾られていないのなら、余りにも寂しいような気がした。


 だが、聞かれた雅はきょとんとしてから……やがて何かを思い出したらしく、笑顔を見せる。


「そうだ、レーゼさんには言ってませんでしたね。実は毎年、うちに近所の子供達が来られて、笹に短冊を飾るんですよ。七時位ですかね? さがみん達も来ます」

「あんた、なんでこんな時間に伝えるのよ……」


 来客があるなど露程も思っていなかったレーゼ。いつも身嗜みはきちんとしているが、お客さんが来るなら心の準備というものがある。


 少し抗議するような声色に、雅も片目を閉じて両手を合わせ、謝罪の意を示す。


「まぁ準備は全部私がやりますから、もし良かったらレーゼさんも参加して下さい」

「ま、見るだけなら……」


 あまり気乗りはしないが、優達が来るのなら顔くらいは見せておくべきだろう。そう思ったレーゼは、了承するのだった。



 ***



「……ミヤビ、もっと大きなササは無かったの?」


 夜七時四十分。


 家に来た多くの子供達と親御さん達の姿を見て、レーゼが苦笑いを浮かべていた。


 厳しい指摘に、雅も曖昧な笑みを浮かべるしか出来ない。


「おっかしいですねぇ。去年はこんなに集まらなかったんですが……」


 笹には所狭しと短冊が飾られ、既に笹の外観をほとんど覆い隠してしまっている。


 人が頻繁に出入りしているため、家の前が大渋滞している訳では無いが、ちょっと見通しが甘かったと反省する雅。


 玄関の横の庭には小さなテーブルが置かれ、上には軽食――七夕らしい趣向が凝らされたクッキー等だ――が並んでいたのだが……こんなに人が来るとは思っていなかったので、そこまで多く作っておらず、既に皿は空っぽだ。


 短冊の紙も足らず、雅とレーゼが色紙で現在も作成中。短冊を作る手を止めず、会話しているのである。


「それにしたって多過ぎよ。こんなに集まるなら、何もミヤビの家を会場にすること無いじゃない。もっと広い場所を借りるとか……。そもそも、こういうのってミヤビがするようなことなの?」


 七夕の行事は初めてのレーゼにも、こういった行事で多くの人を集めるのは一個人がやるようなものでは無いと察するし、事実、こういうのは普通は自治体辺りがやるようなことだ。


「私のおばあちゃんが、毎年やっていたんですよ。皆でワイワイ楽しく何かするのが好きな人だったから。二年前に亡くなってしまったんですが、こういった行事は皆さんも楽しまれていましたし、私がちゃんと引き次いでいこうかなって」


 雅の言葉に、レーゼの手が一瞬止まる。


「……そっか。ごめんなさい。そういうことなら、すべきよね」

「気にしないで下さい。会場についてはレーゼさんの言う通りでしたね。でも本当に、どうしてこんなに人が集まったんでしょう?」


 雅は確かに近所の人にはチラシを配り、今年もこのイベントを行うことを伝えた。人数にしてせいぜい五十人いるかいないかといったところだ。毎年話が広がり、宣伝した覚えの無い人もやってくるとは言え、今年はその人数が特別多い。


 雅が首を傾げた、その時だ。


「それはね、多分レーゼさんが理由だと思う」


 家の中からサイドテールの髪型にエプロン姿の女性が出てきて言った。優だ。彼女の手にはクッキーやサラダが盛り付けられた大皿。足りなくなった軽食を追加するため、今までせっせとキッチンで料理に勤しんでいたのである。


「私が? 何で?」

「まぁ、そりゃあね。レーゼさん、美人だし、目立つじゃん?」

「あぁ、成程」


 言われてお客さんの方を見れば、確かに子供達や親御さんの目は多少なりともレーゼに向けられていることに気が付き、納得の声を上げる雅。


 学生だろうが社会人だろうが、個性の一つとして髪を染めることも普通に許されている現代。それでもレーゼ程ナチュラルで綺麗なスカイブルーの髪は珍しい。おまけに美人と来れば、一目見たくなるのも分かる。


 すると、五歳くらいの女の子が、母親と手を繋ぎ、頬を赤らめチョコチョコとレーゼの元にやって来た。


「あの……おねぇさん、いっしょにしゃしん、とってください」

「ごめんなさい、家の娘が言って聞かなくて……。よろしければ、お願い出来ますか?」


 女の子がペコリとお辞儀をし、ちょっと舌足らずな発音でねだる。申し訳無さそうな顔の母親が後にそう続けた。


「え、ええ。構いませんよ」


 バスターの仕事でパトロールをしている最中、世間話に付き合わされることも稀にあったレーゼだが、一緒に写真を撮ってくれなんて頼まれることは初めてだ。


 気恥ずかしいが、これを断るのはあまりにも心苦しい。若干顔を引き攣らせつつも、了承する。


 レーゼはしゃがんで女の子と目線を合わせると、笑いかけようとして――自分が今まで、どうやって笑顔を作っていたのか思い出せないことに気が付いた。


 緊張のあまり内心パニックになるが、それを表に出すことだけは気合と意地と根性で防ぐ。


 すると、雅が柔らかい微笑みを浮かべ、しゃがみこむ。


「お名前、なんていうの? お姉さんに教えて欲しいなー」

「たまき! 『さくらいたまき』です!」

「そっか、タマキちゃん。私はね、雅っていいます。束音雅。私もタマキちゃんと一緒にお写真撮りたいなー」


 いきなり何を言い出すのかと、驚きの視線を向けるレーゼ。聞かれた少女はちょっと考え込むが、


「おねえちゃんは、めがエッチだからやだ!」

「ガーン!」

「こ、こら珠樹! ごめんなさい、雅さん……!」

「……プッ」


 子供の素直な回答に、思わず噴出すレーゼ。確かに先程の彼女の目は、付き合いの長い者にしか分からない程度にいやらしさが混ざっていたが……感受性の高い子供には充分に伝わってしまったらしい。


 だが、オーバーリアクションで仰け反った雅が、こっそりとレーゼにウインクしたことで、彼女の本当の狙いを知る。


 今、レーゼは笑っていた。


 笑顔は作るものでは無い。自然になるものだ。雅はわざと自分を笑わせにかかったのだと、レーゼは気が付いた。


「じゃあ、二人だけで撮ろっか。私はレーゼ。よろしくね」

「うん! レーゼおねえちゃん!」


 笑顔になれている内に、レーゼは珠樹と写真を撮る。


 レーゼは、お礼を言って帰っていく珠樹と母親に手を振りながら、何とか上手くやれたと安堵の息を漏らした。


「ミヤビ、さっきはありがとう」

「いえいえ。あ、お礼と言っては難ですが、撮った写真、後で私にも下さいね」


 だが、ホッとするのも束の間。


「……あー、二人とも。記念写真、撮って欲しい人がまだいるみたい」


 苦笑いの優が、言いにくそうにそう伝えてきた。


 見れば、先程のやりとりを見ていた他の子達が、レーゼに期待の眼差しを向けている。


 その数、十人以上。


 笑顔が続くか、非常に不安になるレーゼであった。



 ***



 そして、午後八時半。


 希望者との記念撮影も無事に乗りきり、妙な達成感に少しばかりの高揚を覚えていたレーゼ。


 途中、愛理と志愛も訪れ、雅達と少し話をし、短冊に願い事を記入し飾ってから帰った。


 そろそろ遅くなってきたので、後十分でイベントを終了する旨を告げた雅が、レーゼに短冊を一枚渡す。


「折角ですし、一枚どうですか?」

「ま、一枚くらいなら……」


 子供達がワイワイ楽しく短冊に願い事を書いているのを見て、ちょっと興味が湧いていたレーゼ。


 しかし、いざ書こうとすると、何を書けば良いか分からない。


「……皆は、何を書いたのかしら?」


 人の願い事を勝手に見ることに若干の抵抗はあったものの、どうせ飾っているなら問題ないだろうと考え、笹に飾られている短冊を眺める。


 下の方には優の短冊。『追試は勘弁』と書かれており、一体何のことやらとレーゼは首を傾げる。優が来週に期末テストを控えていることなど知る由も無い。そもそも、これは果たして願い事と言って良いのか不明だ。


 だが、短冊の裏には『みーちゃんとずっと一緒にいられますように』と書かれており、きっとこっちが本当の願い事なのだろうとレーゼは思った。


 優の短冊の少し上辺りには愛理の短冊。『もっとたくさんの人が、私の動画を見てくれますように』と書かれていた。Waytubeの動画のことだと分かる。実に全うな願い事だ。


 真ん中より少し上辺りには志愛の短冊。願い事は実にシンプル。『金』である。アニメグッズの買い過ぎで最近金欠の志愛。だがこの願い事には苦笑いを浮かべてしまう。


 実はその近くにはもう一枚志愛の短冊があり、こちらには韓国語で『みんなと仲良く過ごせますように』と書かれているのだが、それにレーゼが気付くことは無かった。


 他にも色々と見たが、微笑ましいものから俗っぽいことまで様々で、悩みは深まるばかり。


 結局、レーゼは『レイパーがこの世からいなくなりますように』と書くことにした。他の願い事と比べると暗いが、彼女の中で一番大きい望みはこれなのだから仕方が無い。


 飾ろうとしたところで、レーゼは雅の短冊を見つける。


 書かれていたのは『女性が明るく、安心でき、希望を持って人生を歩んでいける世の中になりますように』。


 雅も自分と同じく、レイパーがこの世からいなくなり、世の中が平和になることを望んでいるというのはレーゼも知っている。


 考えたことは一緒でも、書いてある事は、雅の方が随分と前向きに見えることが何となく悔しくて、レーゼはもう一度ペンを取る。


 そして雅の短冊の隣に、自分の短冊を飾った。


 書かれているのは、こうだ。


『皆が笑顔でいられるために、レイパーがこの世からいなくなりますように』


「あ、レーゼさん。短冊書いたんですね」

「ええ。今飾ったところよ」


 声を掛けてきた優と一緒に、たくさんの短冊が飾られた笹を眺めるレーゼ。


「……なんか、圧巻ね」

「笹に紙切れを掛けただけなんですけどね。不思議です」


 何とも風情が台無しな一言に、思わずレーゼはクスリと笑ってしまう。


「昨今の七夕は、笹だけ用意して、電子短冊を飾るんですけど……おばあちゃんはこっちの方が良いって言っていました。きっと、最後に短冊が大量に掛けられた笹を見るのが楽しみだったのかもしれません」

「……なんかよく分からないけど、私もこれ、好きよ」


 すると、


「……あ、一番上にみーちゃんの短冊がある」

「あら、そこにもミヤビの短冊があったのね。何が書いてあるのかしら……」


 優が雅の短冊を見つけた。何と三枚もある。


 一体何を書いたのか気になった二人が手を伸ばすのを見て、その顔が青ざめる。


「ちょ、二人とも――」

「何々? 『もっとたくさんの女の子とイチャつけますように』……?」

「『女の子の裸が見たいです! ラッキースケベ希望!』……は?」

「『二年後、色んな娘と【ピー】出来ますように』――って、あんた一体何を書いて……!」


 顔を赤くし、目を見開いてワナワナと震える優とレーゼを見て、雅は超速でターンを決めて逃げ出し――しかし直後に二人に回りこまれてしまう。


「あああああんたねぇ……! 子供達の純粋無垢な願い事で埋め尽くされている中、何てものを……!」

「待ってください! 一応、子供達には見えないような位置に飾るという気遣いを――」

「大きなササを持ってきたのは、それが理由ね……! あんたって人は……!」

「ストップストーップ! 二人とも、落ち着いて話し合いましょう! 話せば分かりますぅ!」


 徐々に近づいてくる二人に顔を引き攣らせながら雅は説得を試みるが……成功するはずも無い。


 この後、きっちり鉄拳制裁されるのであった。

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