第491話『猟豹』
「ゆ、柚希ちゃんっ?」
二人の前に姿を現した柚希を見て、雅は思わずその場に固まる。
やっと見つけたという安堵感は、あまりない。それ程まで、柚希の様子はどこかおかしかったのだから。雅とレーゼの知っている柚希は、小学六年生らしい活発さをもった女の子だが、今の彼女からはそれが感じられない。レーゼがアーツを仕舞わないのが、事の重さを雄弁に示していた。
……レーゼはバスターだ。姉がここで倒れていることと、無関係だと思ってやれるような職業ではない。
だがそんなレーゼも、柚希を前にして凍りつていた。虚ろな眼で、ユラユラと歩み寄ってくる彼女に、何と声を掛けたら良いか分からなかったから。
「……ユズキちゃん、こっちに来なさい」
何とか振り絞った声は、レーゼにしては珍しく、緊張で震えていた。
西洋剣型アーツ『希望に描く虹』を片手で構えたまま、レーゼは柚希に手招きする。その目は警戒心が多分に含まれており、子供相手に向けるには、あまりにも威圧感があり過ぎだ。
しかし、柚希はそれに怯むことなく、ゆっくりと歩いてくる。レーゼの、アーツを握る手に力が籠った。柚希はレーゼに怯えて言うことを聞いているような様子ではない。
(やっぱり変よ。ボーっとしているって感じじゃないわ。レイパーに操られているのか、それとも別の何か……)
瑞樹を建物の影に隠した雅が駆け付けてくるのを横目で見ながら、レーゼが柚希の異変に思考を巡らせた、その時。
突如、柚希の体がぐにゃりと歪む。
目を見開き、唖然とする二人の前で、柚希は姿を変えていく。
身長が伸び、異形の怪物へと変化していき……今まで柚希がいたはずの場所に立っていたのは、頭部が歪に凹んだ、人型の化け物。
全身斑模様の、黄色を基調としたボディ。しなやかそうな足。生えている尻尾は途中で欠損しているが、体の模様や足の形状から、人型のチーターのようにも見える。しかし手には、熊のような短いながらも鋭い爪が生えていた。
これは――
「じ、人工レイパーっ? 柚希ちゃんがっ? なんでっ?」
「ミヤビ! 来るわよ!」
分類は『人工種チーター科』か。
人工レイパーへと変身した柚希が、およそ小学生とは思えぬ咆哮を上げ、勢いよくレーゼへと突撃しにいく。……レーゼは確信した。瑞樹は、彼女にやられたのだと。
レーゼは突っ込んできた人工レイパーを剣で受け止める。結構な衝撃で腕が痺れそうになるも、上手く腕を振るって川の方へと受け流した。
瞬間、レーゼの背後に虹のサークルが出現し、体が空色に輝き出し――
「えっ? レ、レーゼさんっ?」
空色の鎧や小手を纏った姿へと変身したレーゼを見て、雅が驚愕の声を上げる。
【ちょ、レーゼさん、何やってんのっ?】
(わ、分かりません! 一刻も早く柚希ちゃんを助けたいってことなのか……いやでも、流石にまだそのタイミングじゃ……)
一日一回、三十分しか保てないレーゼの変身。文字通り切り札。それをこのタイミングで切ったことが、雅とカレンには信じられなかった。
確かに柚希が人工レイパーに変身したのは驚いたが、それにしたって変身の判断が早すぎる。レーゼは今、敵のタックルを受け流しただけ。敵の力は未知数で、隠れている伏兵がいるかもしれない。そこら辺を見極めてから、切り札を切る方がいいはずだ。
それに、この人工レイパーの変身者はまだ小学生。大人ではないのだ。変身でパワーアップした力で攻撃して、柚希の体に後遺症が残る可能性を否定しきれない。『子供が人工レイパーになる』というのは、それを考慮せねばならぬ程に異常な現象である。
しかし、
「ミヤビ! 早く音符の力を!」
「ええっ?」
レーゼはレイパーの蹴りや引っ掻き攻撃を鎧でガードしながら、雅にそう叫ぶ。その声はまるで、判断が遅い部下を叱りつけるような、そんな色を含んでいた。
それでも雅は躊躇する。
過剰な一撃で柚希を傷つけてしまわないかという心配もある。さらに今は午後一時四十七分。この後に別のレイパーと交戦する可能性を否定できず、切り札をきってもいいか微妙な時間だ。
迷う雅。
だが、それが命とり。
レーゼと戦っていた人工種チーター科レイパーの腕が、突如――
「っ!」
まるで伸縮自在な鞭のように伸びて、雅の胸元をぶち抜いた。
雅が立っていたのは、道路の方。レーゼと人工レイパーが戦っているところからは、十メートルは離れているところだ。そんなところまで、腕が伸びてきた。
あまりにも突然かつ想定外。
(そ、ん……っ、こ、こんな……っ)
その姿からは想像もつかない攻撃。雅は心臓から血を吐き出し、薄れる意識の中で困惑する。
そして――
【ミヤビ! しっかり!】
「――はっ!」
雅の『共感』で、死に至る怪我を治せる『超再生』が自動発動。傷口が塞がっていき、カレンの声で雅は意識を取り戻す。
(ゆ、柚希ちゃん……容赦がない!)
即死に至る攻撃を躊躇なくしてきたという事実。恐らく柚希には自我が無いのだろうが、それでも相当にショックだ。
だが、その瞬間。
「きゃぁぁぁぁぁあっ!」
「レ、レーゼさんっ?」
雅が倒れていた道路のアスファルト……そこまで、レーゼが吹っ飛ばされてきて、ガチャンという大きな音を立てて背中を打ち付ける。
呻きながらも立ち上がるレーゼ。まだ戦えるようだが、それでも相当に苦戦させられているらしい。
変身したレーゼを、そこまで追い込んだという事実……それが、雅を大いに驚愕させる。
何かおかしい。
雅とカレンは、同時にそう思った。
人工レイパーとは言え、相手は子供。柚希の身体能力は、同年代と比べて極めて一般的な範疇だ。戦闘経験豊富なレーゼ、しかも変身している状態の彼女が、ここまで追い詰められるだろうか。
こちらに歩み寄ってくる人工レイパー。雅とレーゼは、思わず後退る。
その時だ。
「…………っ?」
遠くからパトカーのサイレンの音が近づいてきて、雅達の視線がそちらに向く。
だが二人の眼に飛び込んできたのは、パトカーの特徴的な白黒の車両ではなく、
【あ、あれは……?】
薄緑色のバイクに乗った、一人の女性。
そのヘルメットからは、赤髪がはみ出ていた――。
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