第488話『勝祝』
午後一時十七分。
朱鷺メッセにて。
ここは、新潟市中央区万代島、すぐ側を信濃川が流れる場所にある、巨大なコンベンション施設だ。本格的な展示場、様々な会議室があり、新潟、さらには甲信越地方で最も高い、万代島ビルが複合されている。
主に展示会や会議等が行われるこの場所の、一番大きな展示ホールにて、ラージ級ランド種レイパー討伐作戦成功の祝勝会が行われていた。
開会の挨拶、お偉いさんからの祝電、討伐作戦の最高責任者による乾杯の音頭等がつつがなく終わり、今は食事会。
バイキングよろしく巨大な長テーブルに大量の料理が並べられ、円形のテーブルが会場の両脇に備えられているが、形式としてはほぼ立食パーティといったところ。
約七千人近い人数がおり、誰もがわいわいガヤガヤと話をしながら食事を楽しんでいる中、
「はい冬歌、あーん」
「どもども夏音。あー……」
やや人目をはばかるかのように、壁際のところでそんなやりとりをする二人の女性がいた。
髪を一つ結びにし、フォークに刺した柔らかな肉を持っている長瀬夏音。そして、照れたように頬を染めながらも小さく口を開ける黒髪シニヨンの女性、天堂冬歌だ。岩室駐在所に勤める警察所属の大和撫子で、先日の討伐戦では雅と一緒に戦ってくれた人達である。
何を恋人みたいなことをしているのかと言いたいところだが、行為が示すまんま、二人は恋人同士。
「むぐ……この肉、ソース美味しい……。てか、マジで人多いね」
冬歌がそう感想を漏らしながら、辺りを見回す。
「これでも全員じゃないんでしょ?」
「うん。会場は他にもいっぱいあって、新潟市だけでも四つくらい会場があったと思う。でもせっかくだし大きな会場でーなんて思っていたけど、私、朱鷺メッセの展示ホールで、こんな食事会とかしたの初めて見たかも」
「過去に、何度かそういう使われ方をしたことはあったみたいだね。こんなに人が入った食事会を見たのは初めてだけどさ。いやー、それにしても、夏音と無事に生きて帰って来られて良かった。今思い出しても、なんで私達生き残れたか分かんないっていうか……」
「分かる。正直、相当無謀だったよね? レイパーの群れに囲まれた時は、もうここまでって思ったけど……。あの時、冬歌が側にいなかったら、多分失神してたかも」
「私も、夏音のこと守らないとって気持ちが無かったら、きっと諦めていたかな。ま、お互い側にいられたのが、一番の幸運だったということで。……はい、夏音もあーん」
「あ、ごめん。ちょっと恥ずかしいからパスで」
「ええっ、なんでっ?」
夏音はやったじゃん! と文句を言おうとした冬歌だが、夏音にちょいちょいと横を指差されて気付く。
そこに、申し訳なさそうに離れていこうとしていた、雅がいたことに。
「……ご、ごめんなさい。お邪魔するつもりとか全然無くて、今がチャンスって思って近づいたら、まさか夢のあーんを再開するなんて思っても――」
「あわわいやいや大丈夫っ、大丈夫だったから! 寧ろなんかごめんねっ?」
「あ、あはは……偶然お見掛けしたので、ただお礼をと思っただけで……」
「わ、私達も! 私達も、後で声掛けにいこうって思ってたんだ! オッケーオッケー! 逆にベストタイミング!」
気まずさを勢いで誤魔化す二人。雅は本当に邪魔するつもりなど無く、偶然間が悪かっただけだった。一生の不覚である。
「じゃあ、改めて……先日は本当にありがとうございました。鷹のレイパーから助け出してくれたことから始まって、宮殿まで一緒に着いてきて頂いて……」
「それを言うなら、私なんか最初に助けてもらったわけだし、お互い様だよ?」
「もっと言えば、雅ちゃんがあいつを倒そうって言ったから、やっと戦いに終わりが見えてきたし……そういうことも含めて、お礼を言うのはこっちの方。ありがとう」
そうお礼を言いあって……直後、三人は同時にプッと笑い出す。やってみて、今更こんな畏まったやりとりをして何なのだと思ったのだ。
そこで、夏音と冬歌はあることを言おうと口を開くが、声を発したのは雅が先。
「ふふ……あ、そうだ。近い内に、皆と一緒に岩室に温泉入りに行こうって思ってるんですよー。なんかオススメあります? というより、折角なので休みが合えば、一緒に行きません?」
「へぇ、いいね! 夏音、どうする?」
「私もオッケー。あ、じゃあいくつかいいとこ知ってるよ。後でリストアップして送ってあげる」
ところで――と、夏音が言いかけたのだが、
「ありがとうございますっ! ――それにしても、羨ましい……私もあーん、したい。いや、してもらいたい!」
「え、えっ?」
「ちょっとさがみん達に仕掛けてみます! じゃ!」
「ちょ、雅ちゃんっ?」
綺麗な敬礼を決め、立ち去る雅。二人が声を掛けて引き留めようとするが、彼女は止まらない。
その先にいるのは――優とライナである。何やら談笑しているようだ。
雅は適当にいくつか料理を皿に乗せ、「やぁやぁさがみん、ライナさん!」と朗らかに二人に声を掛けると、フォークに魚の切り身を突き刺し、
「さっがみーん! はい、あーん」
「え、何急に? いや、まぁありがと」
「ミ、ミヤビさんっ?」
唐突かつ突然の行為。優がおずおずと差し出された魚の切り身を口にし、ライナが口をワナワナと震わせ、呆然かつ愕然とした面持ちでそれを眺める。あまりのことに、ライナにはその光景が、とてつもなく長いものに感じてしまった。頭は真っ白で、雅が優からあーん返しをされていることすら頭に入ってこない。
しかし雅は続けて魚の切り身をフォークに刺す。――たった今、優の口に入れたばかりのそのフォークに。
それを、
「はい、ライナさんもあーん」
「ミヤビさん、最低です」
「みーちゃん最低」
「何でですかぁっ?」
せっかくライナにもあーんしたのに、死んだ魚のような目でそう返され、さらには優からも呆れと侮蔑をごちゃ混ぜにしたような言葉を投げかけられてしまい、雅は「そんな馬鹿な!」と悲鳴を上げた。
だが、ライナからすれば、悲鳴を上げたいのはこっちの方である。
「ふ、普通、他の女の子にあーんしたフォークで、別の子にあーんしますかっ? 信じられません!」
「みーちゃん、その内刺されると思うから覚悟した方がいいと思う」
【流石にミヤビが悪い】
「オーマイガッ!」
と、三者から言葉でノックアウトされた、その時、
「ン、じゃあ私が貰おウ」
横からツーサイドアップの少女が出てきて、雅が差し出していたフォークに刺された切り身をパクっと加えてしまった。
「し、し……っ」
「シア、さん……っ?」
「ムグムグ……よし雅、お礼ダ。あーン」
「わーい! あーん!」
「……あレ? いらなかったようでしたから貰いましたけド……」
志愛から辛めの味付けがされた唐揚げをお返しにと渡され、無邪気に喜ぶ様を見ていた志愛だが、衝撃を受けたように立ち尽くすライナ、ついでにとんでもないものを見たと言わんばかりの優を見て首を傾げた。
雅が「じゃ、私は一旦失礼します!」と逃げ出し、志愛は頭に「?」を浮かべる。
遠ざかっていく雅の後姿に、ライナはわなわなと震えていたが、やがて――
「シ、シアさんの……っ、ばかぁっ!」
「えエッ? なんデッ? すみませンッ?」
何故かお冠になったライナに、志愛は理由も分からぬまま、ただただそう謝るしかない。優は隣で微妙な顔をしながら「あー、これは多分志愛が悪い」と呟くのだった。
***
「あら、ミヤビ。何しているの?」
「わお、レーゼさん! いや、さがみんとライナさんに怒られたので逃げてきて……」
「……ミヤビお姉ちゃん、またナンパしたの?」
「ラティアちゃん、そのゴミを見るような目、もっとプリー……いえ何でもないです」
珍しいラティアのジト目にゾクゾクすると、肝が冷えるようなレーゼの視線が背中に突き刺さり、雅はギリギリアウトの一線をつま先だけ超えて踏みとどまる。
立場と人目を気にして控えめな量しか食べていないレーゼに対し、意外にもラティアはたくさん食べているようだ。ラティアの持っている皿には、大の大人が食べるのかと思う量が盛られていた。
もしかして、普段からもっと食べたいのではないだろうかと気になりつつも、さてこの空気をどうしようかと雅が思っていると、
「ヘイ、お三方! パーティ、楽しんでいるかしら?」
シャンパンを片手に朗らかにそう声を掛けてきたのは、黒髪ポニーテールのナイスバディな美魔女、神喰皇奈。
「わぁ皇奈さん! お酒入っていると、余計に色っぽくて素敵ですね!」
「ミヤビ? セクハラしたら拳骨じゃ済まないわよ?」
「ソンナコトシマセンヨー?」
【……君も懲りないねぇ】
「ふふ、楽しんでいるようなら何よりよ。こんな大ホールでパーティなんて、ホーリー……おっと失礼、やっとお偉いさんへの挨拶が終わったから、ミス束音に祝福を伝えに来たの。――改めて、褒章授与決定、おめでとう」
皇奈の言葉に、雅は「ありがとうございます」とはにかみながら、ペコリとお辞儀する。
――束音雅の、紅綬褒章授与――
実は祝勝会の最初の挨拶の際、それが発表された。今回の討伐戦に対し、雅の働きが評価されたのである。正式な授与式は四月二十九日に行われるそうだ。
紅綬褒章というのは、日本の栄典の一つの『褒章』である。社会や公共の福祉、文化等に貢献した者に対して送られるもので、紅や緑、黄等の様々な色の褒章が存在し、雅は今回紅色、つまり紅綬褒章が授与されることとなった。
一般に紅綬褒章というのは、『自己の危難を顧みずに人命の救助に尽力した方』に送られるもので、主にレイパー絡みの件で褒章授与が行われる場合は、これが送られることが多い。
とは言え、
「……私だけ、こういうのを頂いても良かったんですかね? 皆が頑張ったわけで、それこそ皇奈さんは勿論、ラティアちゃんやレーゼさん、優一さん、杏さんとか、後光輝さん達の方が……」
嬉しさは勿論大きいが、どうしても遠慮の方が勝ってしまう雅。レーゼ達からも既に祝福されたのだが、その時も、申し訳なさを感じてしまった。
しかし、皇奈は「もちろん」と頷く。
「レイパーが減らない原因を発見したのも、討伐戦のスタートを切ったのも、元凶に止めを刺したのもユー。称えられるにふさわしい功績だと思うわ」
「ほら、だから気にせず喜びなさいって言ったじゃない。それだけ頑張ったってことよ」
「それに、アンズさんは個人では受け取らないけれど、会社としては同じようなものを受け取るみたいだよ? ええっと……」
「『褒状』ね。褒章を授与される方が団体の場合に送られるのよ。――ま、どうしても気になるというのなら、今後は一層努力するとかの方が良いんじゃないかしらね?」
「そういうものですか?」
「そういうものよ。……おっと、お邪魔したわね。もう行くわ。あ、ミスゴルドウェイブ、連れて行ってもいいかしら?」
「えっ?」
突然の申し出に、ラティアの目が点になる。
しかし、それを気にする皇奈ではない。
「このキュートの少女を他の人にも紹介したくてね。――それじゃ皆、またどこかで会ったら、その時はよろしく」
皇奈はシャンパンを軽く煽ると、グッバイと言って、半ば強引にラティアを連れてその場を後にする。引き止める隙が無かった。
中々勉強になる誘拐術である。ポカンとしながらも、雅は内心、非常に感心した。今度同じ手口を使わせてもらおうと思い、カレンから【ミヤビー? 後でぶっ飛ばされるよー?】と忠告されるが聞く耳など持っていない。
と、そこで思い出す。
「そうだ……レーゼさん、あーんしてくれませんか?」
「あ、あーん? えっ? な、何でよ!」
「ちょっと色々あったんですよぅ! 本当はレーゼさんにあーんしてからって思ったんですけど、絶対嫌がる気がしたので我慢します」
何故か不満そうな顔になる雅に、レーゼは微妙な顔になる。
確かに断る気のは間違いないが、それはそれとして、最初から諦められるのも、色々言いたいことが出るのだ。
最も、それを口に出す勇気はなく、せめてもの抗議の意を込め、レーゼは雅の手からフォークを引っ手繰ると、パスタをグルグル巻いていき――
「……じゃ、じゃあ……あーん」
「え、ちょ、レーゼさん量が多すぎ――むぐぅっ?」
気恥ずかしさからか顔を真っ赤にしたレーゼに、大量のパスタを一気に口に突っ込まれて悶える雅。
すると、
「君達、仲良いね」
「むぐ……あ、カリッサさん!」
「あぁっ、ごめんなさい! みっともないところを見せてしまって……」
面白そうにクスクスと笑いながら声を掛けてきたのは、スタイルバツグンな金髪のエルフ、カリッサ・クルルハプト。
ラージ級ランド種レイパーを座礁させる際の転移魔法発生装置や、防御用アーツ『命の守り手』の増産と強化に必要なコートマル鉱石の確保に協力してくれたばかりか、討伐戦にも参加してくれた女性である。
討伐戦の後、カリッサは束音家に泊まっており、祝勝会にも当然呼ばれていた。
「カリッサさん、祝勝会、楽しめていますか?」
「ええ。お蔭さまで。こんな大勢の人数が集まるパーティは初めて」
「ところで、本当に表彰、辞退して良かったのかしら? あなたが協力してくれなかったら、討伐戦は成功しなかったはずだし……」
実は雅の褒章授与が発表された後、その話も出た。だが今のレーゼの言葉の通り、カリッサはそれを断ったのだ。
「エルフ一族の掟みたいなものでね。感謝の気持ちだけで充分だよ。……ところでミヤビさん、例の約束のことだけど……」
控えめに、どこか遠慮するような様子でそう切り出したカリッサに、雅は「ええ、覚えていますよ」と返す。
コートマル鉱石の情報と引き換えに、カリッサからの依頼を受ける……そういう約束になっていた。
「そう言えば、依頼の内容って何なんですか? 討伐戦絡みでバタバタしていたから、ちゃんと聞けていなかったですけど」
「そうだね。んー……簡単に言うと、身辺調査みたいなことをお願いするんだけど……」
「身辺調査? 探偵みたいなものですか? それを、私達に?」
流石に本職に頼んだ方が良いのではと思う雅だが、カリッサは「是非、君達に頼みたいんだ」と頷いた。
だが、すぐに「ただ……」と続ける。
「ちょっと色々確認しないといけない事があって、少し時間が欲しいの。ミヤビさん達も戦いの疲れが残っているでしょう? すぐにお願いはしないよ。そうだな……取り敢えず、二ヶ月待ってくれないかな? 具体的な日時が決まったら、ノルンちゃんを通して知らせる」
「え、ええ。それは構いませんけど……」
いやに先の話であると、雅は承諾しながらも、カリッサの言葉に疑問を覚えた。
何となく、何かを迷っているようなカリッサの顔。
少し突っ込んで話を聞こうかとも思ったが、雅は口を噤む。
「待っています」……何かを隠している様子のカリッサに、雅はそう告げたから。
そして、祝勝会が終わり――
カリッサから連絡が来たのは、その一か月後のことである。
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