第67話『弥彦』
新潟県中部から北部にかけて広がる、越後平野。
彌彦神社は、その越後平野の西部にある弥彦山の山麓に鎮座する神社である。弥彦山を神体山として祀り、かの有名な万葉集に歌われたこともある程、歴史のある神社だ。
雅、レーゼ、愛理の三人は、異世界から持ち帰った鏡の片割れが、何故かこの彌彦神社の周辺に落ちているという情報を得て、向かっていた。
そして午後一時四十六分。弥彦駅にて。
「流石に、新潟から弥彦までは遠いな。こんなに電車に乗っていたのは久しぶりだ。マーガロイスさんは、疲れてませんか?」
駅を出た愛理は、大きく伸びをしながら隣にいるレーゼに話しかける。
「平気よ。私の世界じゃ、遠方への移動は馬車が基本だったの。長時間揺られるのには慣れているわ」
「ああ、成程。馬車移動ですか。異世界っぽいな」
「デンシャって言うんだったかしら? 馬車に比べると走行速度は遅いけど、揺れは少なくて快適ね」
「……え、電車の方が遅いのですか? 馬車ですよね? マーガロイスさんの世界の馬は、それ程速いのですか?」
「馬っていうか、ユニコーンだけどね。きちんと訓練されたユニコーンは、結構速いのよ」
「……束音、ちょっと聞きたいことが――束音?」
今の話がにわかに信じられなかった愛理。異世界の存在は信じられたのだが、よもや日本の技術が異世界の馬車に遅れをとっているとは思いもしなかったのだ。
真偽を確かめんと雅に声をかけた愛理だが、ふとそこで、彼女の姿が見えないことに気がつく。
レーゼも雅がいないことに気がつき、二人であちこち探していると……。
「あ、いた」
雅は駅の待合室で、お婆さん方と会話を弾ませていた。随分盛り上がっている様子だ。
「そう言えば束音の奴、電車から降りた後であのご婦人達に声を掛けられていましたね。まだ捕まっていたのか。……いや、束音のことだから、用件が終わっても世間話に花を咲かせるか」
「……ほんと、誰とでも仲良くなるわね、あの子」
「束音は向こうでも、あんな感じでしたか?」
「……ええ。私が知らない内に街の人と随分親しくなって、気がつけば私よりも皆と親密になっていたわ。ミヤビがやって来て、たった一ヶ月の間に、ね。でも、こっちでもミヤビはあんな感じなのね」
「……束音と知り合ったのは、中学生――大体三年位前なんですが、ああいうところは変わりませんね。ところで」
愛理の雅を見つめる目が、段々と困惑に染まる。パッと見は雅はお婆さん方と普通に話しているのだが、よくよく見てみると距離が近過ぎるような気もしないでも無い。
そして――
「束音の奴、ちょっとボディタッチが多過ぎませんかね? 多分あの人達とは初対面ですよね?」
レーゼの耳元で、愛理がこっそりとそう尋ねる。
「シノダさんもそう思う? 傍から見ればセクハラよね、きっと」
レーゼも愛理と同じことを思ったのか、雅を見るレーゼの目は既にジトっとしていた。
「あの子はここに、何をしに来たのか忘れたのかしら、全く……」
「……束音が変なことをする前に、止めに行きましょう」
「そうね」
そう言った後で、レーゼは「シノダさん、ところでなんだけど……」と呟いた。
そして一拍置いてから、続ける。
「凄く言い辛いんだけど……」
「どうしました? 遠慮なさらずに、仰って下さい」
「……あまり耳元で喋るのは遠慮してもらえると。その、変な気持ちになるというか……あなたに悪気は無いのは分かっているのだけど、その……ね?」
本当に申し訳なさそうな彼女の言葉を聞いて、愛理は顔を強張らせる。彼女は思った。「まさかこの人も、か」と。
「そ、そうですか……」
「ごめんなさい。とても素敵な声なのよ。でも、素敵すぎて胸が高鳴るというか……」
愛理の聞き心地の良いアルトボイスは、聞く者を虜にしてしまう。志愛が良い例だが、レーゼも志愛程では無いにしろ、少なからず魅了されてしまったようである。
「気を付けます。たまに言われるんですよね。束音には昔、歯の浮くような台詞を録音させて欲しいとせがまれました。耳元で無限ループさせるんですとか馬鹿なことを言っていたので、勿論断りましたが」
「ミヤビはやっぱり、ミヤビね」
言いながらも、雅の気持ちが分かってしまうレーゼ。周りの目さえ気にならないのであれば、愛理の声は何時までも聞いていたいくらいだ。
そこで、愛理が動画投稿者であることを思い出したレーゼ。雅に聞けば見せてもらえるはずだと愛理は言っていた。
帰ったら絶対に見せてもらおう。そう決めた。
***
駅から少し歩き、大きな赤い鳥居をくぐる一行。表参道から御祓所の方へと抜けると、万葉の道と呼ばれる通りが続く。空を見上げなければ天辺が見えないほど背の高いブナの木が立ち並ぶこの道を真っ直ぐ進んで行くと、ロープウェイがあるのだが、その途中で道が別れ、片方には弥彦山登山口の入り口を示す鳥居が立っている。
鏡が落ちている場所の候補の一ヶ所が、鳥居の先から弥彦山の頂上に続く道の途中――正確には、山道から少し外れた場所――にあるのだ。そこに、三人は向かっていた。山の一合目を少し過ぎた辺りだ。
なだらかな樹林帯を歩いていくと、すぐに曲がりくねった急勾配な道に変わる。愛理、レーゼ、雅の順で歩いていると、一番後ろの雅が、心配そうな声を上げた。
「レーゼさん、暑くないですか?」
「平気よ。今日は割と涼しいし」
そうは言うが、レーゼの首筋には結構な汗が流れている。この数日でちょっとはマシになったが、それでもノースベルグの涼しい気候に慣れた体は、日本の暑さに悲鳴を上げていた。
「無理しないで下さいね? 疲れたら休憩しましょう」
「……大丈夫よ。心配しなくても」
ちょっとムッとするレーゼ。そんな彼女に、愛理が口を開く。
「私達ですら、夏の暑さにやられるくらいです。束音の言う通り、無理は禁物ですよ」
「水分も多めに持って来ましたし、喉が渇いたら遠慮せずに言って下さいね」
雅が肩から掛けている鞄の中には、五百ミリリットルのペットボトルが六本ほど詰まっている。途中で買ったのだ。レーゼを心配して……というのもあるが、自分達の熱中症対策としても、少し多めに所持していた。
「わ、分かったわよ……」
その時だ。
突如、耳を劈くような悲鳴が聞こえる。
「なんだっ?」
「あっちから聞こえたわね」
「行ってみましょう!」
雅が言い終わるより早く、三人は走り出していた。
そして――
「――っ?」
道から少し逸れたところに、比較的広い場所があり、木が生い茂る中、三人は見つける。
地面に倒れた、五人の女性を。
巫女の格好をした人が二人。神社の関係者だ。他の三人は、一般の登山客と思われる。
クナイ型や盾型等、様々な種類のアーツも近くに転がっていた。これまでレイパーと戦闘をしていたのは明らかだ。悲鳴を上げたのも彼女達だろう。
嫌な予感がしつつも、レーゼが一番近くで倒れた巫女の女性の脈を測るも……雅と愛理に向かって、力無く首を振る。
雅と愛理、レーゼで手分けして他の女性の生死を確認するが、無念としか言いようの無い結果だった。
「首に、何かで締め付けられたような跡が残っている。死因は多分窒息だ」
「私が診た方は、胸の辺りが大きく凹んでいました。多分、殴られたことによるものだと思います」
「私の方は、首に噛みつかれたような痕跡があったわ。色んな方法で殺されているわね……」
彼女達を殺したレイパーの正体が見えず、レーゼ達の眉間にも皺が寄る。
「……束音、警察への連絡は?」
「もうしました。弥彦交番の大和撫子がこっちに向かってるはずです」
「悲鳴が聞こえてから、駆けつけるまでそんなに時間は掛からなかった。……まだ近くにいるはずよ。警戒して」
「ああ。――む?」
頷いた愛理の視界の端で、ふと何かが通り過ぎる。
目を向けるが何もいない。
この状況で、それを気のせいだと思う程、愛理は間抜けでは無かった。
「気を付けろ! 何かいるぞ!」
愛理の警告が、辺りによく響く。雅は肩に掛けていた鞄を地面に置くと、素早く辺りに目を配る。
雅と愛理の右手の薬指に嵌った指輪が光り、レーゼが腰に収めたアーツの柄に手を掛けた。
剣銃両用アーツ『百花繚乱』、刀型アーツ『朧月下』、剣型アーツ『希望に描く虹』をそれぞれ構えた雅、愛理、レーゼが辺りを警戒していると、再び物音が聞こえる。
音がした方に目を向ければ、そこには全長百七十センチはあろうかという獣のような生き物の姿が。
レイパーだ。
人型のレイパーで、明るい茶色の毛に全身を覆われ、皺くちゃの赤い顔についた黄色い眼が不気味に光っている。腕は細くて長い。普通に立っているだけで、両手の甲が地面までつきそうだ。
まるでテナガザルだと思った雅と愛理。
その解釈は間違っていない。このレイパーの分類は『テナガザル種』である。
テナガザル種レイパーは、キーっと甲高い声を上げると、アーツを構えた三人へと襲いかかってきた。
評価や感想、ブックマークよろしくお願い致します!




