第502話『追憶』
これは、五年前の話。
冬が終わり、ナリアの中では比較的暖かい季節になって、しばらく経った頃。
夕方、ウェストナリア学院、一学年の教室にて。
「あの、ちょっと! ラヴィさん、今日締め切りの課題、まだ出ていないんだけどっ?」
教室でそう声を荒げるのは、当時、一学年のクラス委員を務めていたノルン。威圧的に机を叩き、目の前で小動物のように震える学生に詰め寄る。
クラス委員の仕事は色々あるが、その内の一つが『課題の回収』だ。
ただ、当たり前だが全員が全員、期日通りに出してくれるわけではない。今ノルンが声を掛けたラヴィのように、出してくれない学生もいる。
最も、結局のところ課題をやるやらないというのは本人のやる気次第なのだが、全員分揃っていないと、担任の先生からお小言を頂戴するのはノルンだ。「クラス委員なんだから、そういうところはしっかり手綱を引かなきゃダメでしょ?」なんて言われてしまう。
ノルンも、概ね先生と同じ考えを持っているため、課題を出さないクラスメイトに対しては、どうしても少しアタリがキツくなってしまう。
周りにいた学生が、何事かとノルン達を注視する。
ノルンもラヴィも、それには気付くのだが、
「私、何日か前からアナウンスしていましたよね? 何でやっていないんですか?」
「あの、いや……私、実は――」
「怒られるの、私なんですけど!」
ラヴィも大人しい学生だから、ノルンの言葉にビクビク震えてまともに答えられない。それが尚更、ノルンを苛立たせる。
ノルンもまだ十歳。怒りに火が点いたら、それを上手くコントロール出来ないのは仕方がないだろう。周りが見ていることは承知の上で、かと言って怒りは抑えられないので、自分でも「ヤバいかも」と悟ってはいても、止められなかった。
だが、誰もノルンを制止しようとはしない。
真面目なクラス委員長……誰もがそういうイメージがあるから、声を掛けづらいのだ。言っていること自体はノルンが正しいということもあって、ラヴィに同情的な視線を向ける者はいても、助けようとする者はいない。
次第に気まずくなって、皆逃げるように教室を出て行ってしまう。残るはノルンとラヴィの二人だけ。だがノルンの説教は止まらない。いや、止められない。
そろそろ、本格的にラヴィが泣き出しそうになった、そんな時だった。
「あのさ、ちょっとうるさいんだけど」
横から、気だるげながらも、どこかノルンを咎めるような声が飛んでくる。
誰だ、と思ってノルンがそっちを睨むと、そこにいたのは――
(この子、確か人間とサキュバスのハーフの……)
ファムだった。
クラスで、ちょっと浮いた存在。授業も真面目に受けていない感じ。
魅了の力、なんていう、人を操る力を持っているという話も聞いている。油断すれば、あっという間に精神を奪われるという怖さもあって、ノルン的には苦手な生徒の一人だ。
普段は会話もしない彼女。特段、誰かと仲良くする様子がない彼女。そんな子が、誰も注意出来ないノルンに、ズバっと切り込んできた。
内心、ちょっとビビっていたノルンだが、それを表に出すまいと、警戒心を目に宿してファムを睨む。しかし、ファムは肩を竦めると、何てこと無さそうにラヴィの肩に手を置いて、顎で教室の出入口の方を指す。
すると、ラヴィはビクビクしながらも、急いで荷物を持って、お礼を言うのも忘れて脱兎の如く逃げ出した。
怖いクラス委員長と、得体のしれない孤立したクラスメイト。その二人に囲まれているのは、気の弱い彼女には耐えられなかったのだろう。
「あ、待ちなさい!」
「ストップ」
不意にファムの背中から出現する、白い翼。アーツ『シェル・リヴァーティス』がノルンの行く手を阻んだ。
「ちょっと、何で邪魔するのっ?」
「落ち着いて、委員長。……今回だけ、見逃してやってくんない? ……あの子さ、ペットの猫飼ってたの。だけど先週、死んじゃってさ」
「……え?」
頭に、冷や水を掛けられた気がした。
言われてみれば確かに、ラヴィはここ最近、元気が無かったことを思い出したのだ。そういえば、先週末、ラヴィが酷く泣きじゃくり、友達に慰められていたところも見た。
「精神的に結構参っているっぽいし、あんま責めないであげて」
「…………」
「それだけ、じゃあ」と言って、ファムはノルンに背中を向ける。
唇を噛むノルン。
(私、自分のことばっかで、全然あの子のこと考えて無かった……)
クラスを纏める立場で、これは如何なものか。孤立しているように見えたファムの方が、余程クラスメイトのことを慮っているではないか。
そう思ったノルンは、故に――
「あの……その、ごめんなさい。……後、ありがとう」
そう言って、ペコリとお辞儀する。
ファムは、こそばゆいような顔をして、ノルンの方を振り返り、手をフルフルと振るう。
「あー、別に……。委員長、頑張って」
「……明日、ラヴィさんに謝るよ」
「んー、そっか」
まぁ大丈夫っしょ、なんて言って、今度こそ帰ろうとしたファム。
だがその時、ノルンは「あ、そうだ」と声を上げると、
「そう言えば、パトリオーラさんもまだ課題、出していなかったよね? この後、催促しに行こうって思っていたんだけど、もしかして、あの子みたいに何か事情があったり?」
「ううん。普通に、やるのが面倒だっただけ」
「…………」
「…………」
「……パトリオーラさん?」
「……ごめんなさい。すぐやるから許して」
そう言って、今度はファムが頭を下げるのを見て、ノルンが溜息を吐く。
「もう……自分も課題、提出していないくせに、なんで止めに入ったの? 周りの子と一緒に、逃げれば良かったのに」
ガランとした教室を見渡し、ノルンは苦い顔になる。自分が引き起こしておいて難だが、どいつもこいつも逃げ出すというのは如何なものかと感じざるを得なかった。
ファムも「皆、薄情者だよね」と眉を顰めるが、しかし首を横に振る。
「あれは、『止めなきゃ駄目だよな』って思ったの。頭がカッカすると、自分じゃどうにもならないじゃん。あのまま暴走していたら、きっと委員長、後で嫌なことされるだろうし。――いい? 私は、サボっていいことはサボるけど、やらなきゃいけないことだけは、きちんとやるタイプだから」
「ふぅん? その『やらなきゃいけないこと』に、今回の課題は含まれていないの?」
「いやさ、ほら。課題なんて全部出さなくても、必要最小限出しておけば進級出来るからオールオッケーっていうか――あぁ、いや、ごめんなさい。ちゃんとやります」
ノルンの眼がギラっと光ったのを見て、ファムは慌てて机に座り、ノートを広げるのだった。
「うへー、面倒過ぎる……」と泣き言を言うファムを、ノルンはただ近くで、ジーっと見る。
(……なんか、噂とは随分違うなぁ)
もうちょっと自分勝手で、怖い人だと思っていた。
今だって、サキュバスの『魅了の力』があるのなら、それを使えば、ここで自分に監視されながら課題をやらなくても済んだだろう。でも、それをしない。
ファム・パトリオーラは、周りが言う程、悪い人ではないようだと、ノルンは思う。
それに、
(久しぶりかも。あんな風に、私のこと注意してくれた人)
基本的に真面目で優秀なノルンは、自分のことで両親を始めとする大人達から叱られた経験は、殆どない。
だからだろうか。気づかない内に、『自分の正当性』を雑に振り回すようになっていたようだ。
それを咎めてくれたのが、まさか、普段大して話すこともないファムだとは……人生とは、分からないものである。
――これが、ノルンが初めて、ファムとまともに会話した時の記憶。
ただの日常の一ページ。ノルンも、ファムに対する認識を改める切っ掛けにはなったが、それから色々忙しく、その後、しばらく二人が会話することは無かった。
しかし、この日を境に、ノルンはファムに対する謂れのない話を聞いたら、それを否定するようになった。
孤独に耐え兼ね、心を腐らせたファムが、ノルンによって救われる日が来るのは、この後のこと――
***
――そして時は、今に戻る。
午後五時十七分。辺りが暗くなってきた頃。
(ねぇファム。初めてちゃんと話した時のこと、ファムは覚えていないかもしれないけど……)
エルフの里にある、牢屋。
ノルン達は、そこに入れられた。
(私、ずっと覚えているし、これからも絶対に忘れないから。私、ちゃんと知っているからね……)
そこに入れられたノルンは、鉄格子……では無く、木で作られ、魔法で強度を大きく引き上げられた格子を、力いっぱいに握り締め、唇を噛む。
(ぐーたらでサボり魔だけど、ファムが、悪い子じゃないってこと……私、誰よりもよく知っているから)
どんな事情があったのかは知らない。でも、ただの私利私欲で、コートマル鉱石を盗むなんてありえない。
まして、魅了の力を悪用し、カリッサを操ったなんてあるはずがない。
だから――
(絶対、潔白を証明してみせるからね、ファム!)
ノルンは、そう決意するのだった。
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