第66話『在処』
六月二十七日、水曜日。午前十時五十二分。
新潟市西区にある、新潟県警察本部に、雅とレーゼ、そして愛理は訪れていた。
異世界から持ち帰った、折りたたみ式の鏡の片割れを、科学捜査研究所で調べてもらうためだ。雅が肩に掛けている鞄の中に、その鏡が入っていた。
宅配で鏡を科捜研に送ることも出来たが、万が一配送中に魔王種レイパーがまたこの鏡を奪いに来るかもしれないと考えると、どうしても雅は自分の手で科捜研まで持って行きたかったのである。
なお今日は平日の昼間だが、何故愛理がここにいるのかというと、用事があって学校を休んでいたからだ。先日の戦闘の際に腹部に強烈な一撃をもらってしまったのだが、数日経っても痛みが残っており、念のために病院で診てもらうことにしたのである。検査の結果、特に異常は無く、痛み止めも処方してもらった。
病院の帰り、偶然警察本部に向かう雅達を見つけ、話しかけてみれば異世界から持ち帰った物を調べてもらうと言う。興味深い話が聞けそうで、折角だから付いて行くことにしたのである。
科捜研では優の母親が働いている。今回の訪問については彼女に既に話を通しており、受付の後、特に待つことも無く中へと通してもらえた。
応接室をノックし、返事を確認した後、入る三人。
「待っていたわ、雅ちゃん! 篠田ちゃんも久しぶりー!」
「優香さん、今日はありがとうございます。お忙しいところすみませんっ」
「どうも、ご無沙汰しております」
中にいたのは、優の母親、相模原優香。優がサイドテールなのに対し、優香は肩口辺りで髪を切りそろえている。髪型は違うが、目や口元は優にそっくりだ。
優香は二人の後ろに立つレーゼを見ると、微笑を浮かべて近づいていく。
「レーゼさんも、今日はよろしく。異世界人……だったわね? 中々不思議な話よねぇ……」
「信じて頂けて助かりました。こちらこそ、今日はよろしくお願いします」
そう言って、ペコリとお辞儀するレーゼ。実は土曜日、雅はレーゼと一緒に優の両親に挨拶しに行っていた。その際、二人には優達に話したことと同じ話をしたのだ。これから先、警察には色々と頼ることもあると思った雅は、警察関係者の中で信頼のおける二人には本当のことを話しておこうと考えたのである。
流石に呑み込むのには時間がかかったものの、最終的には信じてもらうことが出来た。自分の娘が信じているため、自分達も信じようと思ったとのこと。
「ささっ、座って座って。雅ちゃんはまだ休学中だって聞いていたけど、篠田ちゃんは今日は休み?」
「ええ、少し病院に。その帰りに二人を見かけたので、折角だから一緒に、と思いまして」
「あー、何かこの間のレイパーとの戦い、結構大変だったって優が言っていたけど……あ、そうだ。あの時逃げた奴ら、まだ見つかっていないのよ。ごめんなさいね」
優達に最初に襲いかかった三体のレイパー――烏顔、黒猫顔、キリギリス顔の三体のことだ――についての情報は、愛理が既に警察に提供している。警察もあらゆる手段を使って捜索しているが、未だ手がかりの一つも見つかっていなかった。
「簡単に見つかるなんて思ってませんよ。だから気にしないで下さい」
「そう言ってくれると助かるわ。でも、なるべく早く見つけられるよう、全力を尽くすから」
「ありがとうございます。お願いします」
「そう言えば優香さん。優一さんは外出中ですか? もしかしたら会えるかなぁ……って思っていたんですけど」
雅の言う『優一』というのは、優の父親のことである。警察官で、役職は警部。短い髪に渋い相貌で、目つきが鋭い男性だ。
「うん、何か事件があったみたいで、少し前に現場に行ったみたいね。あの人も雅ちゃんが来たら挨拶くらいするつもりだったみたいだけど」
そんな話をしていると、お茶が運ばれてくる。
そこで、ようやく本題に入るために、雅が鏡をテーブルの上に置いた。
それを見た瞬間、優香の目が細くなる。どうやら一目見ただけで、これが特異な物だと感じ取ったらしい。
「雅ちゃん、これは……」
「異世界から持ち帰れた、数少ない物の一つです。向こうの世界にある、とある遺跡で見つけました。その後、その場に居合わせたレイパーに奪われたんですけど……紆余曲折あって取り返せたんです。そしたら鏡が発光して、その光に巻き込まれて気を失って、気が付いたらこっちの世界に戻って来ていました。優香さんには、これを調べて欲しいんです」
「成程……ちょっと触って見てもいい?」
雅が頷くと、優香は手袋を着けて鏡を持ち上げる。
「正直、私達だけでは何も分からなくて……。こっちの世界に来ることが出来たってことは、きっと元の世界にも戻れるはずだと思うんですけど……」
レーゼの目が、不安に揺れる。レーゼも自分なりに鏡を調べてみたのだが、彼女の前では、この鏡は本当にただの鏡でしかなかったのだ。
「見つけたのは、これだけ? 多分、蓋か何かが付いていたんじゃないかって思うんだけど」
「やっぱり優香さんも、その金具みたいな奴、気になりますか? 向こうにいる学者の人とも話をしたんですけど、私達も同じことを思いました。それで辺りを隈なく探したんですけど、何も無かったんですよね」
「あの時、なんで発光したのかが気になるわね。あのレイパー……この鏡を祭壇みたいな台に乗せていたわ。エネルギーでも蓄えていたのかしら?」
「……こうして見ると、ただの鏡なんだがな」
愛理が、眉間に皺を寄せて首を傾ける。
優香が鏡をテーブルの上に置くと、四人が身を乗り出す。鏡面に映るのは、彼女達が鏡を覗きこむ姿だけだ。
「考えても、分からないわ。取りあえず、ちょっと預からせてもらって、こっちで色々調べて見るね」
「お願いしま――」
雅がそう言いかけた、その時だ。
「っ! ミヤビっ!」
「鏡が――」
鏡に、変化が出た。
慌てて雅と優香が鏡を見て――息を呑む。
鏡面に映るはずの自分達の顔が映らない。それどころか、この部屋さえも映していなかった。
代わりに鏡面には、枝葉が生い茂り、奥には青い空が映っている。
「これは、森の中? どこかしら?」
雅とレーゼ、愛理が呆気にとられている間に映像は切り替わり、続いて映ったのは、何と――
「なぁ、これってもしかして……!」
愛理が指差したそれは、鏡。今ここにある物によく似た形状の鏡が、どこかの森の中に落ちている映像だった。
そして、その映像の手前側に、一瞬だけ焦げ茶色の何かが通り過ぎたところで、映像は途切れる。
そして、再び雅達の、困惑した顔を映すのだった。
「今のは一体……もしかして、マーガロイスさんのいた異世界の映像か何かか?」
「分からないわ。でも、ちょっと雰囲気は違った……。どちらかと言えば、この世界の雰囲気に近いかも」
「レーゼさん、当たりよ」
愛理とレーゼの会話に、優香が割り込む。
気がつけば、優香の周りにはたくさんのウィンドウが出現していた。彼女はそれに手を伸ばし、あちこち操作しながらも続ける。
「今の映像、途中からだけど録画したわ。解析してみたけど……多分、彌彦神社の辺りの映像ね。今、雅ちゃんのULフォンに位置情報を送るわ」
「さ、流石優香さん……もう割り出しましたか」
「場所の候補は三ヶ所。流石にそれ以上は絞り込めなかった……ごめんね」
「充分過ぎますよ。ありがとうございます」
一見すると、どこにでもあるような普通の映像。だが木の種類や土の様子等から、大まかに場所を限定することは出来る。
優香のULフォンには、科捜研関係者専用の解析アプリが入っており、例え変哲の無い風景の写真からでも、それを使えば一瞬で位置を特定することが出来るのだ。
「彌彦神社か……。ここからなら、電車を使えば大体二時間弱といったところだな」
「今のが偽りの映像で無いのなら、ここにこの鏡の片割れがあるってことですよね。何で異世界で見つけた鏡の片方がこの世界にあるか分からないけど……レーゼさん」
雅がレーゼに声を掛けると、彼女は力強く頷いた。
「行ってみましょう。案内をお願い!」
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