第9章閑話
七月六日金曜日、午後二時十六分。新潟県警察本部、二階の応接室にて。
先日の打ち合わせの際にいたメンバーに、愛理と志愛を加えた七人が集まっていた。今日は大事な話ということで、学校を休んで警察本部までやって来たのだ。全員が、目の前に現れたウィンドウを真剣な眼差しで見つめている。
先日出現した、キリギリス顔のレイパーが逃走する様子を上空から撮影した映像だ。
「……と、このレイパーは新発田方面に逃走。朳差岳に向かった後、消息を絶ったわ。映像を見て分かる通り、消息を絶つ前は、手にしっかりと鏡を握っているわね」
優香の解説。朳差岳は、新潟県北東にある飯豊山地北部の山である。
「確か、山形県との境にある山ですよね? 県外に逃げられると厄介だな……」
愛理が、眉間に皺を寄せて唸る。
「でもあいつ、そんなところに逃げていったんですね。もっと近くにも、身を隠せる場所だってあったと思うんですけど」
「ユウカさん、この間お渡しした、レイパーの体の一部の調査はどうなっていますか?」
レーゼが優香に尋ねると、ウィンドウの画面が切り替わる。
それを見た瞬間、優が嫌な顔をして目を背けた。
映っていたのは、グラフや表。翅の破片について、様々な視点から解析を行った結果を示すものだ。
「細かいことは省いて、要点を二つだけ簡潔に言うわ。一つ目、この翅は、打撃には強いけど熱に極端に弱い。レイパーの翅だけかもしれないけど、六十五℃以上の熱を加えると溶けてしまうの」
「熱……」
雅の脳裏に、あるスキルの存在が浮かぶ。
「摩擦熱にも弱いんですカ? 熱に弱いなラ、アーツと翅が擦れた時でも翅を破壊出来るのでハ?」
「志愛さんの言う通り摩擦熱にも弱いけど、一個問題があるわね。表面に薄く鱗粉が塗されていて、これのせいで摩擦熱が発生し辛くなっているのよ。優がこの翅を破壊出来たのは、多分偶然ね」
「こおろぎの翅なのに、鱗粉があるのか……」
鱗粉と言えば蝶だ。顔がキリギリスであることも踏まえ、随分と色々な昆虫の特徴を混ぜたものだと愛理は思う。
「あの矢型エネルギー弾、偶々鱗粉が少ないところに擦れたのかな?」
「正確なことは分からないわ。でも、摩擦熱を利用して翅を破壊するという作戦は、ちょっと現実的じゃ無いかもしれないわね」
「むむム……難しいものですネ……困っタ」
思い悩む志愛に、雅はゆっくりと首を横に振る。
「もしかすると、翅は何とかなるかもしれません。それより、要点の二つ目は?」
「ええ。もう一つは、この鱗粉に特殊な成分が含まれていたってこと。このお陰で、もしかするとあのレイパーを追えるかもしれないわ」
優香の言葉に、それまで黙っていた久世の眉がぴくりと動いた。
「……レイパーの歩いた跡に、この鱗粉が落ちていると、相模原さんはそうお考えで?」
「ええ。今科捜研で、この鱗粉の探知機を開発しているところです。出来たら、皆に渡すわね」
「ありがとうございます。それにしても、あいつら、何でこの鏡を欲しがったんでしょうか……」
鏡の奪還については目処が立ったことで、雅が次なる疑問を口にする。
そもそもの敵の目的が謎なのだ。
以前、優香と久世は、盗まれた二枚の鏡がアーツだと言っていた。それを嫌がるならともかく、積極的に手に取ろうとする気持ちが分からなかったのだ。
「もしかして、レイパーにとって、あの二枚の鏡はとてつもない弱点なのかしら? 私達が使うアーツとは比べ物にならないくらい、効果てきめんなのかも」
「だとすれば、盗むのでは無く、真っ先に破壊しませんか? 盗む理由が無い」
「それもそうね……。あ、そう言えば、そもそもあれは特殊なアーツで、レイパーを殴ったりしても効果が薄いって話だったわね……」
レーゼが先日の久世の言葉を思い出し、悩むように目を閉じる。
そこで、久世が「そう言えば」話に割って入った。
「先日、レイパーが襲撃してきたことで、一つお話し損ねたことがありました。あの二枚の鏡の内、弥彦山にて発見された方は、もしかすると不完全な状態だったのかもしれません」
「……どういうことですか?」
「二枚の鏡は、近づけると互いのコアに変化が生じる、という話をしたことは覚えておりますか? 検査機器が狂い、まともに調べることが出来ませんでしたので、個別にコアの持つエネルギーを測定したのですが、弥彦山で見つかった方の鏡の持つエネルギーが、もう片方の鏡の持つエネルギーの半分以下しかなかったのです」
それを聞いて、雅とレーゼ、愛理は顔を見合わせる。
鏡は、上から落ち葉や土を被せられた状態で置かれていたことを思い出したのだ。
「やっぱりあの鏡、落ちていたんじゃなくて、誰かが意図的に隠していたんじゃないかしら?」
「それを、我々が見つけてしまった、という訳か……。だが、誰が、なんのために?」
「……もしかして、エネルギーの充填中だったんですかね? 彌彦神社は、新潟随一のパワースポットです。ご神体は弥彦山。エネルギーを蓄えるには、うってつけの場所でしょう」
「だけどみーちゃん、一体誰が鏡にエネルギーを溜めようと?」
「もしかして雅ハ、あのレイパーがそうしていると考えているのカ?」
志愛の質問に、雅は頷く。
「理由は不明ですけど、あいつは鏡にエネルギーを溜めるために行動しているんじゃないかって思うんです。きっと、あのチョウチンアンコウみたいな奴も、そうするためにこれを盗んだんじゃないかな?」
雅はずっと、レイパーが鏡を大事に持っていることが引っかかっていた。
鏡にエネルギーを溜め、何かする気だと考えれば、壊さずに持っているのも納得出来る。
「……だとすると、嫌な予感がするな。何をするつもりかは知らないが、レイパーに鏡を持たせたままではいけない。早急に取り返さなくては」
「分かった。鱗粉の探知機の開発を急ぐわ」
優香の言葉に、雅は頭を下げて「よろしくお願いします」と言うのだった。
***
「レーゼさん、私、もしかすると大きな思い違いをしていたのかもしれません」
束音宅にて。雅とレーゼがリビングでお茶を啜っていた時。
不意に、雅がそう言った。
「あの魔王みたいなレイパー、遺跡から天空島で飛び立った後、ドラゴナ島に着陸しました。私てっきり、天空島が移動するためのエネルギーが足りなくて、ドラゴナ島で補充していたのかなって思ってたんです。でも……それだけじゃ無かったのかも」
「天空島だけじゃなくて、鏡にもエネルギーを蓄えていたってことね」
頷く雅。
「その後、皆で戦った後、あの鏡が発光して私とレーゼさんはこっちに転移した。ということは、あのキリギリスの顔をしたレイパーが鏡にエネルギーを溜めようとしているのは、その逆のことを行うため……つまり、私の世界からレーゼさんの世界に転移しようとしているのではないでしょうか?」
「一理あるかもしれないわね……。でもそうなると、疑問があるわ。レイパーが、どうして別の世界に行きたがるのかしら? どちらの世界にだって、女性は一杯いるでしょう?」
レーゼの疑問に、雅も首を捻る。
「こっちの世界の女性を殺すことに飽きたから、異世界の女性を殺しに行こうって考えているんですかね?」
「……ありそうだから困るわ。あいつら、殺す事を楽しんでいる気があるもの」
苦虫を噛み潰したような顔で、レーゼは鼻を鳴らす。
「ま、もしミヤビが考えるように、あいつらが鏡を使ってもう片方の世界に行こうとしているのなら、私達にとっても僥倖でしょうね。両方の世界を自由に行き来出来る方法が見つかったってことだから。……って、どうしたの、ミヤビ?」
話ながら、雅の表情が明るく無いことに、レーゼが心配そうな目を向けた。
聞かれた雅は少し間を置いてから、躊躇いがちに口を開く。
「あの、今から変なことを言うかもしれないんですけど」
「あんたの変な発言なら、何回も聞いているわよ。気にせず続けなさい」
「この間、二枚の鏡を見た時、不思議な感じがしたんです。弥彦山から持ち帰った方の鏡が嫌がっているような、そんな感じが。何か、もう片方の鏡を早くどこかへやってくれって言っているような、そんな感じです」
「鏡が嫌がっている? 何よ、まるで鏡が人間みたいに言うわね」
「レーゼさんの言う通り、鏡が人間なら、あれはきっと、尋常じゃ無いくらい嫌がっていたのかもしれません」
どう反応して良いか分からないレーゼが、曖昧な笑みを返すも、雅の表情は変わらない。
「弥彦山であの鏡を見つけた時、私、どうしてか分からないけど……昔すごく仲が良かった人と久しぶりに再会出来たような、凄く嬉しいような懐かしいような、そんな気がしたんです」
「……ミヤビ?」
いよいよ雅の様子がおかしくなってきて、レーゼが静かに声を掛ける。
結局、雅は「まぁ、きっと気のせいですよね、あはははは」と軽く笑い、その後はいつも通りの彼女に戻るのだった。
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