季節イベント『菓子』
これはまだのっぺらぼうの事件が終わる前のこと。九月、とある日の昼下がり。
ここは、雅の家の近くにある洋菓子店。
「やー、良い雰囲気の店っすね。流石雅ちゃんっす」
「近くにこういうお店があって助かりましたー」
おかっぱで目つきの悪い警察官、冴場伊織。そしてピンクの髪にアホ毛を伸ばし、ムスカリ型のヘアピンを付けている束音雅。
二人は今、小ぢんまりながらも清潔感のあるこの場所へと訪れていた。
今、束音家では女子会中。お茶やコーヒーを飲みながらワイワイ楽しくやっていたのだが、お茶菓子が底を尽きそうになってしまった。そこでじゃんけんに負けた雅と伊織が、こうして買い出しに出たという訳である。
因みに洋菓子縛りという余計な制約が課されたのだが、それを突っ込むのは野暮というものか。
「伊織さん、知ってます? 九月の二十九日って、洋菓子の日なんですよ」
「そんな日があるんすか?」
「ええ。フランスだと、サン・ミッシェルっていう天使がお菓子職人の守護聖人で、その祝日がその日なんだとか」
「ほーん……やたらこじ付けの多い『○○の日』シリーズっすけど、これは割とちゃんとした由来なんすね。――お、結構品数あるっすね」
店内に入ると、バターの香りが鼻を突き抜けてくる。ショーケースに並んだケーキも良いが、伊織的に気になるのは焼き菓子の並ぶテーブルか。仕事柄張り込みなんかもよくあるのだが、そういう時に、ああいうお菓子はサクっと食べられるから助かる。値段もお手ごろだ。
さて、何から買うべきか……伊織がそう考えていると、雅が入口のカゴを手に取りながら口を開く。
「伊織さんは……フィナンシェとか好きですよね?」
「確かに好きっすけど、なんで知ってんすか?」
いきなりフィナンシェの小袋をいくつかカゴに入れ始めた雅を見て、伊織は目を丸くする。伊織の記憶では、少なくとも雅の前でフィナンシェを食べた記憶なんて一度も無かった。
「お店に最初に入った時、フィナンシェが並んでいるテーブルを見つめていたから、何となくそんな気がして」
「雅ちゃん、真面目に刑事にならねーっすか? 向いてると思うっす」
こういうところは本当によく見ていると、伊織は舌を巻く。呆れ半分、尊敬半分といったところか。
しかし言った後で、心の中で首を横に振る。下手をすると、女性犯罪者相手にセクハラをして、無駄な罪を増やしかねない気がした。
……それに、女性が絡んだ犯罪となると、もしかしなくても雅の心に傷が付きそうな気もした。
「さて、選ぶっすか。……てか、皆って何のお菓子が好きなんすかね?」
ズラっと並んでいるお菓子を見渡し、そう言えばそこら辺の好みを知らないことに気付いた伊織。多分何を買っても喜んでくれる気がするが、幸い、今は女の子のことならお任せあれの雅がいるのだ。折角ならちゃんとした『正解』を選びたい。
「レーゼさんはクッキー系。前に愛理ちゃんから貰ったお菓子が甚く気に入ったみたいで……。さがみんは割と何でも好きですけど、特にマカロンとかバウムクーヘンとかを渡すと反応がいいです」
「流石」
早速クッキーとマカロンをカゴに入れ始めた雅を見て、伊織はクスリと笑って感嘆の声を上げる。
「ライナさんは、ドライフルーツとか入っていれば喜んでくれますね。ヒドゥン・バスターの仕事の時に結構お世話になったらしいですよ。腹持ちがいいって」
「んじゃ、これにしとくっすか」
伊織がそう言って、ドライフルーツが散りばめられたパウンドケーキを雅に渡す。
「愛理ちゃんと志愛ちゃんには、何買っていくっすか?」
「愛理ちゃんは和菓子派なんですよね。餡子系が好きなんです」
「そういや、九月になると月見団子の動画上げてるっすよね? 今時珍しいなと思っていたんすけど……」
しかし、だ。ここは洋菓子店。和菓子がない。そうなると、何を選べば良いのか悩むところである。
「抹茶味のドーナツがあるので、それにしましょう。志愛ちゃんは……あ、キャンディーがある」
「ん? あの子、キャンディー好きなんすか?」
「うちでアニメ鑑賞会とかすると、割と舐めてますよ。本人は言わないですけど、多分結構好きなんじゃないかなと」
「ほーん。んじゃ、それで。セリスティアは……あー、コーヒーゼリーとかにしておくっすか」
セリスティアに、甘いものを食べているイメージがない伊織。そもそも、お菓子を食べる光景は偶に見るが、大抵が煎餅とかである。
なんか買ってきてくれと言われた以上、甘い物が嫌いではないのだろうが、洋菓子となるとチョイスが難しい。
「甘さ控えめのものにしておく方が無難でしょうね。……あ、チョコレートも買っておきましょう。真衣華ちゃんが喜びます」
機械弄りが好きな真衣華。適度な糖分補給にチョコレートは丁度良いらしい。
「じゃ、真衣華ちゃん繋がりで、希羅々ちゃんのお菓子も選ぶっす。……あの子、結構ムズイっすね。下手なもん選ぶと怒られるっすか?」
「烏龍茶に合いそうなのは、バターサンドでしょうかね? そう言えば真衣華ちゃん曰く、希羅々ちゃんにお菓子を渡す時は、お店の名前が入った袋と一緒に渡す方が良いそうです」
「あー、あれっすか? 名店のお菓子なら何でも美味しく感じちゃう、的な?」
「半分正解。でも希羅々ちゃん、お菓子の味も、ちゃんと分かってますよ。真衣華ちゃんが前に、いいところのお店の箱に、スーパーの適当なお菓子をそれっぽく詰め合わせて渡したことがあったらしくて、でも食べた瞬間にバレたって言っていました」
「何やってんすか、真衣華ちゃん……」
その後どつかれたであろう姿が容易に想像出来て、伊織は苦笑いを浮かべた。
「んじゃ、お次はミカエルさんの分。……なんつーか、適当なケーキとか渡しておけば喜びそうっすね」
「ま、まぁ喜ぶとは思いますけども」
何となくその様子が想像出来てしまうが、それはそれで失礼な気がしなくもない気がする雅。
一人だけケーキを買っていくのもちょっと不公平感があるので、別の物がベストだろう。
「マシュマロとかカヌレとか、もっと手軽に食べられるものがお好きですね。論文とか読みながらでも食べられるから。ファムちゃんとノルンちゃんは、シュークリームとかかな? エクレアとかも好きだと思います」
「あー、確かに。そんなイメージあるかもしれねーっす」
話の流れでファムとノルンのお菓子もスムーズに決まる。だんだんカゴの中もいっぱいになってきた。
「シャロンさんは……ぶっちゃけ、煎餅と緑茶がすげー似合う気がするっすね……」
「分かります。口調が老獪だからですかね? でも洋菓子とかも普通に食べています。ただ竜だからか、硬めのお菓子の方が好きっぽいですね。歯ごたえを感じたいのかも」
「クッキーはレーゼさんに買っちまいましたから、別のもん……あ、チュイールがあるじゃねーっすか。これにしましょうぜ」
「残りはラティアちゃんだけですけど、悩みどころですね。何でもパクパク食べる子ですけど……アイスクリームは特に好みっぽいです。ただ今はクーラーボックス持ってきていないしなぁ」
失敗したと後悔する雅だが、何せ勢いでここに来たようなものなので、致し方なし。
そして喋れないラティアの好みは、流石の雅を以てしても確実性が揺らぐ。最後に中々の難題が立ちはだかってきた。
「……マドレーヌなら、外れはねーっすよね?」
「くっ……無難な選択肢で守りにいっちゃいましたね。なんか悔しいです」
とは言え、これで全員分選んだと、雅は会計を済ませようとする。
だが、
「雅ちゃん、ストップっす。まだ自分の分、選んでねーじゃねーですか」
「……おっと、そうでしたね。じゃあ、これで」
忘れていたと、雅は手短にあったプリンをカゴに入れる。
そんな姿を見て、伊織は「そういや」と首を傾げた。
「雅ちゃんの好きなお菓子ってなんなんすか? 皆の分ばっか先に選んでいましたけど」
「そりゃあ……勿論、皆がお菓子を美味しそうに食べてくれるのが一番好きですねー」
「はいはい。そういうのいいっす。ほらほら、伊織お姉さんが買ってあげるから、好きなお菓子いくつか選ぶっすよ。帰りに二人で食べるっす」
「え、いいんですか?」
「歩きながら食べるなんて行儀悪いっすけど、まぁ役得くらいあってもいいじゃねーっすか」
伊織は雅とは別のカゴを取り、フィナンシェを一つ入れると、「ほらほら」と雅を促し――
***
「んで、結局それで良かったんすか?」
「ええ。ご馳走様です、伊織さん」
帰り道、ラスクをボリボリと美味しそうに食べながら、雅は伊織にサムズアップしてみせる。
結局、雅が何のお菓子が好きなのか、ちゃんと教えてもらえなかった伊織。ちょっと不完全燃焼だ。
仕方ないと、フィナンシェを口に入れると――雅の口角が、僅かに上がる。
「……伊織さん、それ、袋から出して咥えたまま、こっち向いてもらっていいですか?」
「ふぇ?」
何だ藪から棒に。まぁいいけれど。……そう思いながら、伊織が言う通りに雅の方を見た、その瞬間。
「えい!」
「――っ」
雅が、まるでポッキーゲームの時のあれのように、フィナンシェを反対側から齧ったのだ。
唇が触れるか触れないかのギリッギリ。
心臓が止まるかと思った伊織だが、徐々に顔を真っ赤にしていき、それを見た雅が笑いを堪える。
「な、な……っ」
「むぐむぐ……。伊織さん、私、お菓子って好きなんですけど、一番おいしいなって思うのは、こういうことした時のお菓子です!」
無駄にドヤ顔になる雅。……中々に腹立つ表情である。
「い、言いつけてやるっす! 皆に、今のことぉ!」
「ちょー! それ絶対怒られるやつ! もー、ラスクあげるから、許して下さいよー!」
走り出した伊織を、雅が後から追いかけていく。
――今日は、とにかく平和だった。
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