第65話『不調』
午後一時。希羅々と模擬戦の約束の時間。
やすらぎ堤にて。
「悪いわね。何だか妙なことに付き合わせちゃって」
希羅々のお陰で、無事に雅達と合流することが出来たレーゼ。二人に事情を説明し、ショッピングモールで買い物を済ませた後、またここに来たのだ。
「いや、まぁいいんですけど……」
言い淀む優。視線は希羅々へと向いている。
「何で希羅々ちゃんはこんなところに?」
「……ごめんなさい。本人に口止めされてるの」
福祉ボランティアをしていることは、優には絶対に言わないでくれと希羅々から真剣な顔で頼まれたレーゼ。別に恥ずかしがる必要も無いのだが……助けてもらった手前、断ることが出来なかった。
希羅々からしてみれば、優にバレたら絶対からかわれると思っての発言である。
「えぇー、希羅々ちゃんの癖に隠し事ぉ? 何々、何かやましいことでもしてたの?」
「やかましいですわよ庶民。ウォーミングアップとして、マーガロイスさんの前にあなたを叩きのめしてもよろしくてよ」
「まぁまぁ二人とも、落ち着いて」
喧嘩を始める優と希羅々だが、苦笑いした雅が止めに入ったことで、希羅々がスッ……と雅から距離をとる。
「ちょっと希羅々ちゃぁあん? 何でみーちゃんから逃げるのかなぁ?」
「いやだってその方ちょっと怖いと言いますか……」
「がーん」
希羅々が険しい顔でボソリと呟いた言葉に、雅が卒倒しかねない程のショックを受ける。
「いやあんた……連絡先迫られたくらいで何ビビってんのよ……」
実は今から数分位前。希羅々と合流した時のこと。雅はレーゼの居場所を知らせてくれたお礼を伝えた後、せっかくだしこれを機に自分達の連絡先も交換しないか、という話になったのだが……その際の雅が希羅々にグイグイといき過ぎたせいで、引かれてしまったのだ。
最も、希羅々を押し倒さんと言わんばかりの勢いで迫った雅が悪いのだが。
雅の笑顔と鼻息の荒さからくる圧に負け、結果として連絡先の交換が成立したものの……ちょっと雅に苦手意識を持ってしまった希羅々。
雅も悪気があっての行動では無いというのは希羅々も分かっており、それ故に優の言葉には反論し辛く、誤魔化すように視線を明後日の方向に向ける。
するとそこに、白ブラウスに黒いワイドデニム姿の、エアリーボブの女の子がやってくるのが見えた。
「あら、やっと来ましたわね」
「ごめーん! 遅くなっちゃった!」
希羅々の友人、橘真衣華である。
「あ、真衣華ちゃん! 先日ぶりですね! いぇーい!」
「うん、先日ぶりー。いぇーい!」
まるでパリピのようなノリで、雅と真衣華は両手でハイタッチを交わす。
その脇で、優は希羅々に困惑したような目を向けた。真衣華が呼ばれた理由が分からなかったからだ。
「真衣華ちゃん呼んだんだ?」
「ええ、審判役として」
「あ、あんたねぇ……」
希羅々の思いつきの提案に付き合わされた真衣華に、優は少しだけ同情する。
そんな彼女だが、休日突然呼び出されたことなど特に気にしてもいない様子で、雅とレーゼと会話を弾ませていた。
「いやー、それにしてもごめんねー二人とも。うちの希羅々が何か面倒なことに誘ったみたいで」
「ちょっと真衣華? 面倒事とは何ですか!」
「いや事実じゃん」
「ま、まぁまぁタチバナさん。私は特に気にして無いから……。それより、私達の方こそごめんなさい。突然巻き込んでしまって」
「いやいやいいのいいの、どうせこの後、希羅々と一緒に遊ぶ予定だったしね。まぁ希羅々って、唐突に変なこと要求してくるからさー、困ったことがあったら何時でも相談して――ぐえっ?」
「あなた……ちょっとお仕置きが必要みたいですわね……」
希羅々に後ろから羽交い絞めにされ、そのまま締め付けられる真衣華。ジタバタもがくが、希羅々の腕から脱出することは叶わない。
ギリギリと、真衣華を拘束する力を強める希羅々。
「ギ、ギブ……っ! ギブギブギブっ!」
「全く……」
呆れたように溜息を吐き、希羅々は真衣華を解放した。
「さて、審判役も来たことですし、早速始めましてよ」
言いながら、希羅々が空中で指をスライドさせると、ウィンドウが出現する。
手早くあれこれ操作すると、突然、丁度、十メートル四方の正方形となるように地面に石灰で引かれたようなラインが出現した。希羅々の『ULフォン』にインストールされているアプリケーションによって創り出された立体映像である。
「フィールドはこの白いラインの内側。相手の喉か心臓でアーツを寸止めさせた方の勝ち、スキルは使用不可……ということでどうです?」
「構わないわ」
そう頷くと、レーゼは腰に収めた剣型アーツ『希望に描く虹』を抜く。
希羅々の右手の薬指に嵌った指輪が発光し、手にレイピア型アーツ『シュヴァリカ・フルーレ』が握られる。
二人は軽く素振りをしてから、互いに三メートル程離れてフィールドの真ん中辺りに立つ。
真衣華が空中で指をスライドさせ、出現したウィンドウを操作すると、レーゼと希羅々の間にタイマーが現れた。カウントは十秒。
「このタイマーがゼロになったら、開始ねー」
少しずつ減っていく数字を見ながら、レーゼは顎を伝う汗を手の甲で拭う。
まさか先日知り合った相手と、模擬戦をすることになるとは夢にも思わなかったが、ノースベルグにいた時も模擬戦というのは何度かやっている。ルールも、スキルを禁止していないことだけは異なるが、後は似たようなものである。
向こうにいた時の相手は、雅やセリスティア、あと偶に他のバスターの人。共通しているのは、実戦経験のある実力者ということ。
今回、目の前に立つ相手の実力は、レーゼにとっては未知数だ。実戦経験はあるらしいが、どれ程の戦えるのかはよく知らない。ナーガ種レイパーに苦戦していたところは見たが、どうもその前に別のレイパーと戦っていたと言っていたから、あれが全力では無いのだろうと推測する。
希羅々にとって、この模擬戦の目的は腕試し。ではレーゼが何故模擬戦の申し出を受けたのかというと――無論、優に連絡をとってくれた礼もあるが――この世界の人が、どれ程強いのか、その指標の一つとして、彼女の実力を知りたかったからだ。
アーツを持つ手に、力が入る。
交わる、レーゼと希羅々の視線。
カウントがゼロになった瞬間、二人は同時に、勢いよく地面を蹴った。
***
模擬戦が始まって、一分。
簡潔に二人の戦いを要約すると、攻める希羅々に、守るレーゼといったところか。
果敢に踏み込み、レイピアで鋭い突きを繰り出す希羅々。しかしレーゼは希羅々の動きを冷静に見極め、レイピアの側面に刃を叩きつけて軌道を逸らす。
希羅々はレーゼの周りを激しく動き回り、あらゆる方向から攻撃を仕掛けているのに対し、レーゼはその場から殆ど動かず、攻撃を捌いている。
中々決定打にならず、希羅々は歯噛みしながらも、それでも攻め手を緩めない。
一方、レーゼの顔にも焦りが見えていた。
激しく動き回る希羅々だが、その動きには多少の無駄が見受けられる。それ故に落ち着いてさえいれば攻撃を防いだりすることは出来るのだが……逆にレーゼの方から攻撃を仕掛けるタイミングが中々無いのだ。
普段、レイパーとの戦いでもこういう状況下に置かれることはあるが、そういう時は『衣服強化』のスキルを使って強引に突破していた。しかし今はスキルは禁止。
防戦一方という程追い込まれてもいないが、このままでは押し切られる可能性は否定出来なかった。
そして、二人が戦っているフィールドの外側では。
雅と優が二人の戦いを観戦していた。最初は二人して応援をしていたのだが……途中から、雅の様子が変わる。それまで大きな声で応援していたのだが、急に静かになったのだ。
「どうしたの、みーちゃん?」
「いえ……何だかレーゼさんの動きがちょっと……」
「『ちょっと』? 何か変?」
「ああそっか、さがみんはレーゼさんの戦いを見るのは初めてでしたね。そうなんです、変なんです」
普段の彼女なら、恐らくスキルを封じられていても、希羅々に攻撃の合間を縫って攻勢に出れるはずだと思っていた雅。希羅々があそこまで攻め腰なら、レーゼの反撃には対処出来ないだろう。今頃は勝負が決しているはずで、それが思いの他長引いているのが意外だった。
雅は首を傾げ、じーっとレーゼの動きを観察すると、いつもよりも動きがスタティックであることに気が付いた。
スキルが使えないからそうなっているのだろうか……とも思ったのだが、どうもそれだけでは無いと、雅の直感が告げる。
しかし考えても答えは出ない。
そうしている間にも、二人の戦いは続く。気がつけば、二人の戦いの音を聞きつけ、観戦者が増えている。
希羅々の動きは、さらにキレと激しさを増していた。
大きな金属音が響く。横に振り払うように繰り出した希羅々の攻撃を、レーゼがアーツで受け止めたのだ。
次々に繰り出される斬撃。それら全てをアーツで防ぎ、その度に身を竦ませるような音が響く。
「――っ! ちょっと、寸止め出来るのっ?」
「出来ませんわ! でも、どうせ全部防いでしまうのでしょう?」
激しい攻撃に対処しながら、諌めるようにレーゼが聞くが、これが希羅々の返答だった。その言葉に嘘偽りは無い。希羅々は寸止め出来る力の限界を超えて、レーゼを攻め続けていたのだ。
ここまでの戦闘で、希羅々は正しく、レーゼの実力を把握していた。この程度なら、彼女は容易くいなすだろう、そう信じての行動だ。そうでもしなければ、勝てない。
そして、何度目かの斬撃をレーゼが防ぐが、攻撃の衝撃で手に痺れが走り、顔を顰める。
その瞬間を、希羅々は逃さない。レーゼの首元目掛け、鋭い突きを繰り出した。
決めにいった一撃。当然、希羅々は寸止めするつもりだった……のだが。
手が痺れようとも、希羅々の動きからは注意を逸らさなかったレーゼ。その体が沈むように動き、希羅々の懐に潜りこみ、希羅々のアーツが空を貫く。
その手に握られた希望に描く虹で、お返しと言わんばかりに突きを放つ。切っ先が、希羅々の胸元に寸止めされた。
「そこまで! レーゼさんの勝ちー!」
希羅々の頬に冷や汗が流れるのと、真衣華がそう宣言するのは同時。
周りで見ていた人たちが、拍手を送りながら賞賛の声を上げていた。
そんな中、希羅々は目を瞑り、その場に崩れるようにへたり込む。
レーゼも、深く息を吐いた。肩は大きく上下し、額や首に流れる汗を手で拭うが、それでも次々に湧き出てくる。
「ま、全く……」
やがて汗の始末を諦めたレーゼは、希羅々に向かって手を差し伸べた。
「模擬戦なんて何回もやったけど……ここまで本気で攻撃してきたのは、多分キキョウインさんが初めてよ」
「……光栄ですわ」
「いや、褒めてない。死ぬかと思ったわよ」
差し出された手には頼らず、自力で立ち上がる希羅々。
そんな彼女の背中を、優が思いっきり叩く。
「見ているこっちが冷や冷やしたわよ……この馬鹿!」
「相手の実力を見極めて、ちゃんと防げる程度には手加減しましたわよ、この庶民!」
「うわー、元気あるなー……。レーゼさん、大丈夫だった? どこか怪我して無い?」
喧嘩を始める希羅々と優に呆れた視線を投げかけてから、真衣華がレーゼに話しかけた。流石に心配そうな顔をしており、それ程までに希羅々の攻撃が激しかったことが伺える。
「ええ、何とか。怪我はしてないけど、汗が酷いわね」
「まぁ、今日はちょっと暑いからねー。でも、レーゼさん汗すっご! 水分補給した方がいいよ?」
レーゼは無言で頷く。
そこに、雅がやってきた。彼女もまた、心配そうな顔をしており……それがレーゼに、嫌な予感をもたらしていた。
「レーゼさん、もしかして……調子悪いですか?」
「……いえ、別に」
嘘だ。そう直感する雅。普段の彼女と比べ、動きのキレが悪い。表に出さないようにしているが、明らかに無理をしている。
「……あっ」
思わず、声を上げる雅。滝のように流れる汗を見て、レーゼがこんなになった理由に気が付いたからだ。
ノースベルグは、一年を通して全体的に気温が低めの地域だ。雅が向こうに転移した頃が一年の中で最も暖かい時期だったのだが、それでも少し肌寒いくらいの気温。十五℃を超えれば「今日は暑いわね」という会話が出る。二十℃を超える日など、数年に一度、あるかないかといったところだ。
今日の気温は二十四℃。レーゼには経験の無い暑さだろう。体がついていかないのも無理は無い。夕方になれば気温も下がるため、先日のレイパーとの戦闘では特に支障も出ておらず、雅も今になるまで気がつかなかった。
「レーゼさん、無理しないで下さいね」
「……大丈夫よ。その内慣れるわ」
言いながら、レーゼは雅から目を背ける。雅が自分の不調の原因に気が付いてしまったことを察したのだ。
目を背けたから、雅の顔が不安の色にかなり染まっていることに気がつかない。
レーゼは知らないのだ。日本が、これからもっと暑くなることを……。
***
模擬戦が終わり、希羅々と真衣華は雅達と別れ……その後、目的もなくブラブラしながら。
「真衣華、先程の模擬戦……撮影は出来たかしら?」
希羅々が、静かにそう尋ねる。
「うん。ばっちり。後で希羅々にも送るね」
「ありがとう。ところで、あなたから見て、私の戦いはどうでした?」
審判役をお願いするだけなら、別にこの間雅の家で話をした時のように、立体映像による通話で事足りる。屋外で立体映像を呼び出すための小型端末なら、希羅々は常に持ち歩いているからだ。
それでもわざわざ真衣華を呼び出したのは、直に自分の戦いを見て、レーゼと自分の差がどれだけのものなのか、評価して欲しかったからである。
「…………」
ちらりと希羅々を見てから、少し考え込む真衣華だが、やがて、ゆっくりと口を開く。
「希羅々の戦術は悪くなかったと思う。でも通用はしなかった。攻撃に頭が回り過ぎていて、踏み込み過ぎていた気はする。レーゼさんの方が落ち着きがあって、きっと視野が希羅々より広かった。だから動きも読まれるし、最後に反撃もされた」
冷静に、そう評価する。
それを聞いて、希羅々は長く息を吐く。気を悪くしたわけでは無い。しかし客観的に下された評価をすんなり呑み込むには、少しばかり自分のプライドが邪魔だった。
「……マーガロイスさんのことは、どう見まして?」
故に自分のことから話を逸らしてしまう。そんな自分が、ちょっとだけ情け無いと思う希羅々。
とは言え、こっちも気になることではあった。レーゼの調子が悪いことには気がつかなかったが、戦ってみて、前に見た時の彼女の戦い方と、今日の戦い方が少し違うように思えたのだ。
同じくレーゼの戦いを見ていた真衣華は、どう見ていたのか知りたかった。
「詳しいことは、この間のレイパーとの戦闘映像と見比べてみないと何とも言えないけど、あの時とはちょっと様子が違ったと思う」
先日のトード種レイパーとの戦闘の際。真衣華は実は、その時の戦いを全て映像として記録していた。これもULフォンによるものだ。
トード種レイパーに限らず、真衣華はレイパーと戦う時は、必ず何かしらの方法で、可能な限り記録をとるようにしている。万が一逃がしてしまった時、他の人と情報を共有出来るようにするためだ。
トード種レイパーとの戦闘の映像を、何度か見返していた真衣華。それ故に、希羅々と同じ違和感を、彼女も抱いたのだ。
「でも、手加減していたわけじゃない感じはした。本気で希羅々に勝つ気でいたように見えたし」
「……やはり、そうでしたか。でも、私は負けた」
ぐっと、拳を握り締める。相手がどのような調子であれ、自分の力は及ばなかったのだ。それは素直に受け止めなければならない。
強くなるためにはどうすればよいか……希羅々があれこれと頭を悩ませ、自然と眉間に皺が寄る。
「きーららっ! ほら、難しい顔しない!」
唐突に、ぐいっと、希羅々の頬を摘み持ち上げる真衣華。
無理矢理に笑顔の形を作らされ、文句を言おうと口を開いたものの……何と言えば良いかが思い付かない。
意外にも、心が少しばかり軽くなる。
「希羅々が強くなりたいなら、私も手伝うしさ! 特訓だって、たくさん付き合うから……」
そう言う真衣華の手を掴んで、顔から引き剥がす。
「真衣華……」
気がつけば、希羅々の口元が僅かに上がっている。
「……言いましたわね? なら、存分に付き合ってもらいますわよ!」
「はいはい、しょうがないなー希羅々は。でもそれより先に、今日は私と遊ぶ約束じゃん? どこ行く? 何する?」
「そうですわね……。海にでも行きますか? こうも汗を掻いてしまっては、お店に入るのも憚られますしね」
「いいねー、海。そんじゃ、急ごう!」
真衣華が走り出し、少し遅れて、希羅々も走り出すのだった。
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言うまでもありませんが、この物語はフィクションです。現実のやすらぎ堤では刃物を振り回さないようお願い申し上げます。




